【2】入寮日



 嶺明学園高等部は、盆地に存在している。周囲を山に囲まれている中に、学園を中心とした、一つの都市が形成されていた。小中高が全寮制らしく、多くの生徒は持ち上がりなのだという。

 大学は、この都市の他に系列の大学が国内にいくつかと海外に一箇所あるらしい。それは華族や、両家の――つまりはこの国の中で影響力がある一般国民や、裕福な者などの仕事の関係であるらしい。

 大学生活を送る頃には、僕の兄もそうだが、働き始めている跡取りは多いからだ。僕のような次男以下もまた、見合いなどのためにあちこちへと行く事になる時期といえるから、山奥の中にいたままでは厳しいのかもしれない。無論、厳しくない人々は、持ち上がりでこちらの大学に進学する事もあるようだった。

 僕は東眞伯爵家から出た事がほとんど無かったため、道中の風景も、様々な街並みも、全てが物珍しかった。こうして家の車に送られて嶺明学園に到着したのだが、そこは一個の城のように見えた。既に荷物は宅配便で届いているそうで、車などは学園の敷地内には入れないそうだったから、僕は正門まで続く坂の前で車から降りた。

 本日は初めて制服を纏っている。紺色に金の糸でフチ取りがなされているブレザーで、ネクタイと胸ポケットの前の刺繍は青緑色だ。鳳凰が描かれている。ネクタイピンは銀色で、小さなエメラルドとダイヤがはまっている。僕達の学年の色がエメラルドらしく、現在の二年生はサファイア、三年生はアメジストがはまっていると聞いていた。学年ごとに色が変わるらしい。一学年は四クラスで各二十五名ずつの、合計百名だという。それが三学年なので、高等部の全校生徒は三百名だと聞いた。その中に、ただでさえ国の中では数が少ない華族の子息のほとんどが、ぎゅっと押し込まれているようなのだが、それでも一般国民よりは華族の方が、少数らしい。実際の比率は、僕にはまだ分からない。パンフレットにも、そこまでは記載されていなかった。

 初めて自分の手で持つ鞄には、今はお財布をはじめとした身の回りの品しか入っていない。携帯電話は、入寮時に、学園の支給品を渡されるそうだった。

 長い坂道を上っていくだけで、僕は息切れをしてしまった。これまで陽にあたる事もほとんどない生活だったため、僕の白い肌には日光も辛い。汗が浮かんできて、黒い髪が少しだけこめかみに張り付きそうになっている気がした。何度か立ち止まりながら、僕は必死で坂道を登る。まだ早朝のせいか、周囲には人気が無い。

 なんとか登りきり、僕は南寮を目指した。学院の敷地の東西南北に、それぞれ寮があるらしい。北は教職員、東西は一般国民、南が華族や、一般国民の中でも特別な生徒のための寮だという。ただしこの『特別』とは、学園の中での役職によるそうだった。生徒会の生徒などを示すようだったが、あまり詳しい事はパンフレットには載っていなかった。

 看板があったので、どちらが南かはすぐに分かった。朝靄に覆われた道を歩き、僕は南寮を見つけた。門の前には守衛さんがいた。彼らは正門の前にも立っていた。僕を見ると、そこにいた二人は恭しく頭を下げたのだが、僕は『華族たるもの一般の平民に頭を下げるのは恥』として育てられてきたので、素通りして中へと入る。

 すると玄関の正面に、長机があった。靴は自室で脱ぐらしい。それ以外の場所は原則土足のようだった。机の前には、一人の生徒が座っていて、ネクタイピンから三年生だと分かる。彼は、僕を見ると顔を上げた。

「一番乗りだね。名前は?」
「東眞梓と言います」

 先輩には一応敬語が良いだろうと判断をした。学生同士の場合は、表面的には爵位より学年が優先されると兄に教わったからだ。

「僕は寮長の、日向楓(ひゅうがかえで)。よろしくね――ええと、東眞くんの部屋は……っ、二階の角部屋!?」

 寮長と名乗った日向先輩が、驚いたように机の上の紙と僕を交互に見た。それからまじまじと僕を見た後、なにか納得するように、大きく頷いた。

「南寮の二階の角部屋があてがわれるのは、五年ぶりの事だけど、君なら納得かな」
「え?」
「この部屋はね、『特別』なんだよ」
「特別?」
「美しすぎて、周囲から被害を受けかねない生徒、高貴すぎて被害を被る生徒、その両方を兼ね備えた場合にのみあてがわれるんだ」

 僕は自分の身分を思い出した。伯爵家以上の人間が、僕の他にはいないのかもしれない。美しいというのは、華族の次男以降は結婚に備えて自分磨きを強いられるので、僕でなくとも誰だって美しくなる。しかも学園は長男が多いはずだから、次男で外見にも気を使うよう礼儀作法の一貫で叩き込まれてきた僕は、この学園からすれば珍しいのかもしれない。

 ――しかし、被害とは、何だろう? それはよく分からなかった。

「これが部屋のカードキーと、学園専用のスマホ。いくつかの制限がされているけれど、自由に使って。授業用のタブレットは、オリエンテーションで配布があるから。部屋にはキッチンもあるけれど、一階に食堂、部屋にもルームサービスを呼べるから、あとは気楽にね。シャワーもあるし、トイレもある。不便は無いよ。部外者立ち入り禁止だから、身の回りの事は自分でしなければならなくなるけど、シーツ交換や清掃には、授業中に業者が入るから安心して良い」

 寮長はそう言うと立ち上がり、僕を見た。

「送るよ」

 こうしてエレベーターホールまで促され、僕は二人で中に乗り込んだ。そして到着した二階で長い廊下を歩く。二階には、四部屋しかなかった。多くの寮生は三階より上の部屋らしい。二階は非常階段以外は施錠されていて、普通の階段でも入る事はできず、エレベーターも専用の部屋の鍵を持つ人間か寮長でなければ、ボタンが反応せず外部の者は立ち入りできないようになっているそうだった。

 こうして部屋の前まで送ってもらい、僕はそこで寮長と別れた。部屋の中には、宅配便が届いていたが、既に荷物は各地に配置されていた。これは、事前に家の使用人が特別に入って、設置をしていったようだった。

 今日から僕は、ここで新生活を始めるらしい。これまでの人生とは全く違う。
 そう思えば、少しだけ心が躍ったが、どちらかというと不安が募った。