ダイニングバー


「藍円寺、たまには飲みに行かないか?」

 その言葉に、俺は首を動かして、ローラを見た。

 現在はバイトが終わった所で、俺は二人分の缶コーヒーを購入しようと、自動販売機の前に立っている。

 俺は、お酒が嫌いではないが、決して強くはない。その点、一つ上の兄である昼威は酒好きだ。

 ローラとお酒を飲んだのは、バレンタインに一度きり。いいや、あの時は、俺しか飲まなかった。ローラがカクテルを作ってくれたのである。

「どこか行きたい店でもあるのか?」

 俺が問うと、ローラが形の良い唇の端を持ち上げた。

「ちょっと気になる店があってな。俺、藍円寺と、どうしてもいきたい。ダメか?」

 ローラのお願いに、俺は弱い。断れるわけもなく、というよりも、半ば無意識に、俺は頷いていた。

 その後、結局缶コーヒーは買わず、俺達は、除霊のバイト先を後にした。

 暗い夜道に出るとすぐに、ローラは俺の手を握った。本日も恋人つなぎだ。いちいち俺は赤面しそうになるから困る。ローラの体温に慣れる日は、果たして来るのだろうか?

「藍円寺」
「なんだ?」
「好き」
「っ、な、なにを、急に」

 顔がにやけそうになったが、俺は努めて平静を装うべく表情筋を叱咤した――が、結果ローラを睨んでしまった。俺の目つきの馬鹿……。

「藍円寺は?」
「……」

 恥ずかしくて言えないが、当然大好きだ。

「暗示がないと言ってくれないんだもんなぁ、お前」
「そ、それは……」
「飲んだら本音が出るか?」
「いや……俺は、そこまで飲む方じゃない」
「ふぅん」

 ローラは俺の返事を聞くと、ギュッと手に力を込めた。

「ま、俺も空気感が好きなだけで、酔っ払う方じゃねぇよ。藍円寺と楽しいひと時を過ごしたいだけだからな」

 そんなやりとりをしながら、俺達は徒歩で駅前へと向かった。そして一本路地を外れた場所にある、小さな創作居酒屋の前にたどり着いた。先導してくれたのは、ローラだ。

「こ、ここなのか……?」

 雑居ビルが立ち並ぶ、普通の繁華街であるはずなのに、正面にあるその店は、なんとも禍々しい空気を放っているように思えて、俺は萎縮した。

 看板には、【カルミーラ】と書いてある。
 ダイニングバーらしい。

「おう。ダンピールがやってるという噂でな」
「ダンピール?」
「半分だけ吸血鬼」
「知り合いか?」
「いや、以前からこの土地にいたらしい。挨拶がてらというか、狩りにも同族だから様子見でもと思ってな」

 ローラはそう言うと店の扉を開けた。鐘の音が響く。
 中に入るとジャズが流れてきた。

「いらっしゃいませ」

 声をかけてきたのは、二十代半ば程に見える青年だった。

 どこか紫味のかかった銀髪をしている。瞳の色は青だ。染めているのだろうし、カラーコンタクトなのだろうが、俺には天然の色彩のようにも思えた。

 店内にはカウンター席の他は、テーブル席が三つある。
 客は誰もいない。

「よろしければこちらへ」

 神羅という名札をつけた店主らしき青年の声に、ローラが天使のような微笑を浮かべた。

「ああ、ぜひ」

 こうして俺とローラは、カウンター席の右端に並んで座る事になった。
 するとミックスナッツが置かれた。ローラが俺の前にメニューを広げる。

「何、飲む?」
「え、っと……ジントニック」

 残念ながら、俺にはほぼ、カクテルの知識はない。

「じゃあ俺は、まぁ、無難にマンハッタン。マンハッタンを飲むと、その店のレベルが分かるしな」

 冗談めかしてローラが言った。俺にはその横顔があんまりにも麗しく見えた。

「ハードルが上がりましよ!」

 神羅青年は気を悪くした風でもなく、肩を竦めてそういった。

「藍円寺、何が食べたい?」
「あ……ええと、カルツォーネ?」
「おう。じゃ、俺は鳥のたたきとシーザーサラダ」

 ローラは頷くと、カクテルを振っている店主を見た。

「――と、あとは適当におすすめをくれ」
「かしこまりました」

 こうして見ていると、事前にダンピールと聞いてはいたが、どこからどう見ても人間にしか見えない。

 しかし……店内の雰囲気は禍々しい。
 正直怖い……が、今は隣にローラがいる。怖がっている姿など見せたくはない。
 だが――その不安はすぐに消えた。
 頼んだ料理が届き、ジントニックのいっぱい目を飲み干した時、思わず俺は呟いた。

「美味しい……」
「俺もこの店、気に入った」

 俺達の言葉を聞いていたらしい神羅くんは、喉で笑う。

「これからもぜひ来てくださいね」

 この日、ローラが直接彼に、ダンピールである事について触れる事は無かった。
 以後、俺達は時折、カルミーラというこの店に、仕事終わりに出かけるようになる。