【3】妖怪薬のチョコレートソース


「どうぞ、こちらへ」

 僕もまた笑顔を浮かべて、二人を促した。最初のお客様が知り合いで、少し肩から力が抜ける。店内にはいくつかのテーブル席があるので、僕は一番奥の、角の前に横長のソファがあるテーブル席へと案内した。ソファ席は、対面するタイプと、横長に二人でかける用がある。

「今日は、一限だけだったんです。なので、紬くんと二人で開店祝いに来たんですよ」
「砂鳥くん、頑張ってね」

 柔らかな火朽さんの声と、穏やかな紬くんの声援に、僕は大きく頷いた。
 それから二人の前でメニューを開く。

「二人は、何を飲みます? いつもと同じで――ちょっとグレードアップしたから、珈琲にしますか? それとも、本日のオススメもあるし、ケーキや洋菓子も色々あるから、良かったら」

 僕はそう言いつつ……人に何かを勧めるというのは、意外と緊張するなと気がついた。心を読める僕だから、現在紬くんが「珈琲とケーキかな」と考えているのは、分かる。だからそれとなく、ケーキの頁を開いたのだが、わざとらしすぎないように気を遣うのが中々難しい。

「あ、このケーキ」
「オペラにする?」

 紬くんの声に、僕は聞いた。見た目は僕よりずっと紬くんの方が年上なのだが、雑談する機会が増えた今、僕は気軽な口調でついつい話してしまう。接客業としては、失格だろうか。

「うん、僕、このケーキが好きなんだ。駅前のケーキ屋さんのと同じ? 見た目と名前は一緒だけど……」
「そうなんです。ローラが、毎朝届けてもらう契約をしてくれたから」

 僕が言うと、紬くんが微笑した。

「火朽くん、これ美味しいんだよ。南方(ミナカタ)がバイトしてるケーキ屋さんのチョコレートケーキ」
「ああ、まほろさんの」

 紬くんの声に、火朽さんが頷いている。南方まほろさんというのは、二人のゼミの同級生の女の子らしい。ゼミには、他に女の子がさらに一人、男子学生が三人いると紬くんの思考から伝わってきた。なお指導教授は、ローラの友人の吸血鬼で、夏瑪夜明(ナツメヨアケ)先生というそうだ。

「砂鳥くん、では、このオペラというチョコレートケーキを二つ、珈琲とセットで。ホットでお願いします。砂糖とミルクは不要です」

 火朽さんの声に、僕は伝票にペンでメモをしてから頷いた。

「承りました。少々お待ち下さい」

 初めて、きちんと注文を取った僕は、カウンターの隣の扉を腰で押して、厨房へと戻りながら、明るい気持ちになった。人間のお店にはあまり行かないが、自分が人間になったような、人間を演じているような楽しみがある。

 冷やしておいた白い皿に、シマシマ模様のチョコレートケーキを載せる。チョコレートケーキにも色々な種類があるなんて、僕は知らなかった。オペラというのはフランスのチョコレートケーキらしい。ケーキの隣にチョコレートソースとハーブで飾りをつけてから、鍋で珈琲を温める。

 銀色の丸いお盆にのせて、僕はそれらを火朽さん達のもとへと運んだ。

「お待たせいたしました」
「――ありがとうございます」

 僕が皿を置くと、火朽さんが目を細めて笑った。火朽さんが僕に読み取れるように強く『完璧ですね』と思考したから、吹き出しそうになる。紬くんは、輝いているチョコレートケーキに目が釘付けだ。

「ごゆっくり」

 そう告げて、僕はカウンターから奥の厨房へと戻った。談笑しながらケーキを食べている二人を、何度か見る。最初は店の内装について話しているようだったが、すぐに大学の話に変わっていた。

 口頭の話題と、内心が、必ずしも一致しないのが、人間という生き物だ。だが、紬くんは頭の中でも、真面目に民俗学について考えているようだった。一方の火朽さんに関しては、気合を入れるか、あちらが読ませようとしてこない限り心が読めないので、僕には今は考えが分からない。

 それよりも『チョコレートソース』の効果が気になっていた。
 実は、ただの飾りではない。一応、僕が作った妖怪薬を使用している。

 まずチョコレートソースには、サンダルウッドとスカッシュから抽出したエキスとアンバーとムーンストーンを砕いた粉から精製した妖怪薬を一滴垂らしてある。効果は、『自分の居場所があると感じられるようにする』という品だ。この絢樫Cafeが、いっときでも、ほっとできるような、誰かの居場所になって欲しいという思いから作ったソースだ。

 ――人間は、疎外感を覚えていたり、居場所がないと感じている人が多い。

 それも手伝い、僕はケーキの皿に添える各種のソースに、穏やかな気持ちになる事ができる妖怪薬をトッピングしようと決めたのだ。ホイップクリームとミントの葉っぱは、普通の飾りだけど。

 別に違法な薬物を盛っているわけではない。ちょっとしたトッピングやエッセンスだ。これは、人間がお店にアロマを焚いていたりするのと同じ事だ。食べても害は無い。そもそも妖怪薬を取り締まる人間の法律も存在しないんだけれども。