【2】
「本当に役立たずだな!」
王宮では、闇猫の隊長である、ゼクス=ゼスペリアが怒られていた。時東と高砂が視線を交わす。ゼクスは、最下層のゼスペリア教会の牧師だ。現在孤児はいないから、教会で一人暮らしているのを、高砂も時東も知っている。なにせ同じ地域に暮らしているのだから。
――闇猫は、立場が弱い。
理由は一世代ほど前にさかのぼる。蒼い扇修道会が、内部から闇猫を乗っ取った事があるのだ。その際、闇猫は、ギルドや院系譜、黒咲、何より猟犬と対立し、敵対した結果、重要人物を殺めたりまでしたのである。実の所、時東の両親や高砂の両親も、闇猫に殺害された。無論、ゼスペリア教の人間側にも多くの被害は出たが、今でも扇というよりは闇猫自体が、憎しみの対象であったりもする。
勿論、ゼクスが悪いわけではないのは、誰にだって考えれば分かるだろう。そういった過去があるから、誰もやりたがらなかった闇猫の隊長職を、蔑まれている最下層の牧師が押し付けられたというのが正確な所だからだ。凄惨な事件の頃、ゼクスは生まれていたかいないかといった頃合だ。現在ゼクスは二十七歳、時東の一つ年下である。
「……」
闇猫を嫌悪している貴族連中は、ゼクスを囲んで糾弾している。これは日常風景だ。ゼクスがゼクスであると高砂と時東は知っているが、現在ゼクスの顔は見えない。闇猫の正装は、黒い猫面を付けるからだ。同様に、時東も現在は黒いローブ姿だ。高砂も列院総代としては参加しないので、同じように顔を隠している。時東と高砂がお互いの素性に気づいたのは、休憩中の喫煙所での出来事だった過去がある。二人共に喫煙者だったからだ。
「……すみませ、っ」
ゼクスが謝ろうとした時、貴族がゼクスを蹴った。受身を取ってはいたが、もろに腹部に入っていた。高砂は考える。最下層で見ていた限り、ゼクスの武力はガチ勢の中でも――低い。ただ牧師というだけで、闇猫業務を押し付けられただけらしい。
「あー、そろそろ会議だなぁ」
そこへ時東が大きな声を放った。こちらは、比較的善良な人物なので、それとなく助けに入ったのである。高砂もまた悪い人間ではないが、率先して闇猫を助けようとは思わない。その程度には、闇猫という存在は恨まれている。そもそも扇に付け入られるような隙があったのが悪いのだから、という理屈だ。
ギルドのロードクロサイト議長の声に、貴族達が舌打ちして散った。蹲ったゼクスが咳き込んでいる。それを助けるまではせず、時東は高砂と共に席へとついた。その後、猟犬で副隊長をしている榎波と、王家の分家で避難誘導担当の橘が加わり、体を引きずるようにして席にゼクスがついた後、会議のメンバーが揃った。榎波は華族でもあり、黒咲の代表も兼ねている。高砂は院系譜の代表も兼ねているという部分は公言しているので、各組織から最低一名は出席している形となった。
「で、ゼスペリア十九世猊下は見つかったのか?」
榎波が切り出すと、茶の用意を手ずからしながら、橘が苦笑した。
「十八世猊下が暗殺されてるのに、いるのか? 本当に」
それが皆が知る事実だった。四人は、一番詳しいはずのゼクスへと視線を向ける。しかしゼクスは俯くだけだ。実際、いきなり隊長にされただけであるから、何も知らないのである。
この世界には、男しか存在しない。大昔の文明のPSY融合科学兵器の影響だ。しかしその当時に生み出された技術で同性妊娠が可能である。よってゼスペリア十九世猊下が存在するとすれば、十八世猊下が存命中だった約三十年前の前後数年に生まれている可能性が高い。亡くなったのは二十五年前だという話が残っている。大病を患っている中で、扇と戦ってもいたらしい。
「何か手がかりはないのか?」
淡々と榎波が問う。榎波もまた両親を闇猫に殺害された一人だ。しかしその結果、最下層に一時期預けられていたため、榎波もまたゼクスと面識がある。二人は幼馴染だといえるだろう。それは時東も同じだが。なお橘と高砂は、兵器研究者同士でそれなりに親しい。
「……」
「さっき内の副議長と話したんだが、扇を殲滅するんじゃダメなのか?」
時東がロードクロサイト議長として提案すると、榎波が腕を組んだ。橘はお茶を配る。
「私もそれで良いと思うが、サイコメモリックが煩いだろう。保護しろ保護しろと毎日のように」
それもそうだなと、時東と高砂はほぼ同時に小さく頷いた。橘が、いつもサイコメモリックが出現する壁の方を見る。ゼクスは何も言わず、俯いていた。
こうしてこの日も、会議は何の成果もなかった。
「パスタでも食って帰るか」
時東が終了時刻になったので、高砂に声をかけた。
「そうだね」
丁度昼食時である。お腹がすいたなと高砂は考えた。
その時――立ち上がったゼクスがよろめいた。
「おい?」
隣に座っていた時東が、慌てたように抱きとめる。そのままゼクスは動かない。
「……っ」
時東はそれから、己の掌を見て息を呑んだ。鮮血で濡れていたからだ。
「酷い怪我じゃないか――っ、おい! 王宮には備え付けの医療用ベッドがあるだろう? 即、出せ」
「ゼクスが怪我? おい、橘。私は出し方を知らない」
「あ、お、おう。だすだす!」
高砂は、動揺している三人と、動かないゼクスを眺めていた。