【23】デートに関して(★)


 


 侑眞がデートなどと言うものだから、木曜の夜別れてから、昼威はなんだか落ち着いかない気分で金曜日を迎えた。

 この週末だけは、救急のバイトが休みの代わりに、手術の助手を正式に頼まれたという、あまりない流れが総合病院ではあった。研修医が来ているため、その関連で、頼み込まれたのである。

 金曜の朝、病院一階のcafeで珈琲を飲みながら、昼威は総合病院の受付を眺めていた。多くの市民が訪れている。手術自体は朝に十時からで、一時間半程度で終了だ。決して困難なものではないから、この病院で行うと言うのもあるのかもしれない。

「絢樫cafeの珈琲の方が美味しいな」

 紙のカップを手に、昼威が呟いた。砂鳥が聞いていたならば、大変喜んだことだろう。実は少し前から絢樫cafeは、cafeスペース側を再始動していて、飲み物に気合いをいれているのだが、それはまた別のお話だ。

「先生!」

 そこに、声がかかかった。昼威が顔を上げると、そこには現在病院に来ている研修医のうちの一人がいた。先日までは主に救命救急にいたため、昼威も名前を知っている。

「兼貞先生」

 一応、先生と付けて呼びかえす。入ってきたのは、兼貞泰斗(かねさだひろと)と言う名の、精神科志望の医師だった。顔も名前も、芸能人の兼貞遥斗に似ているとして話題になっている。だがそれ以上に、自分と同じ精神科を専門にしたいと聞いているから、昼威はよく覚えていた。

「今日、救急はお休みなんじゃなかったでした? 俺、先生とA.フロイトとクラインの話がしたかったから、お休みで残念だと思っていたんです」

 その言葉に、きちんと精神科医扱いされていることと、好きなものが同じである……精神分析などである事を確認し、思わず昼威は頬を緩めた。

「今日は外科の手伝いがあるだけだ。きちんとした休みは土日だな、今週は」
「そうだったんですね、じゃあ、明日はお休みなんですか?」
「ああ」

 昼威が頷くと、前の席に座りながら兼貞が微笑した。

「ご予定は? もし空いてるなら、あ、あの良かったら俺と――」

 兼貞が懐いてくれているのは嬉しいと思いつつ、昼威は明日のことを思い出した。デート……即ち、予定はあるのだ。

「悪いが、明日は、その恋び……友人と、デー……出かける約束をしていてな」

 それを聞くと、兼貞が驚いた顔をした。恋人がいないと聞いていたからだ――が、今の昼威に発言を聞く限り、恋人がいるのは間違いない。耳に入っていた周囲も、チラリと昼威を見ている。それは、人間も……妖、例えば式神も問わずだ。

「そ、の! 悪いが無理だ」

 聞いていた救急の看護師や、顔見知りの外科の看護師達は、密やかに人気の藍円寺先生にやっと恋人出現かとニヤニヤしている。心なしか頬が赤い昼威は、見ていると、いつも本人が厳しい分、ついついからかいたくなる面持ちだ。

 兼貞もそう思った。

「いいなぁ! 俺も先生とデートしたいです!」
「馬鹿野郎! デートだなんて言ってないだろうが! 俺は、た、ただ単に、御遼神社の、高校の後輩と、ちょっと泊りがけで出かけるだけで、それは、だから……いや、あの……ほ、ほら……」

 声をあげた昼威は、それからどんどん声を小さくした。そして、男同士だと言う声は飲み込んだ。眺めていた周囲の地元の人々は、二人が仲良しだと知っていたので、デートじゃないのかと苦笑したものと、ついに侑眞の恋が実ったのかと驚くものに分かれていたが、それを昼威は知らない。

 なお、兼貞は男同士に抵抗はないが、この土地のものではないので、御遼神社について、特に知らなかった。新南津市のこの総合病院の研修医受け入れ制度に応募した理由は、分家の六条家の、六条彼方がしばらくの間この土地に滞在すると話していたため、家の関係などで、ついでだった。

 そこで出会った昼威に関しては、純粋に救急で見た外科系の腕を尊敬してはいるが、それ以上に兼貞泰斗もまた精神医学の泥沼に足を踏み入れてはまり込んでしまっているので、純粋に尊敬する先輩だと思っている形である。特に恋愛感情があるわけではない。

 しかし、はたから見ていると、とても親しそうに見える。実際、二人は仲が悪いわけではない。勿論昼威と侑眞の親しさを知っている昔からの知人を抜けば、現在病院ではかなり仲が良い方だろう。

 その内に手術の時間が迫ってきたので、術前の最後の打ち合わせのために、昼威は立ち上がった。


 こうして手術を終え、その日の仕事は終わった。
 終わったのだが……明日までが、長い。
 昼威はすでに診療時間が終わったため無人の待合室で、長椅子に座り、ため息をつきながら腕時計を見た。

「明日会うんだから、今から会いに行くのも変だな……」

 ブツブツと呟いた時、スマホが音を立てた。見れば、侑眞からの連絡があった。以前だったら既読スルーも当たり前だったのだが、今はすぐに反応してしまいそうになる自分に動揺している。これまで相応に、相手は女性ではあったが恋愛経験があるはずなのだが……自分の中に湧き上がる、思春期の子供でももっとマシな反応ができそうな挙動不審を促す緊張感に、昼威は戸惑っていた。

 ――先生、暇なら明日、俺の家から行かない?

 そんな連絡だった。待ち合わせ場所のことだと昼威は考えた。だからわかったと返信をすると、すぐに反応が返ってくる。

 ――じゃあ今からお酒のつまみ用意しておくね。何がいい? 何時頃、来られる? もう今日はお仕事終わったんでしょう?

 それを見て、昼威は息を飲んだ。これ、は。今から行っても良いという誘いだ。

「行っても良いって、なんだ……行ってやる、んだ。暇だから」

 一人に内心に言い訳をしてから、昼威はバイクに乗った。向かった先は、御遼神社だ。到着すると、神社の石段の上で、侑眞が昼威を待っていた。既に日が落ちるのが早い季節だ。

「寒くないのか?」
「先生を待ってると、寒さは特に気にならないというか……どうぞ。入ってください」

 侑眞はそう言って、昼威をいつもの離れに案内した。そこには、既に酒の肴の用意がされていた。食べながらも、昼威は緊張していた。明日はデートであるが、この状況は、今夜ここに泊まるということだ。しかし、本日の侑眞は隣ではなく、以前のように正面に座っている。

「今日ね、昼間、六条さんがきたんだ」

 その時、何気ない雑談のように、侑眞が言った。

「六条彼方が? 何をしに?」
「――総合病院の研修医の中に、六条家の本家の先生がいるみたいで、護衛の式神を飛ばしていたらしくてさ」
「式神?」

 そういえば、最近、朝のカフェには、失敗した折鶴のようなものが浮かんでいるが、見えないことにしているんだったと昼威は思い出した。恐らくはあれだろうと考える。

「そうしたら、良い話と悪い話を教えてくれたんだ」
「内容は?」

 何気なく昼威が先を促すと、侑眞が嘆息した。

「悪い話は、その本家の人と先生が非常に親しいっていう、俺が嫉妬してしまう話」
「な」
「良い話は、先生が俺とのことを、恋人とデートに行くと認識しているみたいだって聞いたことかな」

 そう言って笑った侑眞を見て、昼威は酒を吹き出しそうになった。

 誰が本家の人間か思い当たると同時に……確かに、『恋人とデートの予定』と、言いかけた自覚があるなと思った。しかしそれを侑眞に知られているというのは癪だ。癪というか……照れくさい。恥ずかしい。そうした感情に近い。

「……先に、恋人だと認識していたと、俺に言ったのはお前だろう? それに合わせただけだ」
「先生が、人に合わせる? それって、自分も同じ考えの時だけだよね?」
「――そうだな」

 違うと思ったら、当然昼威は言う。否定もする。合わせない。

「それは、そうだが……どうして、侑眞が俺の事を断定するように言うんだ?」
「だから――それだけの間、ずっと見てきたからかな」

 本当なのかと言おうとして、昼威は卓の上に並ぶ自分好みの料理の数々を見て、口ごもった。何かを食べたいと思っても、面倒だからカップラーメンが多い昼威が、まさに本日、食べたかったようなものが並んでいる。だが。

「それは、恋人関係に無かった俺を、だろう?」
「まぁねぇ。先生が俺を恋人にしてくれる日が来るとは思っていなかったというか……あきらめようかなって思っていたけど……恋人になると、先生は変わるの?」
「どうだろうな。それはこれから観察してくれ」

 昼威はそう言ってから、静かに立ち上がって、自分から侑眞の隣に座ってみた。すると侑眞が驚いたような顔をした。

「俺は、そもそも諦めるという考えがあまり好きじゃないが……お前が、あきらめなくて良かったと思っている」
「先生が、あの日、あんまりにも無防備に座っていて、鈍いことを言ったから、俺としても抑えが利かなくなったのと――先生が、俺との縁を切りたくないと考えてくれていたのが、嬉しすぎてさ」
「そうか。ちなみに」
「なに?」
「今俺が何を考えているかはわかるか?」

 隣に座った昼威に酌をしながら、侑眞が苦笑した。

「先生から俺の方に来てくれた事がはじめてだから、さっぱり」
「そうだったか?」
「うん、そう」
「俺は押しが強い方だからな」
「確かに先生って、付き合う前と初期は、ぐいぐい行くよね。それって俺の場合でも、あてはまるの?」
「……さぁな。ただ、一つ言えるのは、俺よりもお前の方が、積極的だと思うという事だな」
「だって、昼威先生、鈍いから」
「むしろ俺は、聡い方だが?」

 酒を飲みながら昼威が言うと、侑眞が喉で笑った。

「じゃあ先生は、俺が今何を考えているか分かる?」
「――俺が積極的すぎて、若干ひいているのか?」

 昼威は、不安など感じていないような顔をしながら、実を言えばずっと不安だったことを聞いた。これまでとは侑眞からの連絡頻度も違うが、己側もだいぶ違う自覚があった。

「先生ってさ、たまぁにネガティブだよね」
「どういう意味だ? 違うらしいというのは分かったが」
「――そばにいたら、先生のことを、また押し倒してしまいそうだと思って、わざわざテーブルを挟んで座ったのに。そんな俺の考えに気付いてないのは、わかっていて聞きました」

 侑眞はそういうと、昼威の手からお猪口を奪い、それを卓に置いた。そして瞠目している昼威の手首を取る。そのころになって意味を理解した昼威は、真っ赤になって顔を背けた。

「押し倒せばいいだろう。その……恋人なんだから」

 昼威がそう言い終わる前に、侑眞は、畳の上に昼威を組み敷いていた。息を飲んだ昼威から、侑眞が眼鏡を取る。

「ン」

 そのまま侑眞に唇を奪われて、昼威は緊張して、ぎゅっと目を閉じた。何度か角度を変えてキスをしながら、本当に自分達は恋人になったのだなと考える。

「先生、こっちを見て」
「……見てるだろう」
「ううん。横を見てたし、そのあとは天井を見てた」
「お前の観察は、俺の視線の動きなのか?」
「先生のことは全部かな」
「言ってろ」

 そんなやり取りをしてから、シャツのボタンを昼威はおとなしく外されていた。室内の空気に肌がふれる。肌寒さはないと考えた時、貪るように首筋に口つけられた。

「っ、ぅあ……」

 性急に下衣の中へと手を差し入れられ、覆うように陰茎を撫でられた時、短く昼威が声を漏らした。すると気をよくしたように、侑眞が昼威の残りの服を脱がせにかかる。

「あ、ア」

 その後、ローションつきのゴムの封を破りながら、侑眞が昼威の中へと指を進めた。そして陰茎に装着すると、すぐに昼威へと楔を進める。

「あ、っ、う、ぅン」
「先生……ごめん、俺さ」
「なんだ……? ぁ……っ……」
「先生が隣にいて我慢ができないって話したと思うけど、それ、俺には余裕が無いから、先生にやさしくできないかもしれないって意味でもあってさ」
「――? あ……あああああああ! うあ、待て、ア!!」

 その時、激しく侑眞が抽挿を始めた。昼威がもがくと、侑眞が抑え込むように体重をかける。

「や、やめ、あ、あ、ぁ……だ、だめ、だめだ、そこは……うああああ」

 そのまま激しく動かれて、昼威は息をつめた。卑猥な水音が、静かな室内に響く。それらが昼威の嬌声と交るから、侑眞の体はさらに昂ぶる。結果、より激しく昼威を貫くものだから、次第に昼威は快楽から意識が曖昧になりはじめた。快楽以外が考えられなくなっていく。それが怖くて、昼威は侑眞の首にしがみついた。

「先生、怖い?」
「べ、別に……っ、あ、あ、あ、あああああア」
「怖くないなら、俺を煽ってる?」
「ひ、ヒあ、あ、あぅ、ぅぁ」
「先生に抱き着かれるなんて、幸せすぎて、俺はもう止められないから」

 侑眞はそういうと、昼威の前立腺を貫いた。もっとも感じる場所を刺激され、昼威は果てた。ほぼ同時に、侑眞も出したが、すぐに新しいゴムを取り出す。

「ごめん、本当に無理。止まらない」
「侑眞、ぁ」
「ごめんね、辛い?」
「違う、どうして謝るんだ? ――あああああ!」
「やっぱり煽ってる?」
「ば、ばか。だ、だから……こ、これは合意で、俺達は恋人だし、謝ることなんて何も……ああ!!」

 昼威の声に、一度息をつめてから、侑眞が深々と貫く。

「うん。ごめん」
「だ、だから……あ、ぁ」
「違う。ごめんっていうのは――もう俺、自制が、完全にできなさそうでさ」
「!」

 この夜、昼威は、意識を飛ばすまで、侑眞と交わった。そのため、翌日のデートの日は、起きたのが遅かった。腰にも違和感があったが、シャワーを借りてから、遅い朝食を食べつつ、昼威は思った。

 ――デート、楽しみだな。

「ごめんね、無理させて。今日は休む?」
「え」
「――とは、いう予定はなかったけど、卵焼きを落としそうになるほど動揺した先生を見たら、胸がきゅんとした」
「楽しみにしていたら悪いっていうのか?」
「悪いなんて言ってないけど、一昨日は、デートだって認識じゃなかったみたいだったからさ」

 くすくすと笑う侑眞を見て、自分よりも余裕がありそうで、昼威は悔しくなった。

「それで? どこに行くんだ?」
「先生の好きな所」
「決めておくといっていたのに? これから考えるのか?」
「違うよ、先生が好きそうな、精神医学の稀覯本がある古書店のフェアが、隣の市のホテルであるっていうから、そこ。好きでしょう?」
「! 行く、行きたい、しかしやっているなんて話は初耳だ」
「――俺の父親の会社が、来月からやるフェアのプレオープンだから、一般公開はまだなんだって」
「そうだったのか」

 こうして行き先が無事に決まり、それも聞くだけで胸が躍る場所で、昼威のテンションが上がった。

 なお――そのフェアで購入する事になるブラックベリーの直筆だという論文は、どうやら本物であるようだが、この時の昼威は、まだそのことを知らない。