【番外】幸せの捕まえ方






「良いか、今日の宿題は、『星を捕まえてくる事』だ」

 机の上に両手を置いて聞いていた俺は、思わず半眼になった。
 確かに夜空の星は、手を伸ばしたら、届きそうに思える。けれど、今日の理科の授業で、ずっと遠い場所にあるのだと教わったばかりだ。

 悩みながらも、俺はランドセルに教科書をしまった。
 それから教室を出て生徒玄関まで向かうと、二番目の兄、昼威の姿があった。俺は三人兄弟の末っ子だ。

「遅かったな、享夜」

 学年では四つ違う兄の昼威は、現在小学校五年生だ。俺はまだ二年生だ。約束をしているわけではないが、大体いつも、一緒に帰っている。

「なぁ昼威」
「なんだ? 帰るぞ」
「あのな、宿題が出たんだ」
「明日の朝にでも適当にやったら良いだろう」
「……朝じゃ、ダメだと俺は思う」
「なんで?」
「その……星を捕まえろという宿題なんだ」

 五年生なら、答えを知っているかもしれない。そんな淡い期待を胸に俺が尋ねると、歩き出した昼威が首だけで振り返った。

「写真を撮れという話か?」
「いいや。捕まえろと言うんだ、先生は」
「――ほう」

 二人で正門に向かって校庭を横切りながら、暫し歩いた。昼威は、何度か考えるように桜並木の土手を見たり、空を見上げたりしていた。まだ一番星が輝く時間でも無い。

「じゃ、捕まえに行くか」
「え?」
「ランドセルを置きに行くぞ」

 昼威が足を速めたので、俺はあとに続く。俺達は、藍円寺という寺の息子だ。スクールバスに乗り、地蔵前のバス停で降りてからは、二人で坂道を歩いた。

「星を捕まえるなんて、出来るのか?」
「多分な」
「どこに星は住んでいるんだ?」
「寺の周りにもいると思うぞ」
「星が?」

 俺には分からない事だらけだった。
 帰宅すると、今日は葬儀が入っているらしく、両親の姿は無かった。俺と昼威はランドセルをそれぞれの部屋に置いてから、居間で合流した。昼威は、虫かごを持っている。

「おい、昼威」
「なんだ?」
「星は、確かに目で見ると小さいけどな……虫かごに入るのか?」
「安心しろ、大きすぎるくらいだ」

 その後、兄に連れ出されて、俺は藍円寺の庭に出た。緑の木々の合間を進み、昼威と共に花壇の前に立つ。

「いた」
「? 昼威、これはてんとう虫だぞ? 星じゃない」
「ああ、てんとう虫だ。ナナホシテントウムシ」
「ナナホシ……?」
「七つの黒い模様を、七星と言うらしい。何も惑星を捕まえろと言われたわけではないんだろう? これも立派な、星だ」

 昼威が笑顔になった。俺は目を丸くし、それから思わず両頬を持ち上げる。昼威は頭が良い。俺よりも、ずっと。テストでもいつも満点だ。意地悪だけど、自慢の兄だ。

「てんとう虫は、幸運の象徴でもあるらしい。享夜は、幸せも捕まえたらしいな」
「有難う、昼威」
「お礼は今日のおやつのケーキを、お前の分も俺に寄越すだけで構わないからな」

 兄の体が、実物よりも大きく見えた。
 胸が満ちる。
 そんな、幼少時の懐かしい記憶。翌日の理科の時間には、先生に褒められたのだったか。輝かしい思い出だ。

 ――あれから二十年。
 俺は二十七歳になり、藍円寺の住職となった。今でも春と夏の中間になると、庭に出て、てんとう虫を探してしまう。既に十分幸せなのだが、無意識だ。

「何を見てるんだ?」

 すると写経に訪れていたローラが、俺の肩に触れた。ローラは、俺の恋人だ。振り返り、俺は改めててんとう虫を視線で示す。

「幸せを捕まえた事があったなと思い出していた」
「幸せ?」
「てんとう虫を捕まえるというのは、幸せを捕まえるという事でもあるらしい。昼威からそう教わった事があるんだ」

 俺が昔話を語ると、ローラが何度か頷いた。そして、後ろから俺を抱きしめた。

「俺も捕まえた」
「え?」
「藍円寺を捕まえたら、それは幸せを捕まえたのと同じ意味になるんだよ、俺の中では」

 回されたローラの腕に触れながら、俺は思わず吹き出した。
 その温度を愛おしく思いながら、俺は目を伏せたのだった。