【2】昔の同僚



「――はぁ、という流れ。どうして気づかれたんだろう、俺のこと」

 ブツブツと縲は、藍円寺朝儀の家で呟いた。
 現在は日中で有り、朝儀の息子の斗望は学校にいる。
 公営住宅の一室で、縲は緑茶を飲みながら、古い同僚を前にぼやいていた。

「うーん。僕には分からないけど……夏瑪夜明かぁ」

 答えた朝儀は、小さく首を傾げて、頬に手を添えている。

 二人は、内閣情報調査室付属庶務零課という、公的には存在しない事になっている、対妖機関の公務員として、過去に同僚だった。朝儀は妻が亡くなったのを機に退職した。縲はそれに先立ち、己の戸籍上の妻であるまたいとこが亡くなった時に、新南津市へと戻った。朝儀にしろ、縲にしろ、理由は子供だった。

 ただ、縲の場合は、朝儀とは少々事情が違う。
 玲瓏院のご隠居に脅されたのだ。
 縲のフランス戸籍の母方には、莫大な借金があった。

 血の繋がりのみで縲は最初それを知らなかったが、その人物は借金を理由に卵子を提供したらしい。それでもなお返済はできず――玲瓏院が肩代わりした。ご隠居は、縲が支払わなければ、双子の息子達に支払わせると迫ったものである。

 よって縲は、支払いのためにこの土地に戻り、玲瓏院の一切の仕事を引き受けた。
 結果として、守銭奴という評価がついたのだが、本人は気にしていない。
 また、極力危険な仕事を息子達に負わせないため、秘密裏に処理している。

 朝儀は、それを知る数少ない友人だ。年齢は朝儀が二つ年上だ。
 十代の頃からの付き合いだから、もう二十年になる。

「夏瑪夜明は、普通に人を喰い殺すからね。刻印をして、血を全て吸い尽くして、もう何人も殺してる。嬲って喰べて――吸血鬼らしいといえばそうなんだけど」

 朝儀の声に、嫌そうな顔で縲が頷いた。

「ここの所は、教授職について大人しいと聞いていたんだけどなぁ――はぁ。紬のゼミの指導教授らしい。知らなかったんだ、俺」
「きついね。僕だったら、斗望の担任が夏瑪夜明なら、転校させるよ」
「……だよね」

 二人はそんなやり取りをした。

「――仕方がないから、兼貞を呼ぼうかと思ったんだけど」

 二人の後輩であり、現庶務零課の主力の名前を縲が上げると、朝儀が大きく目を見開いた。

「あ。兼貞といえば、芸能人の兼貞遥斗って、兼貞北斗の甥っ子って本当?」
「うん。うちの絆がライバル視してる」
「――あの兼貞の甥なのに、呪鏡屋敷で騒ぎを起こしたの?」
「わざとだよ、あれ。六条彼方をこの新南津市に派遣する名目」
「え……六条さんって、何か関係があるの?」
「へ? 知ってるの? 六条家は、呪殺屋の名門で、兼貞家の分家だよ。分家だけど、本家より資産家だね、今は。羨ましい大金持ち。富裕層だよ。ま、兼貞がやらない後ろめたい仕事を担ってるからだけど」

 縲がそう言うと、朝儀が目を瞠った。

「後ろめたい仕事?」
「兼貞と六条は、名門の付き物筋の家柄だから。蛇神憑きの兼貞と、陰陽道の六条――蛇神が出てきたら、喰い殺されるから、人間の合法的な範囲で遺体が残る形で、六条が呪詛で始末しているみたいだね。妖も人間も問わず。呪い返しもしているようだけど」

 答えた縲を見て、朝儀が俯いた。

「彼方さん、良い人だと思うんだけどなぁ……」
「良い人?」
「僕の理想っていうか……」
「理想? 何言ってるのか分からない。妖の夏瑪夜明レベルで、人間なら六条彼方は危ないと思うけど」

 そんな話をしてから、縲は帰宅した。久方ぶりの友達との会話が楽しかったと感じていたが、そういった思いを妖も抱くという事は、縲は知らなかった。

 一人、玲瓏院家の迎えの車に乗り込み、後部座席に背を預ける。

「まぁ――玲瓏院結界を張り直したら、夏瑪夜明も出られなくなる。そこをつけば倒せるとは思うけど」

 そう呟きながら、縲は帰宅した。すると車から降りようとした時、紬から連絡があった。

「珍しいね、いつもは目立つからと言って車を呼ばないのに」

 大学まで迎えに出かけて、縲は紬に声をかけた。

「縲、聞いて。さっきね、狐火が出たんだ。火朽くんっていう名前なんだけど」
「狐火?」

 紬の声に、縲が首を傾げた。

「霊泉学園大の中に?」
「うん。民族学科準備室のそばの小会議室の中全部を埋め尽くすみたいに、ぶわって」

 縲がスっと目を細める。

「おかしいね」
「でしょう? 心霊現象なんてあるわけが……」
「――うん。霊泉の構内には、玲瓏院で各所に結界を構築しているから、大学の中で心霊現象や怪奇現象が起こるなんて事は、基本的にはありえないね」
「危険性が高いと感じたら、すぐに俺に連絡をするように」
「うん……だけどさ、縲」
「ん?」
「僕、縲がお祓いとかをしている姿、一度も見た事が無いんだけど」

 何も知らない純粋な紬の声に、縲は表情を引きつらせながら窓の外を見た。なんとか笑顔だけは保っている。

「ほ、ほら! 俺は顔が広いから」
「それは、接待で出かけた先のキャバクラ的な意味で?」
「た、確かに俺は本指名はしないから、沢山の夜の蝶の連絡先を知っているけど、それとこれとは話が……」
「まぁ、近いうちに、新南津市全域の、本物の玲瓏院結界を構築し直す予定だから――一斉浄化の時期だからね。そうすれば、弱い妖魔は全て消滅するし、それでも生き残るような存在も、外に出るのは困難になるから、協会総出で、一体ずつ倒す事になるし。それまで、その『火朽くん』という存在が残っているようだったら、本格的に強制除霊すれば良いかな」

 今はただでさえ、夏瑪夜明が紬のそばにいるというのに、これ以上の怪異になど遭遇させたくはない。縲はそんな事を考えていたのだった。