【1】現存する華族制度



 昔から、この国から華族制度が消えた場合の架空小説は、大人気だ。

 しかし、現在でも日本には、華族制度は存在している。それが変わらない事実だ。

 くだんの東京大震災以降の時流において、細々と続いてきた華族制度が息を吹き返したのは、華族に流れる血には特別な力が宿っているからなのだろう。華族は、地震を引き起こす鯰神や病気を流行らせる鬼神の心を、そこにいるだけで少し平穏に出来るらしい――とは、科学が盛んな時流にあってこそ、再発見された真実だ。

 しかし僕に、その実感は無い。僕はただ、華族として、この国に生まれただけだ。

「良いかね、梓(あずさ)。華族たるもの、常に礼儀正しく振舞わねばならん。それがこの、東眞(あずま)伯爵家に生まれた人間の、生まれながらにしての使命なのだから」

 僕にそう言い聞かせる厳格な父は、今日も同じ言葉を繰り返してから、仕事へと出かけて行った。華族の多くの仕事は、与えられている『管理区画』の平穏を維持する事であり、鯰絵に祈りを捧げてからは、挨拶回りなどをされる形となる。

 華族は裕福だ。存在自体がこの国の宝であるからとして、皆に敬われている。存在が、一般の国民とは一線を画するらしい。伯爵家を継ぐ兄は、既に仕事に出ている。内容は父と同じだ。次男である僕には、それらの仕事は、基本的に回ってこない。

 華族の数は少ないから、なんとかして数を増やそうという努力がなされている。近年の科学では、男同士でも妊娠出産が可能となったため、僕のような跡取り以外の華族は、誰かを迎えて分家を立てる事や、他の華族に嫁いで血をより多く残す事を求められている。

 現在の僕は、十五歳。あと三年ほどで十八歳となり、婚姻が可能な年齢となる。

 今日まで僕は、非常に大切に育てられてきたと思う。

 朝、使用人の手で揺り起こされ、着替えを手伝ってもらい、食事をする。その後は、午前中は教養の家庭教師が訪れて、日替わりで、ピアノをはじめとした楽器や、書道、絵画、礼儀作法などを習っている。

 シェフが用意してくれた昼食をとってからの午後は、主要な教科や語学の学習となる。歴史や国語、数学を学ぶが、一般国民とは異なり、科学の実験は怪我をする危険があるからとして行わない。同様の理由で、体育も学んだ事は無い。決して怪我をしないようにとして、育てられている。語学は、複数の国の言葉の、読み書き会話を習っている。

 そして夜は、家族そろっての夕食となるが、接待などで父や兄は忙しいので、多くの場合、僕は一人で食べている。その後入浴をして、僕は着替えを使用人達に手伝ってもらった後、ベッドに入って就寝する。これが、基本的な一日の流れだ。母は病弱で、現在は入院している。

 僕の母は、女性だ。東京大震災以降、この国では女性があまり生まれなくなり、それもあって同性妊娠の科学技術が発展したという背景もある。そのため、華族の女性は本当に希少だと言われている。華族の女性が家族にいるというだけでも、名誉な事であるらしい。

 そもそも、伯爵家の持つ爵位自体も非常に尊い事柄らしい。華族は、公爵・候爵・伯爵・男爵・子爵からなるが、圧倒的に多いのは、男爵家と子爵家であり、現在少しずつ増えているのも、それらの家柄だ。四十二の都道府県全てを合わせても、伯爵家以上の数は三十も存在しないが、男爵家と子爵家の合計は五百以上だと聞いた事がある。それでも全華族を合わせても、六百は存在しないらしい。全人口が一億二千万人のこの国にあって、五百数十しか存在しない華族は、やはり貴重なのだろう。

 希少な女性を母に持ち、貴重な華族は伯爵家の出自。
 これが、僕の価値であるそうだ。

 家庭教師達に繰り返し、それらを褒められるから、僕もそうなのだろうと認識している。だが、僕はこの東眞伯爵家の外には、物心ついてから一歩も出た事が無いので、実感は無い。

 買い物は全て商人が訪れる。病気になれば、医師が訪れる。母への見舞いには、病院で風邪などを罹患しては困るからと直接出向く事はなく、もっぱら許可された日に映像通信をする形だ。

 東眞伯爵家という箱の中で、僕は大事に大事に育てられている。これは全て、華族として今後、僕が誰かの血を残すために、ひいてはそれはこの国のために必要な事であるらしい。

 僕は、この生活が、これからもずっと続くのだと信じていた。結婚したら何かが変わるのかもしれないとは思っていたが、それはまだ、漠然とした未来の事柄だったのである。

 ――部屋の扉がノックされたのは、僕がこれらの事を考えながら眠りに就こうとしていた時の事だった。

『入るよ、梓』

 父の声に慌てて体を起こした僕は、丁度開いた扉を見た。

「梓、実はね――話があってね」
「お話ですか?」
「うん。季己康(きみやす)とも相談したんだがね」

 季己康というのは、僕の兄の名前だ。兄はいつも父よりも遅くまで仕事をしている事が多いから、まだ帰っていない様子だ。

「梓にも、一定の社会勉強をしてもらった方が、今後の婚姻を考えても良いのではないかという話になったんだよ」
「社会勉強ですか?」

 歴史や現代社会という意味ではなさそうだなと、僕は姿勢を正しながら考える。

「学校は社会の縮図というだろう?」
「学校……?」
「これまでは家庭教師に習わせていたが――華族には義務教育免除制度があるからね。ただ、人同士の社会性を学ぶためには、同世代との触れ合いも重要だ。そこで、両家の子息のみが通う事を許されている、それこそ華族とごく一部の選ばれた一般国民のみが通う、季己康も卒業した名門校に、梓も通ってはどうかと話していたんだよ」

 それを聞いて、僕は驚いた。確かに兄上は学校に通っていたが、それは長男だからだと、僕は幼い頃に言い聞かせられたのだ。華族の長男の場合は、人脈作りなどをより密にしなければならないから、学校へと通うらしいのだ。しかし血を残す事を望まれるほかには、特に求められない次男以下は、変な虫がつかないように家にいるものなのだと、家庭教師達は僕に話していた。

「嶺明学園(れいめいがくえん)――名門中の名門だ。既に入学届けは受理させた。次の四月から、全寮制の嶺明に、梓も通うように、ね」

 目を見開いた僕を見て、微笑すると、父は一人で大きく頷いた。僕には、拒否権は無いようだった。