【7】お弁当
「みんなと一緒に、ご飯を食べようよ」
「断る。もう食べた」
俺がそう述べると、紗衣がダストボックスに投げておいたサンドイッチの包装を見た。それから眉根を下げて、俺の正面の机に、水色のトートバッグを置く。
「お弁当を作ってきたんだよ? 今日から毎日作ってくる予定なの。言っておけば良かった――というのもあるけど、それしか食べないのは不健康だよ! まだ入るでしょう? 食べて!」
それを聞いて、俺は驚いた。
「お弁当……?」
初めて聞く単語だったからだ。仕出し弁当とコンビニ弁当を、俺は日本に来て初めて学んだが……作って……?
「ほら! 見て!」
銀色の二段重ねのお弁当箱を取り出した紗衣が、それを開く。中には、色鮮やかな具材が入っていた。ゴマで目がついた、タコの形のソーセージがまず視界に入る。卵焼きにもゴマで顔が書いてあった。ブロッコリーの緑も鮮やかだ。白米の上には、鮭のフレークで絵が書いてある。良い香りが漂ってきた。
「これ……どこに売ってるの?」
「私が作ったんだってば!」
「作って……? すごい……」
初めて見るお弁当に、俺の目は釘付けになった。フランス――というよりも、俺のこれまでの人生には、存在しない文化だった。
「みんなが嫌なら、二人で食べよう? ただ、親睦も兼ねて、本当はみんなが良いと思うんだけど――ここは、夫婦の親睦から深めよっか」
俺は慌てて顔を上げた。
「そんなものは不要じゃないの? 俺はただの提供者で、そちらは俺に金銭を提供してくれた――つまりはパトロンとなったというだけのことだろう?」
「ううん。私は、ルイくんが好き」
そう言いながら、俺のそばに紗衣が座った。テーブルの角をはさんで斜め横にいる。彼女は自分のぶんのお弁当箱をひらく。そこには、俺のお弁当と同じ風景が広がっていた。俺のほうが、量が多い。
「――紗衣こそ、それで足りるの?」
「あ、名前で呼んでくれた」
「っ……煩いな。大体、俺のことをほぼ何も知らないくせに、どこが好きなの?」
不貞腐れつつも、俺は素直に箸を手にとった。食べないことに慣れている体は、サンドイッチでも十分だったのだが――あんまりにも彩り豊かなお弁当が美味しそうだったのだ。
「ルイくんの出生から、現在に至るまでのプロフィールは、全て閲覧済みだよ」
「……そう」
「だから何をしてきたかも知ってる。だけど、そういう事じゃなくて……その、寂しそうな顔! 癒してあげたくなっちゃったの」
「俺が、寂しそう?」
意外な言葉に、思わず怪訝に思って、眉を顰める。そうしながら、小さな肉団子に箸を伸ばした。すると紗衣が大きく頷く。
「ルイくんのそばにいたいって思ったの」
「へぇ」
「ねぇ、美味しい?」
「うん」
素直に頷きながら、俺はお弁当を食べた。人間、何かしらは取り柄があるんだなと考える。そうしていたら、紗衣が破顔した。
「良かった。なるほど、まずは、餌付けからするね!」
「餌付け? 俺は、ペットじゃないんだけど」
「うん。ルイくんの可愛いの種類は、勿論、私の愛猫のアウラとは違うよ」
「猫?」
「可愛いんだよ。今度、見に来て」
「……気が向いたらね」
そんなやりとりをしながら、俺達は昼食をとった。
それから歯磨きをして、午後の会議に臨んだ。
「――という事で、午前中の続きだが、藍円寺とミシェーレ氏には、それらしい『自由研究』をしてもらう。その参考にということで、班長がアポイントメントをとった上で、夏瑪夜明教授の元へと向かってもらう」
その言葉に、俺は頷いた。なんでも、中高合同の自由研究発表班という代物を、『政府』が用意したという形で、国の指定校である、現在藍円寺朝儀が通っている中高一貫制の学校にモデルケースとして導入する準備が整っているらしい。
現在は、五月である。本格的に行動するのは、夏休みだと決まった。
夏休みとは、七月から始まるそうだった。
「なのでミシェーレ氏にも、形式だけ編入してもらう。通う必要はない」
副班長の望美の声に、俺は小さく頷いた。
しかし――石の研究か。これは仕事でなくとも、環太平洋の古代の文化圏という意味合いでは、相応に興味はあった。
そう考えて、ハッとした。
これまでの人生において、仕事以外に興味を持つことなど、この国に来るまでの間、俺には許されていなかったし、自発的にも考えたことすらない。俺は緩やかに、この国に感化されつつあるように思った。脳裏をお弁当が過る。紗衣は、俺の中で、そんなこの国の人間のイメージの筆頭にいた。そう気づいたら、ドクンと胸が疼いた。
その後の会議の事は、よく覚えていない。
俺はおそらく――餌付けされたのだろう。この日から、紗衣が少しだけ特別になった。
「あぁー、怠い」
藍円寺朝儀がオレに向かってそういったのは、ひと月後の夕方の事だった。
梅雨という季節が始まり、曇天が空を圧迫している。
「ルイは、石に興味あるの? 僕、ゼロなんだけど」
朝儀は、気楽に接する事ができる相手になっていた。年齢が近い事もあるが、これまで接してきた国の幹部達とは異なり、非常に穏やかなのである。だが、時折毒づく。
「ゼロでは無いかな」
「ふぅん」
俺を名前で呼ぶようになったのは、紗衣に次いで、二人目だった。朝儀が俺を名前で呼ぶようになったら、北斗もすぐにそうなった。あの少年には、ルイくんと、俺は呼ばれている。彼は、サイコメトリストらしかった。その為、情報収集及び精査能力に長けているのだと聞いた。空気に触れると読み取れるそうで、普段は特殊な遮断具を腕時計のようにみにつけながら、巨大なPC前に座っている。データベースを常に渉猟しているそうだった。サイバー方面でも、幼いながらに実力があるらしい。
俗に言う霊能力者は、機械と相性が悪い者が多いため、重宝されていた。
「シュメール文明だっけ?」
「俺が知る限りは」
「その方向から自由研究する?」
「……子供らしさを残すなら、まずは、不可思議な石の模様に興味を持ったとして始めるべきなんじゃないかな」
「うん。で、その子供が、夏瑪夜明先生の著作にたどり着いて、質問に行く、と」
「無難じゃない?」
「無難だね」
そんなやりとりをしながら、俺達はカフェでココアを飲んでいた。本日は肌寒いから、ホットの甘さが丁度良い。紗衣は――教師役だ。教員免許は、偽装するそうだった。
「ねぇねぇルイ」
「何?」
「何がきっかけで、紗衣さんと結婚する事になったの? まだ結婚できない年齢だけど、するんでしょう? それとも婚約は解消予定?」
「……フランスから、紗衣が俺を買ったんだよ。日本の代理で」
「本当にそれだけ? それなら解消可能じゃん」
「俺には、祖母や親が残した借金があるから、それを肩代わり――正確には、次の俺の返済相手になった玲瓏院家の人々に逆らう権利がない」
これは、明確な事実だ。ただ……今も毎日、お弁当を差し出されるたびに、俺の中で、少しずつ、紗衣の存在感が大きくなっていく。
「なんで傷ついた顔してるの? ルイは」
「え?」
「――なんか、随分と好きそうだね」
「な」
「紗衣さんも、買ったなんて思ってなさそうで、もう、あっまあまのらっぶらぶみたいな顔してるし……羨ましいなぁ」
朝儀はそう言うと、後頭部で手を組んだ。
「僕はさ、同性愛者なんだよね」
「……俺には分からない価値観だけど、好きになれば性別は関係がないという人間が多かったよ、俺の国には。そういう姿勢の芸能人がいたからだとは思うけど」
「ふぅん。けど――ね。今は、大切な人がいるんだよ」
「大切?」
「恋、というよりは、愛なんだけどね。家族愛。それでも大切に変わりはない」
それを聞いて、俺は首をかしげた。
「どういう事?」
「俺も、精子提供が決まっている人がいるんだ。ただ――人工授精はしないと思う。俺、その人の事は、女の人なんだけど好きなんだ」
「? 女が好きなら、同性愛者じゃないんじゃないの?」
「そこが自分でも、自分の気持ちがわからないんだ。そうだね、ルイが言う通り、それこそ、好きになったら性別は関係ないということなのかもしれない」
一人頷いた朝儀を見て――この時はまだ、俺はその相手が、夕凪望美だとは気がつかなかったのだった。