【3】


「それで? ゼクスの具合はどうなんだ?」

 榎波が冷静な声で言った。けれどその表情は、不機嫌そうであったし、本心では心配しているのが滲んでいる。

「腹部に裂傷。杜撰な手当で辛うじて塞がっていた皮膚が――まぁ誰かの足蹴で再び破れたらしい」

 時東は白衣に着替えようか悩んでいたが、身元が露見しても面倒だと踏みとどまる。専用の白衣には、PSY融合繊維と呼ばれる特殊な素材が用いられているのだが、それは黒色のローブも同様であったから、そこまでの差異は無い。黒色の正装は、日々進化を遂げていて、アップデートが頻繁に行われ、再支給されているのである。

「さっき、貴族が蹴ってたもんな」

 ポツリと橘が呟いた。王族の血を引き、現国王の従兄でもある橘は、元々の性格が優しいのもあるが、王室の猟犬の所属であるので、過去に一番、闇猫からの被害が少なかった。

 簡単に言ってしまえば、青い扇修道会との戦いは、宗教戦争だ。そこには、王政はあまり関連しないらしい。そうであるから、彼は素直に、怪我人に同情していた。当の怪我人であるゼクスは、未だ目を覚まさず、青白い顔で瞼を伏せている。猫面は、時東があっさりと取り去った。

 高砂は、横たわるゼクスを見て、愛も変わらず端正な顔をしているなと考える。今、この緊急時用ベッドの周囲には、榎波・橘・時東・高砂の四名しかいないが、もしも多くの貴族がゼクスの顔立ちを知ったならば、恐らくは暴力の他に、性的に嬲られる行為が加わるのだろうと想像するのは易い。それほどに、ゼクスの外見は流麗だ。

 だが、だからと言って、高砂はやはり率先して助けようとは考えない。怪我をする方が愚かであるとさえ感じるのは、彼が武力冠位を全て収めているから――とは、言えないだろう。それは時東も同じだ。ただ、時東の場合は、医師としての価値観が横たわっている可能性もあったが。

「ン……」

 その時ゼクスが小さく呻き、ピクリと体を動かした。意識が戻ったらしい。その様子には、一応高砂も含めて、皆が安堵した。時東が声をかける。

「ゼクス、大丈夫か?」
「……ロードクロサイト議長……俺は、一体どうしたんだ?」
「逆に俺が聞きたい。その腹部の怪我は、一体どうしたんだ?」

 ゼクスの言葉の一部を鸚鵡返しにした時東は、それから嘆息した。傷跡から判断して、生体兵器から受けた怪我だ。闇猫は、いいやゼクスは、繰り返すが、非常に弱い。本来であれば、単独で兵器討伐など困難だろうに――頑張っているのが分かる。闇猫にも相応の装備支給がある為、なんとか討伐が可能な状況らしい。

「……廃棄都市遺跡で、ちょっとな。悪い、迷惑をかけたな」

 起き上がろうとしたゼクスの体を、時東が押す。すると抵抗出来ない様子で、再びゼクスがぐったりと体を寝台へと預けた。

「点滴が終わるまで、お前は絶対安静だ。寝てろ」

 そう宣言した時東は、それから一同を見た。

「別に会議はゼクス不在でも、問題は無いだろう? いるかも不明な、ゼスペリア十九世猊下についての雑談しかしていないんだからな」

 皆が頷く。するとゼクスが、小声で言葉を紡ぐ。

「……後で、報告しなければならないから、会議の内容を教えてもらえないか?」
「おーおー分かった」

 生真面目なゼクスの頭を軽く叩いて、時東が頷く。
 こうして四人は、寝台のすぐそばの円卓に移動した。寝台自体は、周囲に不可視用の結界が展開されている。防音でもある為、会議の話し声も聞こえない。

「それで? ゼスペリア十九世猊下の話だったっけ?」

 時東が仕切り直すように言うと、皆に改めてお茶を振るまいながら、橘が頷いた。そして、ポツリと言う。

「俺的には、ゼクスの顔面の壮絶な綺麗さと破壊力に、頭がパーンってなってるのに、なんでお前らは平気なのか議論したい」

 最下層とは、ごくたまに高砂の研究所に出かけた事がある程度で関わりの無い橘は、心底驚いていた。それが通常の反応だろうと、榎波も時東も高砂も考える。よって、貴族連中には、あまりゼクスの素顔を見せるべきではないというのも、口には出さないが三人の共通見解だった。

「あいつは、顔だけは良いんだ」

 榎波がカップを手に取りながら呟くように言った。それを聞いて、時東が腕を組む。そうしてチラリと高砂を見た。視線を感じた高砂は嘆息しながら続ける。

「顔がいくら良くても、実力が無ければ、どうしようもないけどね」

 なお、榎波も時東も高砂も橘も、顔面には定評が有る。鏡を見慣れている彼らは、冷静にゼクスの顔立ちについて受け止める事に内心で決める。高砂の言葉が真理だからである。

 そこへ、踵の音が響いてきた。一同が半ば無意識に視線を向ける。するとそこには、このラファリア王国の宰相である、英刻院藍洲が立っていた。彼は、英刻院閣下と呼ばれる事が多い。

 ――美貌と金で爵位を買った、と、揶揄される事もあるほど、彼もまた麗しい顔立ちだ。金色の髪も絹のような白い肌も、実際に麗しい。黄色い貴族服は、双子の義兄弟の兄を彷彿とさせる。もっともあちらは、もっとラフな格好であるが、PSY融合繊維の布地の色が同じなのである。現在ではこの国で唯一、大公爵の爵位を保持しているのが彼だ。

 実際は揶揄されているだけで、彼がいなければこの国は回らない。だが毒舌が災いし、貴族付きあいも影響し、彼は陰口を叩かれる事が非常に多いのだ。中身を深く知れば、決して性格が悪いわけではないと分かるのではあるが。

「ゼクスの姿が見えないが、一体どこへ行ったんだ? そして、そこの、寝台はなんだ?」
「英刻院閣下、ゼクスは、生体兵器討伐で負傷していたらしく、倒れたので点滴中だ」

 時東が答えると、英刻院閣下が小さく息を飲んだ。それから険しい顔に変わる。

「以前から考えていたんだが、各組織ごとではなく、王室の猟犬の指揮下にあるのだから、個別編成で討伐にあたってはどうだ? 実力差が乖離しているだろう」

 暗に闇猫が無力であるから、他組織の人間との混成部隊を作るべきだという提案に――四人は沈黙した。それは実際適切だろう。しかし、感情的な問題がある。闇猫は、それほどまでに疎まれている存在だ。

「それぞれの組織の面々の説得程度、隊長職にあるといえる貴様らならば可能だろう? それすらも出来ないほどの無能だったのか? それで茶会か? 全く呆れてものも言えんな」

 糾弾するような英刻院閣下の声に、四人はそれぞれ視線を交わした。

「――善処します」

 最初に口を開いたのは、高砂だった。時東達には、それが意外だった。しかし高砂の場合、万象院戸籍を保持する武装僧侶――即ちガチ勢という、ゼクスを幼い頃から知る最下層の面々がいる為、非常に編成が簡単なので、適切な英刻院閣下の指摘に無駄に反論しようとは考えなかっただけである。

 しかし高砂が同意してしまった以上、他の組織が何もしないというわけにはいかない。

「黒咲には私から話してみるが、決して結果を期待しないで欲しい」

 榎波が言うと、至極面倒くさそうに時東も頷いた。

「黒色にも期待は、あんまりしないでくれ」

 こうして話がまとまった。満足そうに頷き、英刻院閣下は踵を返したのだった。