【25】危機感教育(☆)




 火朽に手を引かれて、紬は急な石段を下りる。今度は、火朽が先を歩いている。

 その頃になると、暗がりの中でも、それまで見えなかった火朽の表情が見えるようになり、紬は少しだけ困った。火朽の表情が、非常に不愉快そうに見えたからだ。それほどこの獅子舞は退屈だったのだろうかと考える。

 もし退屈すぎて、友達の価値なしと思われていたならば……そう考えると、恋心かもしれないなどという胸騒ぎは吹き飛んでいた。

 石段を下り、バス停まで戻りながら――しばらく歩く間、特に会話は無かった。
 ただ静かに、そして強引に紬の手を取り、不機嫌そうに火朽は歩いていた。

 そんな火朽が立ち止まり、大きく吐息をしたのは、バス停が視界に入った時の事である。

「こういった独特の行事が、新南津市にはいくつもあるんでしたっけ?」
「え? う、うん」
「――溜息しか出ませんね。目が離せないじゃありませんか」
「どういう事?」

 紬が首を傾げると、気を取り直したように、火朽が笑った。
 だが紬には、どことなくそれが、苦笑に見えた。

「僕もこういった行事に興味があるので、今後もどこかに行く時は、必ず伴って下さい」
「良いけど……退屈だったんじゃないの?」
「テーマパークの列に並ぶよりは、刺激的な夜だったと考えています」

 それを聞いて、小さく紬は吹き出した。

「友達として、約束して下さい。こういった行事には、絶対に一人では行かず、僕を誘うと」
「うん。分かったよ」

 そんなやり取りをしてから、紬から手を離し、火朽は歩みを再開した。
 始発のバスが来るまでには、まだ間がある。

 その後ベンチでバスを待ちながら、二人は雑談に興じた。


 

「火朽くんの好みの行事を、これからは探してみるよ。神楽は、これしかないんだけど……冬には塞の神もあるし」

 紬の言葉に、まだ僅かに周囲に残っている妖魔達を時折観察しながらも、火朽は驚いた。

「僕の好みですか? そうですね、危険か否かという問題だったのですが……行事探しよりも、僕としては紬くんにもう少し危機感を持って欲しいですね」

 それを聞いて、道中で階段から落ちかけた事を、紬は思い出した。

「迷惑をかけて、ごめん……」
「そうではなくて、はぁ、どうすれば伝わるのか」

 腕を組み、火朽は考える。もちろん伝えたいのは、迂闊に妖に喰われるなという事だった。その内に、バスが来た。


 朝――絢樫cafeへと帰り、火朽は考えた。念のため、姿を消してバスの中の紬を護衛してみたが、試しに、復讐をしていた時のように手を出しても、一切妖の仕業だと気づいた様子はなかった。

 人間という弱い存在と友人になるというのは、思いのほか大変だ。
 同等の妖が相手であれば、そのものを守る必要性などない。

 それこそ砂鳥のように、己よりも弱いと分かっている親しい妖怪ならば、保護しようという気にもなるが、人間は妖怪よりもずっと危機感が薄く、非常に弱い。

「なんだ? 珍しいな、朝帰りか?」

 ローラが顔を出したので、リビングのソファに座っていた火朽は顔を上げた。

「変わった獅子舞を見物してきたんです。二度と行かなくて良いですね」

 火朽の声に、ローラが楽しそうに笑った。

「お前も喰ってきたら良かったのに」
「僕は、人間を美味しいと感じた事はありませんが」
「物は試しって言うだろう?」

 ローラが続けると、火朽が半眼になった。

「試してみた結果です。過去に何度か、勧められて、僕に捧げられた贄の霊力を味見してみた事もありますが、氷が溶けて薄くなって味がしない、水に等しいアイスコーヒーのような、微妙な代物でした。あんなものを好む妖魔の感性を僕は疑います。ローラのように必要な種族ならばともかく、娯楽で人間を喰らおうとは思いません」

 このようにして、ある獅子舞の夜が終わり、新しい朝が始まったのである。

「ただ、もう少し分からせるべきというか、危機感をもたせるべきだとは思いますし……その過程で貪ることは、紬くんのためになるかもしれませんね」

 ふと思いつき、火朽は、玲瓏院家へ出かけてみることにした。


***


 最近、バスに乗るたびに、僕は胸を誰かに弄られている。時に人気がない時など、最近ではどんどんその透明な誰かの手の感覚は露骨で大胆になってきて、下衣の中に手が忍び込んでくる事もある。ゆるゆると陰茎を撫でられ、僕はカバンで前を隠して周囲にバレないように気を使ってばかりだ。

 だが――見えないのだから、これは僕が欲求不満なだけなのかもしれない。

 これまで、僕はあまり自慰をしてこなかった。それが良くないのかもしれない。最近、欠落していた社交性を手に入れたから、性欲といったものも、顔を出したのかなと考えている。

 そこで……きちんと抜いてみようと僕は思った。

 自室に戻り、鍵をかけて、僕は服を脱いだ。お手伝いさんがきれいに整えてくれているベッドの真新しいシーツの上に、僕は寝転がる。

「ん」

 そして右手で陰茎を握った。普段、たまにしていた時はもっぱらシャワーでサッと済ませていたから、このように念入りにするのは緊張する。だが、あまり気持ち良くない。やはり、何かネタが必要かと考えた時、昨夜の火朽くんの腕の温度を思い出した。同時に火朽くんの端正な顔――それらを思い出している内に、次第に僕の体は熱くなった。

 異変が起きたのは、その時だった。

「え?」

 僕は狼狽えた。金縛りにあったかのように、胴体がベッドに激突した。慌てて膝を立てると、まるでM字に開脚されたかのような状態で、そのまま動けなくなった。自由になっていた手で起き上がろうと試みた時、手首が枕の両脇で、まるで手錠でもはめられたかのように、やはり動かなくなった。

 ――金縛り? そうとしか思えない状態だったから、僕は焦った。

 鍵はかけているから家族は入ってこないだろうが、こんな体勢で金縛りは困る。第一金縛りというのは、夢を見る直前の反応ではなかったのだろうか? そう考えていた時だった。

「ひっ」

 乳首を舐められた感触がした。いつものバスでの感覚と同じで、見えない誰かの手が、左の乳首をつまんでいるのだが、それとは逆の右側を唇に含まれた気がした。チロチロと舌先で舐められている気がする。え?

 見えない舌がねっとりと僕の体を這って行き、へそを舐めた後、陰茎へと到達した。

「う、うそ……あ、あああっ」

 そのまま、見えない誰かが、僕の陰茎を口に含んだ。恐怖よりも、快楽が強い。必死に動こうとするが、縛り付けられているようになっていて、体が起こせない。太ももも閉じられない。しばらく舐められた後、舌が今度は僕の菊門へと到達した。見えない手では袋の裏側を刺激される。思わず背をしならせた。後ろの襞を舐められ、丹念に解すように蠢く舌の感触に、僕はギュッと目を閉じた。

「あ」

 その後、見えない何かが、僕の中に入ってきた。事態が急すぎて、理解が追いつかない。必死に息をしていると、それがある一点を突いた。指とも違う。硬いわけでもない。曖昧な――ぐにゃりとした何か、だ。細く長い。ゆらゆらと動いている気がする。そちらも衝撃的だったが、問題は突かれた場所だった。

「ああっ、ひっ……ぁ……そこ、あ」

 見つけ出したその箇所ばかりを、見えない何かが重点的に彼が刺激する。そうされると全身にジンジンと白く快楽が響いてきて、今度は快楽から涙を流す結果となった。

「ああああっ」

 次第に僕の内側で、その何かは巨大になっていった。横幅が大きくなっていき、長さは変わらないが僕の最奥まで貫いていて、どんどん硬度を増していく。正確には、靄だったものが、形を作っていくような感覚であり、僕の中がどんどん押し広げられていった。

「あ、あああっ、嘘、あああああ!」

 僕はしばらくして気がついた。陰茎で貫かれているらしいと。しかし見えない。気づくとそれは膨張した肉茎となっていたようで、見えないが酷く熱い。

 ――僕は、透明人間に犯されているようだった。

「うああっ、ああ! 嫌、あ、ああっ」

 もう逃げられないのだと、僕は悟った。

「あっ、ぅあ……ン、ん――!!」

 そのままゆっくりと抽挿が始まり、僕はむせび泣いた。その状態で見えない口で乳首を吸われ、見えない手で陰茎をしごかれながら、何度も突き上げられて、僕は理性を失った。

「あ、ああああああ! もっと、うああ、あ、あっく、ン――!!」

 そして放った時、全身が自由になった。
 呆然としたまま僕は、何が起きたのか理解できなくて、ただ一人天井を見上げる。
 ――白昼夢だとは思えなかった。

 生々しすぎた感触に動揺していた時、僕の菊門から――たらりと精液が漏れてきた。
 見えない何かが、僕を暴いて、中に放ったらしかった。


***


 紬には見えない状態で、体を暴いた火朽は楽しい気分で帰路についていた。別にいじめて泣かせたかったわけではないのだが、快楽に涙していた紬を見るのは、思いの外楽しくて、気づけばその体を貪っていた。狐火で紬の全身を拘束し、自分の陰茎は人型にする前には揺らぐ炎の棒として進め、拡張するように徐々に形を作っていったのである。

「弱りましたね、これは友人関係を超えている……けど、紬くんが僕に望んでいるのは友情ですし……まぁ、黙っていれば分からないでしょうね。危機感がゼロですし。そうですね、あくまでもこれは、危機感を抱いてもらうための教育です」

 一人で言い訳しながら火朽は歩いていた。だが少しして、立ち止まり考えた。果たして、友人でいたいという紬の意思を尊重する必要があるのだろうか?

 火朽は、自分が一番である。頭の中には、紬の痴態がよぎる。あれを、今後他の誰かがみると思うと許せないし、誰かに渡したいとは思わない。

 第一、それ以外の部分を見ても、紬という存在は、好ましいところばかりではないか。ずっと隣にいたい。

「欲しいですね」

 そう呟いてから火朽は、絢樫cafeの中に入り、その扉を閉めたのだった。