【28】気恥ずかしい沈黙




 ――救命救急の専任になるという話ではなく、単なる休暇の話だったと知り、嘆く救命スタッフ達に見送られて、昼威は病院を後にした。玲瓏院家に顔を出す予定だったが、その必要は無くなった。本日は雪もすっかり融けていたから、バイクを持ち帰るという意味でも、藍円寺へと帰る事に決める。

「享夜には、知らせない――か」

 バイクに乗りながら、昼威は小さく呟いた。走らせながら、弟の顔を思い出す。最近の享夜は、非常に幸せそうだ。

「……」

 だが、玲瓏院結界が、正しく再構築された場合、通常、強い妖魔も結界の外へと出る事が出来なくなり――その力は無力化されるという。即ち、享夜の想い人である、ローラという吸血鬼も、市外には永久的に出られなくなるのであろうし、人間(享夜)を思いっきり喰らっているローラは、排除対象になるはずだ。それに抵抗する力も、あの吸血鬼が、結界よりも強力な能力を持つといった予想外の事が起きない限り、無くなるはずだ。つまり、享夜に幸せそうな顔をもたらしているローラは、結界の再構築後には……。

 そこまで考えて、昼威は押し黙った。冬の風が冷たい。

 ローラが退治されたら、享夜は果たして、どんな反応をするのだろうか。考えるまでもなく、退治自体を阻止しようとするだろう。だからこそ、ご隠居も享夜には黙っていると言うのだろうし――紬に関しても、同様の不安があるのだろう。

「幸せな連中を引き裂くなんて、冗談じゃないぞ……」

 昼威は思わずそう呟いたが、妖は妖であり、人間ではなく、皆等しく敵ではある。無論、結界の内部で、生きていかなければならなくなる妖の内、人間との共存を選択し、力が失われた事も理由となるのだろうが、今後は人間を襲わずに大人しく生きていくと宣言する存在も、いつも一定数はいるらしい。

「……」

 しかし、もし仮に、享夜と恋仲である事を理由に、人間を喰う怪異を見逃したりしたら、『玲瓏院に取り入った妖は難を逃れる』という前例が出来てしまう。そうなれば、これまで以上に、玲瓏院一門の血筋は付け狙われる事となる。よって、だからこそ、より厳しくローラは、排除対象とされるはずだ。いくら本人が共存を唱えようとも、享夜が庇おうとも、状況が悪すぎる。兄として幸せは願いたいが、だからといって、弟が血を吸われているというのは、食糧となっている事実は、やはり良い気分がするわけでも無い。

 溜息が溢れた。

 ただ、もし仮に、侑眞が人間ではなかったら――と、昼威は考えてしまう。全力で、玲瓏院が相手だろうが、逆らう自信しかない。幸い侑眞は人間であるし、享夜も常識的な人間だが……人と妖の恋とは道ならぬものだなと、昼威は改めて考えてしまった。

 こうして藍円寺へと帰宅すると、享夜が居間に座っていた。

「昼威? 珍しいな、こんな時間に」
「ちょっと休暇が出来てな」
「まさかクビになったのか!?」
「どういう意味だ」

 マフラーを解きながら昼威が目を細めると、享夜が深刻そうな顔をしながらお茶を用意してくれた。人の悩みも知らないで平和そうだなと、昼威はそんな弟を見据える。

「お前こそ、今日は奇っ怪なバイトは休みなのか?」
「ああ。今日は、バイトを入れていないんだ。ちょっと約束があってな」
「約束?」
「そ、その……しゃ、写経の予約があってな」
「写経? 珍しいな。この新南津市に、藍円寺で写経をしたいと考える奇特な人間がいた事に、驚きを禁じえない」
「……ローラが、その……」

 視線を彷徨わせながら、どこか照れくさそうに享夜が言う。昼威はそれを聞いて、あからさまに目を細めてしまった。

「デートなら、今日は藍円寺の外にしてくれ」
「な……ち、違う! 写経だって言っているだろ!」
「俺は今夜は、どこにも行かないからな」
「――振られたのか?」
「は?」
「御遼神社に立ち入り禁止になったのかと思ってな」
「待て。振られたとは、どういう意味だ?」

 焦って昼威は、お茶をこぼしそうになった。侑眞と自分の付き合いに関して、まだ享夜に明確に伝えた事は無いからだ。元々侑眞とは親しかったわけであるし、出かけているだけで――こんな風に、まさか悟られているとは考えてもいなかったのである。

「どういう意味かと言われても……そのままだ。侑眞さんと昼威が付き合っていると、この前朝儀が話していったぞ」
「六条彼方だな。絶対あいつが、朝儀に吹き込んだんだな」
「六条さんは、この前、朝儀と一緒に、藍円寺に遊びに来たぞ」
「遊びに?」
「ああ。なんでも、写真撮影が趣味らしくてな、藍円寺の紅葉を収めていった」
「ほう。それで俺と侑眞に関する噂話を撒き散らしていったのか?」
「いいや? 朝儀がもっと前に、俺に喋っていったんだ。否定しないという事は……事実なのか……」

 享夜が少しだけ声を小さくした。心なしか頬が赤いように見える。言葉に詰まって昼威は、お茶を持ったままで硬直した。

「……」
「……」

 そのまま、揃って沈黙していた時――藍円寺の電話が鳴った。二人はほぼ同時に視線を向ける。先に立ち上がったのは、享夜だった。

「もしもし、藍円寺ですが」

 どことなく気恥ずかしい空気が、無事に切り替わったように思えて、昼威は大きく吐息する。その後は、享夜が檀家からの珍しい連絡に対応するのを聞きながら、昼威は座ってお茶を飲んでいた。