【*】朝儀の背景








 藍円寺朝儀は、頬を緩ませながら、朝食の準備をしていた。周囲には、味噌汁の良い香りが漂っている。小学生の息子は、先程起床し、今は一人で身支度をしている。もう小学六年生であるから、様々な事が一人で出来るようになった。

「お父さん」
「どうかした?」

 二人で朝食の席につき、厚焼き玉子に朝儀が箸を伸ばした時、斗望が顔を上げた。

「最近、嬉しそうだね」
「そう? 斗望とこうして平穏に暮らせるだけで、僕はいつも嬉しいけど」

 優しい笑顔を浮かべた朝儀を見て、照れくさそうに斗望が笑った。
 まだ二次性徴前の少年は、その後学校へと出かけて行った。

 ――子供は案外鋭い。

 朝儀は、シングルファーザーになったこの六年ほどで、非常にそれを身に染みて実感している。実際、子供と平穏に暮らせるのも嬉しかったが、最近の喜ばしい出来事はそれだけではない。

 ……固定のセフレ(のような相手)が出来たのだ。

 出会いはハッテン場である。声をかけられた。年上好みだというその相手は、六条彼方という名前で、二十九歳。三十六歳の朝儀とは、七歳も年齢が違う。しかし彼方は若いが、風格は堂々としている。大人びていた。

「僕の中身が幼いんだったりして……」

 そう考えると、朝儀は空笑いをしてしまう。

 現在、無職の朝儀は、仕事探しをしなければならないのだが、それ以上に熱が溜まる体をモテあまし、ゲイよりのバイだったため、週末になるたびに、ハッテン場へと通っていた。週末に斗望を預ける、実家の藍円寺の末の弟には、決してバレてはならないだろう。

 実際、ダメなのは分かっている。子供を放り出して、男探しに行くというのは……あまり良い行いではないし、場合によっては、親失格と言われるだろう。

「だけど僕、結構頑張ってきたと思うんだよね」

 湯呑に両手を添えて、ポツリと朝儀は呟いた。
 炊事、洗濯、掃除、その他――全ての家事と子育てを行って来た数年間。
 当初、週末に斗望を預けていたのは、日雇いのバイトなどを見つけて働いていたからだ。

 ――元々、父子二人になる前は、朝儀は公務員として、除霊を行っていた。
 だがこれは、あまり公に出来ない事柄である。
 無論、新南津市であれば、その職歴を公表すれば、いくらでも仕事はある。

 ただ、妻が亡くなった理由は、二人で出かけた先の怪異が原因だ。

「……僕にまで何かがあって、斗望を一人にするわけにはいかないからね」

 そう口にしてから、朝儀はお茶を飲む。
 藍円寺の両親が亡くなったのも、怪異が原因だ。

 その頃には既に遠方にいた朝儀は、葬儀に戻った時、憔悴している弟二人を見た記憶がある。家族の死は、非常に悲しい。だからもう、危ない橋は渡らないようにしようと、朝儀は決意している。

 なので、斗望を育てる傍ら、日雇いや派遣、短期のバイトを繰り返しながら、保険や年金でなんとか暮らしてきたわけであるが――斗望もだんだん手がかからなくなってきた。

 そうして落ち着いてみた時、改めて思うのは……寂しさだった。
 主に、肉欲的な意味合いで、寂しかった。

 だが、三十代後半の子持ちのネコには、あまり需要は無いというのが実情で、一夜限りの相手探しすら、苦労した。もう愛なんて無くて良いから、せめて体の乾きを癒してくれるセフレが欲しいと考えていたものである。

 そして――人生何があるかわからないもので、六条彼方と出会った。

 一度目は、ハッテン場で出会ってそのままホテルに行った。その場で交わした睦言を、朝儀は正直、リップサービスだと考えていたし、朝儀の側もそうだった。二度目の約束をその日にしただけで、舞い上がった。

 二度目も、場所は同じ高級なホテルだった。
 待ち受けていたのは――それなりにハードなSMプレイだった。
 Sなのか問いかけたら、笑顔で頷かれた……。

 朝儀は立ち上がり、鍵付きの金庫にしまっておいた封筒を二つ取り出した。一度目も二度目も、『一回会ってヤるたびに50万円』という話で、六条彼方は朝儀に金を渡してきた。なんでも、六条総合サービスという会社の社長らしい。何の会社か尋ねたら、イベントのコンサルティングなどをしていると聞かされた。

 正直、美味しい。自分の欲望が満たされる上に、お金が貰えるのだ。しかも朝儀は、ドMであり、性癖も合う。口では、好きだというが、まだ彼方について深く知っているわけではないから、正直な話、恋心が育っているとは言い難い。ただ、体は満たされた。

「……でも、お金って事は、口止め料とプレイ代だよね、普通に考えて。社会的な身分もあるんだろうし……あれだよね、僕の事を好きだって言うけど、あちらも本気じゃないわけで……いつでも後腐れなく別れたい相手――セフレって事か。愛人になれと言っていたけど……独身らしいし、うーん」

 ブツブツと呟きながら、朝儀は封筒をしまった。二週間で百万円が手に入ってしまった……。これならば、斗望が欲しがっていた、新型のゲーム機を買える。物欲も満たされた形だ。

「……ちょっと、様子を見てみても良いよね?」

 誰が答えるわけでもないのだが、朝儀はそう呟いた。
 自分を納得させるように、そう言ったのだ。
 何より――彼方の楔を思い出すだけで、体が熱を思い出す。

「次に会うのが楽しみだなぁ……」

 そう呟いた時の朝儀の表情は、嬉しそうに蕩けていた。