【1】美味しそう。



 夏瑪は、古い友人の吸血鬼であるローラの招きで、絢樫Cafeへと訪れた。

「夏瑪は、最近、調子はどうだ?」
「調子? 餌の話かね? 霊能力が高い土地において、中でも高能力の学生が集まっているキャンパスにいるのだからね。困る事は全く無い」
「そうは言っても、お前が吸血鬼だって気づいて無い連中の集いだろ? たかが知れてる」
「いいや。知っている先生も生徒も大勢いる。噂だとして信じていない学生はいるがね」
「――そうなのか?」
「無論だよ。私に気づけない程度の低い人間ばかりと侮ってはならない。今の時代、如何にして友好関係を築き、維持していくかが重要なのではないかな?」
「まぁな。概ね同意見だ」
「別に私は、暗示をかけて教職に預かってるわけでは無い。請われたんだ。私よりも人間の知る民俗学に詳しい人間は、少ない」
「少ないっていうのがミソだよな。ま、いいや」

 ローラはそう言うと、猫のような瞳の片目だけを細めた。

「それにしても、面白い土地だよな」
「だろう?」
「――なんて言うんだ? 霊能力者が多いっていうか、ほら、あれだな。そういう一族やらその分家やらが大量に、なんていうか」
「ああ。玲瓏院かい?」
「ま、まぁな。そ、ういえば、あれだな。玲瓏院といえば、この辺の地域だと、何だったか、あの、廃寺に等しいボロボロの寺……あー、名前が出てこねぇ」
「ああ、藍円寺くんのお宅かい?」
「あー、それ。そういえば、そんな名前だったな。いやぁ、客が噂してて」
「彼の所は、玲瓏院と違って、民間でやってる分、安いからねぇ。繁盛しているみたいだねぇ。玲瓏院は、プロだからね」

 夏瑪夜明は、既にこの土地で暮らして長い。この土地の人間の霊能力者に関しては、一定の知見がある。

「まぁ気をつけるならば、あの三兄弟の場合は、除霊業を引き受けてる跡取り住職の三男じゃぁないね。友人として忠告するなら、注意順に言うと兄弟順で、長男・次男・三男だよ。ただし実害があるとすれば、筆頭は次男だ。次男はね、精神科医……なんだろうね、閑古鳥が鳴いているクリニックを経営していいるけど。だから、それもあってね、心霊現象系は全否定なんだけど――僕が知る限り、上中下で評価するなら、ギリギリ上に入れて良いレベルだ。彼はね、視えちゃうと職業的に幻覚判断で、まずいと自覚して、手でバシンと祓って、無かった事にして進んでいくタイプでね。彼のクリニックに行く少数の患者は、そのお祓い目的で通ってる憑かれやすい人々というのが実情だ。決して疲労からの抑うつなんかじゃぁない」

 告げながら、夏瑪は珈琲を飲んでいた。

「へぇ。で? 一番要注意の長男は、どんなのなんだ?」
「――それがねぇ。プロ中の元プロ。今は、違うけど。何せね、国家から除霊を請け負ってた、国家公務員の除霊師だったんだよ」
「は? 何だそれ、あれか? 内閣情報調査室付属庶務零課とかいう、一般常識的には都市伝説だけど、俺達には有害な、あれ?」
「それ、だね。ちなみに、元そこ所属の人間が、この土地には、もう一人いる。そっちはプロのエクソシスト。ただ、今現在を見る限り、両者共に、お祓いといった業務にはついてないけれどね」
「テンションが一気に下がった。先に言えよ。俺ですら、あいつらは嫌いだ」
「言ったら来ないだろう?」

 ローラをこの土地に誘ったのは、夏瑪である。

「それで、話を戻すと長男は、ねぇ」
「おう」
「現在は、お寺の近所で、専業主夫をしているシングルファーザーみたいだね。失業保険でギリギリ頑張りながら、求職活動中。奥様を亡くされてね。怪異で。職場結婚だったようで……それもあるのかもしれないが、今後一切、オカルト現象とは関わる気が無いようだよ。だから、見ても何事も知らんぷりだね」
「有難い話だが、不憫だな。ご冥福を祈る程度の気持ちは、俺にもある」
「私にもある」

 夏瑪夜明は、平均的に見れば、ローラほどではないが、人間の心が分かる吸血鬼だ。

「――あ、で、そ、そう。最後の三男は? 念のため、な」
「ああ、享夜くんかい? 上中下だとギリギリ中かなぁ。何せねぇ、視えないからねぇ、彼は。どちらかというと、僕から見ると、彼のようなタイプは、被害者である事が多いよ。だからローラも、彼から危害を加えられる事は無いんじゃないかな? 心配は不要だ。逆に、君が喰べる側に私には思えるね」
「ふぅん。そいつは、最近は、何やってるんだ?」
「最近? 特に変わった話は聞かないけれどね――……あ、けれど、そうだ、彼がという話ではないんだけれどね、前々から噂になっていたお化け屋敷が一軒あってねぇ。先日、テレビの取材が入ってから、賑々しくて、近隣住民にまで霊障が広まっていてね。大学にも要請が来ているから、多分、藍円寺にもお祓い要請が行っているはずだ。あそこは、元々は普通の民家なんだけど、私から見ても非常に危険性が高い。単独除霊は危険で、浄霊が可能かも現時点では不明だ。最悪、周囲に結界を展開して封印終了とするしかないだろうね。これまでも、そうなっていたんだけれど――無駄にテレビの連れてきた霊能力者が破ってしまったみたいだよ。そのタレント霊媒師が、玲瓏院出自の芸能人と顔見知りらしいから、これに関しては、揉めたくないって事で、玲瓏院家は動かないみたいだからね。分家とはいえ、玲瓏院筋の藍円寺家には、それとなくではあるだろうけれど、玲瓏院側からの依頼もあるかもしれない。本家だからね、断れないと思うよ。分家と本家の力関係が根付いている土地でもあるしね」
「へぇ。それ、その話、いつくらいからなんだ?」
「さぁ……そうだねぇ、もう二ヶ月くらいには、なるんじゃないかな?」
「もっとも、この土地に、玲瓏院結界がある限り、どんなに広まろうとも、この地方都市で心霊現象は完結するからね」
「――ああ。まるで蠱毒の如しだよな。一度入ると、弱い奴らは、外に出られないからな」
「ああ。時の偉人に評価されたという逸話の頃――……あれは遡ると鎌倉時代となるんだけれどね、この土地に霊を集めて、定期的に一斉浄化をするようにしたみたいだね」
「で、現地の人々は、生まれつき耐性が比較的高くなっていき、霊能力者も多く――結界なんて気にせず出入り自由の俺達からすれば、美味しい餌場と化してるわけか」
「そうなるねぇ」

 そんなやりとりをしてから、夏瑪は絢樫Cafeをお暇する事に決めた。

 現在――夏瑪夜明は、霊泉学園大学で民俗学科の教授をしている。
 天然物の銀糸の髪をしていて、切れ長の瞳は瑪瑙色だ。

 彫りの深い顔立ちを、洒落た眼鏡で隠している夏瑪は、外見は三十代半ばであり、教授にしては非常に若い。無論それは外見年齢であり、彼はローラと同じ、吸血鬼だ。ローラとは、スラヴで己の起源――吸血鬼伝承を調べていた際に出会ってからの縁である。

 細い紙巻きの葉巻を口に銜えながら、この日夏瑪は街に向かった。
 ローラに店へと招かれた帰りである。

 夕暮れの空は、まだ夏だという事も手伝い、胸騒ぎを誘うような紫色をしている。

 吸血鬼ではあるが、日光や十字架といったものは、何の害にもならない。
 ――一般的な品であるならば。

 しばらく歩いていくと、瀧澤教会が目に入った。プロテスタントに分類可能な基督教系のそれなりに歴史のある教会だ。ただ現在では、瀧澤家の人間は、一人は心霊協会の役員となるものの、瀧澤学院という私立の学校経営を主要な仕事としているらしい。

 夏瑪は――仏教徒でも神道の人間でもない。強いて言うならば、人であった古の過去には、それこそキリスト教徒だった。まだ当時は、ルターがいた記憶もなく、ルーテル関連のプロテスタントの宗派は無かったように思う。とはいえカトリックだった記憶もない。己がどこの国で生を受けたのか、夏瑪は意識しなければ思い出せない。

 瀧澤教会の礼拝堂を含め、地上にある建造物は非常に新しく、洗練されている。
 だがこの教会に関しては、問題なのは地下であると、夏瑪は知っていた。

 世界遺産の登録関連で名称について揺らいでいるらしいが、俗に言う『隠れキリシタン』として、この教会の信徒が新南津市に存在した頃、建築された地下の教会遺跡こそが、夏瑪にとっては、強いて言うならば真の脅威だ。

 ――そこには、悪魔が封じられている。

 当時から、宗教チャンポンとでも言うしかなかったのだろうこの土地においては、キリシタンは隠れていなかったらしい。仏教が広まってなお、神道も絶大な力を誇っていたという。全ては、その時々の当代の玲瓏院家の当主の采配だったようだ。

 そう考えていた時、瀧澤教会の前に、黒い高級車が停まった。

 降りてきたのは、瀧澤教会の牧師である心霊協会の役員で、送ってきたのは玲瓏院家の車だった。後部座席から、現在の当主の玲瓏院縲が顔を出している。

 ――轟音がしたのは、丁度その時の事だった。

 地面が崩落し、瀧澤教会の庭が陥没した。周囲の通行人が騒然となり、教会からは何人もの聖職者が顔を出す。隣接している学院の教師や、帰宅途中の生徒達も硬直していた。夏瑪もまた歩み寄り、砂埃が舞う庭を見る。

 すると、地下へと伸びる階段が見て取れた。
 車から降りてきた玲瓏院縲が、ごく近くにいる。

 あちらが夏瑪を見る事は無かったが、夏瑪はすぐにそちらを向いた。

 理由は簡単だ。美味しそうだったからだ。
 玲瓏院紬も大抵美味しそうで、蚊に姿を変えて何度か吸血したが、非常に美味だった。
 その父である現当主の縲は、輪をかけて美味しそうな香りがする。

 浅葱色の紋付姿で、金髪に緑色の瞳をしている縲は、一見すればチャラチャラとしている青年だ。とても三十代半ばには見えない。同じ年頃を象っている夏瑪と比較したら、それこそ二十代で通るだろう。

 縲は、霊能力を持たない婿として、紬と絆の養父として、玲瓏院家のつなぎの当主として、この土地では認識されている。夏瑪もそれは聞いていた。

「なんだこの禍々しい気配は」

 瀧澤牧師の声に、夏瑪は腕を組んだ。
 現れた地下遺跡からは、そこに封印されている悪魔の気配が漏れ出している。

 先ほどの崩落で封印が緩んでいるらしい。

「これは、エクソシストで無ければ、対処が困難だ」

 瀧澤牧師を見ながら、夏瑪は率直に言った。すると狼狽えたように瀧澤牧師が顔を上げる。

「エクソシストなんて、日本には、ほぼいない。きちんとした司祭はおろか……そもそも新南津市には、この教会くらいしか――……いいや、この教会にもエクソシストは一人もいない」

 焦るように言った瀧澤牧師を見て、その時悠然と夏瑪は笑った。

「そこにいるじゃないか」
「え?」
「――ルイ・ミシェーレ。DGSE認定及び内閣情報調査室指定エクソシスト。ああ、今は玲瓏院縲さんと名乗っているのだったかね」

 夏瑪の声に、驚愕したように縲が硬直した。息を飲んでから、ぎょっとしたように視線を向ける。

「早く行かなくて良いのかね? 悪魔が逃げる」
「……っ」

 夏瑪の声に忌々しそうな瞳をしてから、縲が瀧澤牧師に歩み寄った。

「行きましょう」

 二人の姿を見送りながら、夏瑪はニヤニヤと笑っていた。愉悦を含んだ表情で、腕を組みなおす。

 夏瑪は知っていた。玲瓏院縲は、先々代の現玲瓏院のご隠居の縁者だ。亡くなった先代である妻は、即ちまた従姉だったのである。正しく縲は玲瓏院の血筋だが、フランスの人間とのクォーターである。別段染めている外見ではない。

 そして――エクソシストは、基本的に他者と関係を持てば、その力が使えなくなる。それに紬と絆が実子ならば、十三歳で子供をもうけた形となるのだが……夏瑪はこちらも知っていた。体外・人工授精だ。

 そもそも縲自体、玲瓏院家の好奇心をかったフランスの情報機関が、対悪魔用に人工的に生み出した人物である。二人の子息に関しては、内閣情報調査室庶務零課が子孫の研究のために亡くなった彼の妻との間に子供を人為的に受精させたという経緯がある。

 よって、吸血鬼にとって非常に美味しい童貞および力の持ち主であるエクソシストにも関わらず、縲には子供が二人いるのだ。ただしこの事実をしるものは、新南津市には、夏瑪を除けば二人しかいない。一人は玲瓏院家のご隠居であり、もう一人は庶務零課時代の同僚の、藍円寺朝儀だ。あちらは僧侶であるから、子供がいてもなおやはり美味しそうではあるが、童貞からは程遠いので、あまり夏瑪の食指は動かない。

「ああ、いつか喰べてみたいものだねぇ」

 玲瓏院縲の後ろ姿を見ながら呟いて、夏瑪は踵を返した。
 その『いつか』は、願望による来ない未来という意味ではなく、時機の問題である。