一夏の遠出
俺は、新南津市の片隅にある、藍円寺で住職をしている。ほとんど廃寺に等しく、そちらの収入はほとんど無い……。この新南津市、何かとオカルト現象に肯定的な土地であり、俺は――基本的に、除霊のバイトでご飯を食べている。
元々は一人でバイトに励んでいたのだが、最近は恋人のローラと一緒に活動している。漢字だと絢樫露嬉と書くそうだ。最初俺は、海外の人かと思っていた。だが実際には、人間ですら無かった。吸血鬼だったのである。
愛は、国境はおろか、種族を超えるのだと俺は思っている。
「藍円寺さん、絢樫さん、今日も有難うございました!」
煩悩まみれの思考が、依頼主の言葉で引き戻された。慌てて顔を上げると、本日のバイト先のホテルの支配人さんが、満面の笑みを浮かべていた。
「こちら、報酬と――それと、親戚が経営している旅館の宿泊券なのですが、宜しければ」
それを聞いて、受け取りながら俺は首を傾げた。
「旅館?」
「ほら、絢樫さんが先日、藍円寺さんとたまには旅行にでも行きたいと仰っていたではありませんか!」
「ああ、俺が言った。ホテルの支配人なら、伝手無いかなぁって」
支配人さんとローラの言葉を聞き、俺は小さく頷いた。昨年は何かとバタバタしていたし、考えてみると俺はあまり新南津市から出ないから、旅行に出かけた記憶が無い。何より、ローラと遠出した……二人きりで泊まりがけでデートをした経験が無い。
「有難うございます」
「楽しんできて下さいね」
そう声をかけられて、俺は曖昧に頷いた。
その後、俺とローラはホテルを出て、近くのカフェに向かう事にした。隣を歩くローラは上機嫌に見える。ローラが嬉しそうだと、俺も嬉しい。
「いつ行く?」
「そうだな、ローラはいつ、都合が良い?」
「俺は藍円寺に合わせる。いつでも空ける」
「宿泊券には、八月末の一泊二日とある」
「じゃあその日程にしよう。折角だから、ぱーっと休んで旅でもどうだ?」
「ローラが行きたいなら……」
「俺は藍円寺と一緒にいたい」
ローラの言葉が、いちいち嬉しい。こうして俺達は、旅に出かける事に決定した。
八月三十日、早朝。
俺とローラは、旅の目的地である福島県会津地方を目指して、新南津市を出た。
一端東京を経由する事になり、そこまでは電車で向かった。
初日は移動と、宿泊券を貰った旅館でゆっくりする事を目的としている。旅館は、芦ノ牧温泉と呼ばれる一帯にあるそうだ。東京から目的地までは、浅草始発の鈍行か、新宿や池袋から乗車可能な特急があるらしい。今回俺達は、新宿から乗車し、栃木の鬼怒川温泉で乗り換えて、会津田島駅をまずは目指した。
田島駅で会津若松に向かう乗り換え列車を待っている時、ローラが俺を見た。
「ちょっと改札を出てくる」
「トイレか?」
飲み物ならば、ホームに自動販売機がある。俺が見ていると、ローラは笑って小さく頷き、出て行った。なお、列車にもトイレはついているが、確かに駅の中の方が良いだろう。
少しするとローラがビニール袋を持って戻ってきた。
「さ、乗るか」
「ああ」
こうして俺達は次の列車に乗った。そして四人がけの席に二人で向かい合って座る。進行方向は俺、逆側がローラだ。ローラがその時、袋から箱を二つ取り出した。
「あ」
見れば駅弁があった。南山の松茸の二段弁当と書いてある。
確かに時刻はもうお昼だ。旅館では夕食から出る予定だったから、昼食をどうするのか俺は失念していた。
「食べるか」
「有難う、ローラ」
早速蓋を開ける。二段重ねのお弁当は、巨大な松茸がのる炊き込みご飯が一段、おかずが一段という構成だった。輝くような黄色い厚焼きたまご、ゴボウの煮物、魚の天ぷらなどなど、どれも美味しかったが、中でも大きなエビの天ぷらが格別だった。これを食べられただけでも、この旅は成功な気がする。夢中で食べおえた時、不意に視線を感じて顔を上げると、ローラが俺を見ていた。
「美味いな。俺はコレ、好きだな」
「あ、ああ。こんな駅弁があるなんて知らなかった」
「俺も調べておいて良かったと思ったぞ」
「ローラは準備がいいな」
「折角の藍円寺との旅行だからな。喜ぶ藍円寺が見たい」
もう既に見られていると思う……。
なんだか照れくさくなってしまった。
「南山と、あの辺りは呼称されていたみたいだな。会津藩と、今で言う新潟の県境の、幕府直轄領地で」
ローラはそう言うと、こちらも駅で買ってきたらしい歴史と逸話がメインの雑誌を片手で俺に見せた。お蔵入り領地に関する頁を俺に見せてくれた。
「福島――それに会津、と、一口で表しても広いな」
俺はコレでも一応仏門の徒なので、会津と言えば、会津の仏教ばかり思考に上ったが、ローラと雑誌を見ながら話していると、様々な文化を感じて面白かった。
その後電車は順調に進み、俺達は会津芦ノ牧駅で降りた。
「知ってるか?」
「ん? 何をだ?」
「この駅には変わった駅長がいるらしいぞ」
ローラの声に俺は、周囲を見渡した。二人で改札を通りながら、俺は周囲を見る。そして、思わず吹き出しそうになった。そこには、駅長風の帽子を被った猫がいたからだ。モフモフの毛が愛らしい。首輪もつけている。
「ローラ、猫の駅長か?」
「らしい。アテンダントやら施設長もいるらしいな」
「猫も働く時代か」
「アヤカシも働く時代だからな」
そんなやりとりをしながら、俺達は外へと出た。
目的の旅館は、大河荘という。
白い外観のその旅館は、緑に囲まれた場所に立っていた。裏手には川が流れている。夏も深まった現在、緑に囲まれたその建物はよく映えていた。
受付を済ませた俺達は、最上階にある特別室――宵月亭の勿忘の間へと向かった。最大八人で宿泊可能な部屋であるようで、ちょっと二人では広すぎると思う。金と緑を基調とした室内には、掛け軸がかけられていた。窓の外には緑の木々が見え、下方には川がある。備え付けの露天風呂もあるらしい。
俺が窓の外を眺めていると、不意に後ろからローラに抱きしめられた。
自然は綺麗だ。大自然は本当に綺麗だ。
だけど、ローラといると、どうしてもそちらに意識がいってしまう。
俺にとっては、何よりもローラが綺麗に見える。
そんな事を思いながら、俺は振り返った。するとそんな俺の顎を、クイと長身のローラが持ち上げて、啄むようにキスをした。この温度にも、段々慣れてきた気がする。もう、俺達は付き合ってから、結構経っているんだなと改めて思う。なのに、いつだってローラの事が好きすぎて、俺の鼓動は煩い。
端正なローラの長い指先が、それから俺の頬に触れた。
「藍円寺は、どこにいても美人だな」
その声に、カッと俺の頬が熱を帯びた。俺は決して美人ではない。どこにでもいる平々凡々なおっさんに片足を突っ込んでいる二十代後半のおかしなバイトの……と、思いつつも、ローラが本当にそう感じてくれているなら、男ながらに嬉しいと感じてしまう。
俺の唇を、ローラが指先で撫でた。なぞられる度に、体がピクンと跳ねてしまう。
「お前の唇が欲しい」
「……ローラ、あ、あの……んン」
聞かなくて良いと言おうとした瞬間には、唇を塞がれていた。次第に深くなるキスに、俺は浸る。俺の首を撫で、鎖骨に触れたローラは、それから俺の額に口づける。
「いいや、嘘だった。全部欲しい」
それは――俺も同じ気持ちだった。
深く深く唇を重ねた数分後、俺は既に用意されていた柔らかな敷き布団の上へと、ローラに押し倒されていた。首元の釦をポツポツと外されながら、赤面した顔をなんとか見せないようにと横を向く。広がっているのは上質な畳だ。
一糸まとわぬ姿になった時、チラリと視線を戻せば、ローラが形の良い瞳に獰猛な色を浮かべていた。強く、惹きつけられる。ゾクリとしながらも、俺はローラのその眼差しから目が離せない。
ローラは、俺の肌を掌でなぞると、唇の片端を持ち上げてから、俺の右胸の突起に吸い付いた。
「ン」
思わず鼻を抜けるような声が出てしまう。舌先で乳頭を転がされ、手では左の乳首を摘ままれた。そこから響いてくる刺激に、俺の体が汗ばみ始める。ゾクゾクと背筋を快楽が這い上がり始める。
「ぁ、ああ……ァア」
強く乳首を吸われた瞬間、俺は身悶えた。するとローラが右手で俺の陰茎を緩く握った。優しく扱かれると、すぐに俺のものは硬くなり、先走りの液が零れ始めるまで、そう時間を要さなかった。
「あ、あ……」
「一回、イっとけ」
「う、うあ……、あ……!」
呆気なく果てた俺が肩で息をしていると、ローラの長い指が、俺の後孔へと入ってきた。そして真っ直ぐに、感じる場所を指で嬲る。前立腺へと与えられた刺激に、俺の腰が震えた。
「ああ……ローラ、っッ」
「俺の事、欲しがってるみたいに絡みついてくるな」
その言葉に、羞恥を覚えて、俺は赤面した。実際それは、間違っていない。
だが恥ずかしくて何も言えないままで、俺はギュッと目を閉じる。
それからローラは、俺の中を丹念に解した。
「挿れるぞ」
「あ、あああ!」
巨大で硬いローラの熱が、俺の中へと入ってくる。根元まで突き入れられた時、俺は思わずローラの体に腕を回した。すると俺の腰を掴んで、ローラが激しく動き始める。肌と肌がぶつかる音が、静かな和室に谺する。
「あ、ぁ……ああ! っ、う、うあ……あ、ああ……」
「気持ち良い」
「俺も、俺も……っっっ、あああ!」
本日のローラの動きは、いつもより荒々しい気がした。だがそれを、決して嫌だとは思わなかった。感じる場所を散々穿たれて、俺はこみ上げてくる快楽に思考を絡め取られていく。
「あァ!」
ローラが一際激しく動いて俺の中へと放った直後、俺は再び果てた。全身を襲った快楽が怖すぎるほどで、暫しの間、俺は動く事が出来なかった。
そうして抱き合った俺達は、事後――まったりと布団の上に転がっていた。すると少しして、ローラが冷蔵庫に入っていたペットボトルのミネラルウォーターと、浴衣を持ってきてくれた。
「食事まではまだ間がある。露天風呂で、汗を流すか?」
「ああ、そうだな」
まだ火照っている体は汗ばんでいて、俺は微笑した。ローラの少し低い体温が愛おしいが――暑い。俺とローラが暮らす新南津市は、最近夏の終わりが近づくにつれてガクンと寒くなったが、こちらは残暑というのが正しく、まだまだ暑いし、何より蝉の劈く鳴き声が耳に入ってくる。
「一緒に入るか?」
「ひ、一人で良い!」
慌てて俺は声を上げた。そして片手で、まだ疼いている気がするキスマークと噛み傷を押さえる。先程ローラに血を吸われ――快楽を流し込まれた場所だ。吸血鬼であるローラは、噛む事で様々な事が可能らしい。俺はあまり詳しくは知らないのだが、付き合ってから、少しずつローラの特性(?)を教えてもらえるようになった。
「俺は藍円寺と一緒にお風呂に入りたいなぁ。露天風呂、いいなぁ」
「う……」
なお、俺はローラが好きすぎて、ローラの『お願い』を断れた例しがない。
「……そ、そんなに言うんなら、少しくらいなら」
「有難う、藍円寺」
ローラが端正な唇の両端を持ち上げて、口で弧を描く。
そのまま俺達は、二人で露天風呂に入る事になった。素直になれない俺の口は、それを『嬉しい』とは言えなかったのだが、仕方ないと思う。だって、ローラが好きすぎて今だってそばにいると緊張してしまうのだから……!
露天風呂から臨む、夏が深まった緑の木々もとても綺麗で、お湯につかりながら、俺は見惚れてしまった。ローラと共にいるのも幸せだけれど、こうして同じ景色を共有出来る事も本当に幸せでたまらない。
「そろそろ夕食が運ばれてくるな」
「あ、ああ」
ローラの言葉で我に返る。すると俺を見て、ローラは猫のような瞳に楽しそうな色を浮かべた。
「食後、また入ろう。もっとじっくりと、ゆったりと」
「そうだな。ちょっと汗を流したかっただけだから、今はこのくらいで」
「――というより、目に毒過ぎて、このままだとまた『噛みたくなる』」
「え?」
「あ、いや何でも無い。よし、出るか」
こうして俺達は、露天風呂から外に出た。
今度は互いに浴衣を着る。俺は……思わず片手で顔を覆った。控えめに言っても、ローラの和服姿が麗しすぎる。ローラはそれはもう端整な顔立ちのイケメンなのだが……ちょっと似合いすぎる。隣に並んでいる俺が惨めというか不釣り合いすぎて、心が苦しい。
夕食が運ばれてきたのは、六時半の事だった。
優しい色の和服を纏った女将さん達が、お膳を運んだ後、挨拶をしてくれた。そこで俺は、この旅館の宿泊券をくれた某ホテルの支配人について名前を挙げて礼を述べた。すると笑顔を返された。俺にも、色々と親戚づきあいは多いが、こういう伝手も素敵だなと思う。素敵と素敵の繋がりがあって、それをお裾分けして貰った気分だった。
並べられたのは、福島牛のレアのステーキや、少し離れた坂下町で有名だという馬刺しの盛り合わせ、郷土料理の味わいが強いこづゆや、鯉の旨煮など、様々な品だ。会津地方は海に面していないが、いわきと新潟の両方の海に囲まれている。だが、現地で食べる魚料理は、川や湖、沼の魚や、遠方から届いた品を漬けたものが多いらしい。また天ぷらは野菜が絶品で、ただ一風変わっていたのが、饅頭の天ぷらだった。
どれも舌の上で蕩けるように美味だった。手を合わせて『いただきます』と述べてから、箸を口に運んで暫くした時、俺はローラの視線に気付いた。
「ん? どうかしたか?」
「いやお前、本当に箸使うの上手いよな。色っぽい」
「な……ローラこそ、上手いだろう?」
「俺はその国や土地の礼儀には、この国で言う『郷には入れば郷に従え』として気を遣う方だから、『覚えた』。でも藍円寺の場合は、躾けというか、お育ちというか」
「……別に俺の家は普通だぞ?」
「だとしても、色っぽいよ。程度でいうと、俺はこの牛肉よりお前にかぶりつきたい」
「な」
俺が真っ赤になると、地酒を飲みながら、クスクスとローラが笑った。
本日ローラが頼んだのは、奥会津地方が名産の日本酒と、米焼酎らしい。
「そ、その」
「ん?」
「――きちんと酒を味わえ。どうだ、その酒は?」
「ま、そうだな。俺からすると日本の場合、東北の酒は甘く感じる。表記が辛口でもな。その例に漏れず、この会津の日本酒も甘い。比較対象は、例えば高知の辛口だ。あちらの甘口と同程度に感じる、が、嫌いじゃねぇよ。それに、最近売り出されてるって言うこの米焼酎も、さっきまで飲んでた日本酒の冷酒なみに俺としては評価する」
「そ、そうか」
俺は猪口を見た。まだ俺の側の徳利には、酒がたっぷり入っている。冷酒ではあるが、升にグラスを立てる形ではなくて、ギンギンに冷えた徳利で運ばれてきた。そこは新南津市の飲み方とは少し違う。ただこれは、この旅館の個性かもしれないが。
「ローラ」
「ん?」
「そ、その……来て良かったと思っているか?」
「どういう意味だ?」
「お、俺は……ローラとこの旅に来られて幸せだから……その……」
「藍円寺が隣に居てくれたら、俺はいつだって幸せだ。その上で、という意味なら、最高だよ。この旅は、な」
ローラはいつも俺に欲しい言葉をくれる。それが無性に幸せでならない。
――翌朝、俺達は旅館をチェックアウトし、再び列車に揺られる事となった。目的地は会津若松市で、そこでレンタカーを借りる事になっている。返却は東京で良いそうだ。
普段から俺はあまり車には乗らないが、乗る場合は運転するのも自分だ。
だから車に乗り込んだ時、ローラが自然と運転席へと回ったのを見て、なんとはなしに不思議な気分になった。吸血鬼って……運転免許を持っているのだろうか?
「藍円寺?」
「お前、免許……」
「大抵の資格はある」
口角を持ち上げてニッと笑ったローラを見て、確かにローラならば所持していそうだなと漠然と思った。頷き俺は助手席に乗り込む。こうしてローラの運転で、本日は若松近辺を見て回る事になった。最初の目的地は鶴ヶ城――と、現地で呼ばれているお城だった。
「この土地の道路は入り組んでいるな」
運転が上手いなぁと感じながら呟くと、駐車場に止めながらローラが頷いた。
「戊辰戦争時の砦の名残らしいな」
「そうなのか?」
「ああ。どの土地でも、道は歴史を感じさせると俺は思う」
ローラが微笑した。根付く文化も、辿ってきた歴史も、この会津という土地は深いらしい。暫く見て回った後、鶴ヶ城会館という店の外のテーブル席で、俺とローラはアイスコーヒーを飲んだ。
「次はどこに行く?」
「ローラはどこに行きたい?」
ガイドブックを広げながら、二人で顔を見合わせる。すると少し思案するような目をした後、ローラが唇の両端を持ち上げた。
「俺はここが良い。『さざえ堂』」
なんでも正式名称は違うようだが、重要文化財に指定されている仏堂らしい。
「じゃあそこに行こう」
俺が頷くと、ローラが目を伏せ微笑しながら頷いた。
「フランス以来だ。二重らせん構造を見るのは」
「フランス?」
仏教関連である方にばかり気を取られていた俺に対し、ローラが目を開け優しい顔をした。
「簡単に言うとな、これは入り口から出口まで、出会わない構造の建築物なんだよ。フランスだと、シャンボール城に二重らせんの階段がある」
「そうなのか」
「いつか、そっちも見に行こうな」
次の約束が出来て嬉しい。俺は両頬を持ち上げて、首を縦に振った。
その後ダストボックスにアイスコーヒーの容器を捨ててから、俺達は駐車場へと戻った。
そうして向かった会津さざえ堂で、俺達は緩やかに内部を進んだ。
「こんな風に、同じ場所に居るのに決して出会わないというのは、なんだか不思議な気分になるな」
「俺は藍円寺が同じ場所にいなくても、絶対に見つけ出して、俺の横を歩かせるけどな」
「な」
「好きだぞ」
急に囁かれ、俺は赤面した。そんな俺の指先に、手で触れ軽く握ってから、ローラは楽しそうに歩みを再開した。
見学を終えた俺達は、続いて――会津慈母大観音像を見に行くべく、再び車に乗り込んだ。観音様は、会津若松市からは少し離れた場所にあったのだが、そちらの観光中から、山の中に白いものが見えていた。だが車窓から実物を見た時、俺は驚いた。大きい。
車を停めて中へと入り、入場料を払ってパンフレットを貰う。その後、真っ直ぐに観音様を目指して歩いて行き、間近で実物を見た瞬間、俺は息を呑んだ。
全国に、巨大な仏像や観音像は存在するが、間近で観音像を見たのは、実は初めてだ。幼子を抱く慈母大観音像の表情は、見る者によって様々な色を浮かべているように見えるんじゃ無いかと俺は思う。驚嘆していると、ローラがそっと俺の肩に手を置いた。
「入るか、胎内に」
「あ、ああ……」
こうして俺達は、観音様の中へと入った。外が暑かった事もあるのだろうが、どこかひんやりとして感じた。一番上まで続く階段、各地に並んだケースには参拝者の記した品などが並んでいて、時折ある窓から外を見れば、外界がちっぽけなものに見えるくらい、全てがミニチュアサイズに見えた。外に居る人々の姿が、まるで動く人形のようだ。
日常の中で体験できる、非日常。
俺はそんな一瞬が、決して嫌いでは無い。
一番上まで登りきってから、俺達はそこにあるベンチに座った。
「いいな、ここ」
ポツリと俺が呟く。ひと気は無い。ローラは楽しそうな目をしてから、不意に俺の頭の上に手を置いた。
「確かに、いいな。俺は藍円寺がいればそこが楽園と断言できるが、お前と思い出を増やすのは悪くねぇよ。これからも、色々と見に行こうな。俺は考えてみれば、藍円寺に見せたい景色や物が沢山ある」
「……ああ」
頬が火照ってくる。また増えた約束が嬉しくて、俺はじっとローラを見据えた。すると啄むようにキスをされた。慌てて俺は周囲を見たが、俺達しか現在ここにはいなかったので、意を決してキスを返す。するとローラが嬉しそうに吹き出した。
こうして会津若松周辺の観光を終えてから、俺達は高速道路を目指す事にした。若松にも入り口はあるのだが、ローラの提案で、隣の会津坂下町のインターから乗る事になった。理由は、俺が「あ、お土産……」と呟いたからだ。まだ何も、二人の兄や甥へのお土産を購入していなかった。ローラとはおそろいの赤べこのストラップをなんとなく買ったが、それは思い出の一つだ。
「この辺は馬刺しも美味いというのは、昨日の旅館でも味わった通りだけどな――折角だし、粟饅頭でも買いに行こう」
提案してくれたローラの運転は非常に上手い。
俺達はその後、福満虚空藏菩薩圓藏寺の下に広がる、粟饅頭のお店へと向かった。このお寺のご本尊は、かの有名な弘法大師の作だと言われているらしい。近くを流れる只見川という川も、『弘法大師が大きすぎて、ただ見ていたから』という理由で只見というらしいと俺は知った。会津仏教の歴史は深い。戊辰戦争といったイメージも強いが、お寺に行く前に立ち寄った道の駅などには土器の展示などもあり、太古の昔から、この土地には人々の営みがあったのだと知る事が出来た。
さて、その後俺とローラは少し並んでから、無事に粟饅頭を購入できた。一個から売っていたが、箱でいくつか購入した。
「あっという間だったな」
俺達は、こうして帰路につく事に乗った。高速道路に入った時、ローラが呟いたのを聞いて、俺は頷く。
「楽しかったな」
「――ああ。藍円寺が楽しいと思ってくれたんなら、大成功の旅だ」
「ローラは楽しくなかったか?」
「何度でも言うが、俺はお前がいれば、楽しい。そして楽しんでいるお前を見るのが、何よりも楽しいし、幸せなんだよ」
それを聞き、俺は返す言葉を思案しながら、何気なく窓から、遠ざかっていく会津の風景を見た。新南津市に到着するのは夜中の予定だが、最高の旅路だった。何よりも、そばに愛する人がいた事、それは旅の観光名所巡りと同じくらい、大切なスパイスだ。俺も、ローラが幸せならば嬉しい。だから、だからこそ、また次の約束も欲しいし、今後も旅に出かけたいと強く願った。ローラと一緒の旅ならば、きっとそれは、最高だろう。
俺は瞼を伏せ、幸せに浸りながら、八月末の旅の思い出を、早速心に刻みつけた。
「藍円寺」
「なんだ?」
「好きだぞ」
「っ……知ってる」
「照れながらも、そう言えるようになっただけ進歩だな」
「え、偉そうに――」
「また来ような」
「……ああ」
こうして、俺達の旅は終わった。それは、再び日常に戻る、始まりでもある。
俺はそっとスマホを取り出して、早速つけた赤べこのストラップを見た。
おそろい。それだけで嬉しくなってしまう。
「ローラ」
「ん?」
「愛してる」
「知ってる」
そんなやりとりをしながら、俺達は新南津市へと戻るまでの間、早速出来た思い出話を交えながら、互いに愛を語りあう。本当に、幸せだ。
―― 終 ――