【SS】ご機嫌斜め



 今日は、ローラと待ち合わせをしている。全く……待ち合わせを出来る仲になっただなんて、本当に照れてしまう……。

 ローラは、吸血鬼である。俺は、藍円寺という、ほぼ廃寺に等しい寺の住職だ。無論そちらの収入では食べていけないため――除霊のバイトをして生計を立ている。そんな中で、俺はローラと知り合い、恋に落ちた。ローラは、俺にとって天使だといえる。大好きすぎる。

「藍円寺?」

 俺がローラを見て悶えそうになっていると、絢樫Cafeのカウンター席から、ローラが振り返った。視線が交わうだけで、どきりとしてしまう。俺はゆっくりと唾液を嚥下し、平静を装った。

「ローラ、少しここで待っていてくれ、所用が出来たんだ」
「所用?」
「ああ、すぐに戻る」

 寺の収入では食えないため――俺は、非常識なバイトに励んでいるのだ。具体的には、心霊現象に対処するバイトである。俺のバイトは、除霊だ……。ローラに詐欺師だと思われたくないわけではない。なにせローラ自身が怪異だ。ただ、最近のローラは俺を心配して付いてくるから、非常に危険だと俺は思う。ローラに被害が及ばないように、俺はひとりで除霊に行きたい。

「藍円寺」

 その時、ローラが俺の名前を呼んだ。藍円寺享夜が俺の名前だ。

「なんだ?」
「昨日もそう言ったよな?」
「……」
「なお言えば、一昨日もそう言ったよな?」

 ローラが長い腕を組み、顎を持ち上げた。そして、麗しい顔で俺を見ている。

「き、昨日も、一昨日も、その――」
「俺を伴わないで、危険なバイトにはいかないようにと、何回言ったらわかるんだ?」
「……」
「仏の顔も三度まで――と、言うんだったか」

 そう言うと、ローラは立ち上がった。そして俺の前に詰め寄ると、じっと顔を覗き込む。あまりにも距離が近くて、俺は狼狽えた。一歩後ろにひこうとすると、襟首に手を添えられて、覗き込まれる。

「今日こそは、俺を連れて行ってくれるよな?」
「……だ、だけどな、危険だし……」
「三度目の正直という言葉がある。お前が俺を連れて行くならば、今宵はそうなる」

 ローラの瞳が、僅かに仄暗く変わった。俺は息を呑むしかない。
 ……俺だって、怖い除霊現場は嫌だ。だが、ローラが危険な目に合う方がもっと嫌なのだ。

「ローラ……待っていて欲しいんだ」
「藍円寺。それがお前の結論か?」
「……」

 見下すように言われて、俺は泣きたくなった。だって……ローラに何かあったらと思うと、それが嫌すぎて、他には何も考えられなくなってしまうのだ。だが、眼差しからも口調からも、ローラが求めている言葉は別にあるのだというのは、よくわかる。

「ちょっと、トイレの花子さんと対話してくるだけなんだ。だから、ローラは待っていてくれ」
「……この国は、平和ボケした名前の妖の方が悪質らしいから、俺には何とも言えない」

 必死で俺がひねり出した回答を、ローラが切り捨てた。

「ローラ、俺は大丈夫だから」
「何を根拠に……藍円寺。お前は、俺がお前をどれだけ大切に思っているのか、全く理解していないな」
「え?」
「で? じゃあ、どうすればいいんだよ? 藍円寺の希望的に」
「……ここで待っていてくれ」

 俺の言葉に、ローラが片目を細めた。それから、俺をじっと見る。

「じゃあもしも、危険な目にあったならば、以後二度と、俺を伴わないで出かけないと誓うか?」
「え? あ、ああ……」
「ふぅん」

 ローラは、頷いた俺を見ると微笑した。それから、指をパチンと鳴らす。

「じゃあ行け。今日危険な目にあったら、次からは絶対俺を連れて行くようにな」

 俺はその言葉に、頷いてみせた。だが、本心では逆の事を思っていた。仮に危険な目にあったならば、それこそローラを伴う事など出来ない。ローラが心配で何も手につかなくなってしまうからだ。

 そんなこんなで――約束の時間が迫っていた事もあり、俺は絢樫Cafeを後にした。それからしばらく歩き、約束の小学校へと到着した。

「ようこそおいでくださいました、藍円寺さん」

 教頭先生に促され、俺は一礼してから、三階の女子トイレへと向かう。
 時刻は、逢魔が時だ。窓からは、薄闇にのまれつつある夕焼けが見て取れる。
 もう……この風景だけで、俺は恐ろしい。

 そんな俺を残し、教頭先生はその場を後にした。立ち会ってくれれば良いのに……!

『私を除霊しに来たの?』

 その時――高い少女の声が聞こえた。ゾクッとした俺の背筋が泡立つ。

『私は、何も悪いことをしていないのに。ただ、みんなと遊びたいだけなのに』
「……か、かん……じ……ざい……ぼさつ……」
『どうして私はここにいてはダメなの?』

 少女の悲痛そうな声音に、俺は、般若心経を唱える事に失敗した。悲愴が伝わって来る。

『みんなと一緒にいられないなら、私はひとりきりね』
「……」
『なら、あなたが一緒にいて――』

 そんな少女の声が響いた直後、閉じていた扉が勢いよく開いた。俺がうろたえて錫杖を握り締めた時――強い風が、その場を駆け抜けた。

「ダメだ。藍円寺は俺と一緒にいるから、お前のそばにはいられねぇんだよ」

 ほぼ同時に、ぐいと後ろに引き寄せられて、俺は瞠目する。反射的に顔を向けると、ローラの姿がそこにはあった。

「藍円寺。ほーら。こういう危ないのがいるから、俺を連れて行かないとダメなんだぞ」
「ローラ……」
「心配した」

 そのまま後ろから、ローラが俺を抱きしめた。俺は思わず赤くなった。

 ――この日を境に、俺はローラを連れてバイトに行くようになる。



(終)