【27】大切な空間



 それから二人で講義を受けて、お昼には学食へと向かった。
 本日の僕らは、やはり同じものを食べている。
 示し合わせてはいないけれど、もう慣れた。

「紬くん、先程のお話ですが」
「講義の?」
「いいえ。寂しさという感情の話です」

 火朽くんはそう言うと、たぬき蕎麦に箸を向けた。

「友人とは対等な関係性なんですから、紬くんも、僕に寂しい思いをさせないで下さいね」
「寂しい思い? 火朽くんは、いつもみんなと仲が良いし、僕がいなくても寂しいなんて思わないんじゃないの?」
「――いいえ。僕には、玲瓏院紬という名前の友人は、紬くんしかいませんよ」

 それを聞いて、僕は小さく吹き出した。同時に、友達だと言われたことが嬉しい。少なくとも、火朽くんの中に、友人として僕が存在している。それだけで、十分ではないか。

「ただし、人間は、非常に弱い生き物です」
「まぁ、火朽くんから見たら、そうなのかもしれないけど……」
「ええ、そうですね。ですから、この部分に関しては、僕は対等だとは考える事が出来ません」

 僕はそれを聞きながら、蕎麦を食べる。少しの間思案した。

「僕が、もっと――例えば、修行だとかをして、強くなったら良いの?」
「別に僕は、それを求めていません。紬くんが望むならば、そうするのは自由ですが」

 火朽くんはそう言ってから、まじまじと僕を見た。

「修行などせずとも、僕が守ります」
「え?」
「僕は、大抵の存在には勝つ事が出来ます。紬くんを喪失するような事態を、大切な存在を失うような状況を、可能な限り、僕は回避したいと考えています」

 それを聞いて、僕は苦笑した。大切な存在だなんて、大袈裟だ。けれど、火朽くんの言葉が嬉しい。

「確かに、僕は実際には天才霊能力者なんかじゃないから、本当に怪異に遭遇したら、あっさりと死んでしまうかもしれないけど」

 僕はそう口にしてから、水の入るグラスに手を伸ばした。

「それよりも、ね。友達を失うっていうのはさ、喧嘩をしたり、仲が悪くなってしまう事なんじゃないかな? 僕は、火朽くんと、ずっと仲良しでいたいよ」

 そう続けてから水を飲む僕を、火朽くんがまじまじと見る。

「僕は、別に喧嘩をしても、友人をやめようとは考えませんよ」
「そうなの?」
「ええ。どちらかといえば、人間の――友人や恋人の喜怒哀楽を見るのは、楽しいと思いますが」

 これまで友人がいなかった僕は、嫌われるのが怖いとしか考えていなかった。
 僕だって喧嘩をした事はある。例えば、兄の絆とはよく喧嘩をしている。
 だけどそれは、家族という切れない縁があるからだ。

 友人という不確かな目に見えない関係性の上で、僕は感情を吐露するのは怖い。

 既に火朽くんの前では泣いてしまった事もあるが、基本的に僕は、あんまり人に、自分の中の、特にネガティブな感情を見せるのが苦手だ。

 だから、僕は非常に押しに弱いし、断る事も苦手だ。
 大抵の場合、頷いて同意し、流されて生きていると思う。

「僕は、まだまだ紬くんの事で、知らないことばかりです」
「それは僕も同じだよ。もっと色々な話をして、色々な所に出かけて、僕は、色々な火朽くんの事を知りたいと思ってる」

 本心からそう伝えると、優しい表情で火朽くんが頷いた。

「僕は非常に怒りっぽくて、根に持つタイプです。喧嘩をする事も今後はあると思いますが、そうなった場合、紬くんは、僕の友人をやめてしまうんですか?」
「そんな事ないよ――え? でも、火朽くんが怒りっぽいようには見えないけど」
「それは……きっと紬くんがまだ知らないか気づいていない僕の側面という事なのだと思います。そんな僕を見るのは、嫌ですか?」
「嫌じゃないよ。うん、確かにそうだね。僕も、火朽くんの喜怒哀楽を知りたいのかもしれない」

 僕達は、話しながらたぬき蕎麦を食べ終えた。
 それから一緒に歩いて、次の講義へと向かった。

 その日の帰り、僕達は絢樫Cafeと向かった。

 すると機嫌が良さそうに出てきた、享夜さんとすれ違った。
 享夜さんは、火朽くんの姿を見ると一瞬ビクリとした。

 だが、僕が笑顔で大切な友人だと紹介すると、安心したように頷いて帰っていった。なんでも――享夜さんが前に話していた、天使のごときマッサージ師とは、このお店のローラさんの事だったらしい。僕には信じられない。世の中には、あの下手なマッサージを上手いと感じる人もいるなんて。

 そう思いつつ、享夜さんの首に赤い噛み傷が見えた気がして、僕は嘆息した。

 ローラさんもまた、夏瑪先生と同じように吸血鬼だというから、享夜さんは餌にされているのかもしれない。しかし、本人がマッサージにより、肩こりが解消しているせいなのか、幸せそうだから僕は何も言わなかった。多分だけど、肩こり解消以外にも、理由があるのだと思う。ローラさんの名前を時折雑談で出す時、享夜さんは幸せそうな瞳になる。僕にはそれが、恋をしている目に見える。

 中へと入り、僕はメニューを眺めた。

 最近では、このお店の――カフェ側の唯一の常連客として、僕は砂鳥くんに認識されているらしい。少しずつ、飲み物の数が増えていて、その内容は、僕が火朽くんに好きだと話した事がある紅茶などが多い。

「あ、美味しい」

 この日の新作のローズティを飲んで、僕は思わず呟いた。
 するとまだ近くにいた砂鳥くんが振り返り、心なしか照れくさそうに笑った。

「僕、趣味を見つけたんです」
「趣味?」

「はい。紅茶を淹れる事――色々な茶葉があるのも楽しいし、茶器を先に温めるだとか、知らない事が沢山あったから、そういうのを覚えるのが楽しくて」

 砂鳥くんは、そう言うと厨房の方へと歩いていく。
 見送っていると、火朽くんが喉で笑った気配がしたから、視線を戻す。

「砂鳥くんの上達は目覚しいんですよ。その内、こちら側にもお客様が押し寄せる日が来るかもしれませんね」
「そうしたら、砂鳥くん一人だけとか、火朽くんがバイトに入るだけじゃ大変そうだね」
「ええ。もしそんな日が来たら、是非お手伝いをお願いします」
「僕が?」
「はい、一緒にこのお店でバイトをして下さい。あるいは紬くんと一緒なら、僕にもやる気が出るかもしれませんので」

 これまで家の仕事以外で――アルバイトをしてみるという発想が無かった僕は、想像してみたら、楽しくなった。絢樫Cafeでバイトをするのも良いかもしれない。

 喫茶店は意外と大変だと聞いた事があるから、僕に出来るかは不安だけど。

 ただ僕は、火朽くんとこうして過ごす空間が大切だから、その機会が増えていくなら大歓迎だ。