【1】ゼスペリア教会の牧師の解説



 ――使徒オーウェンとは、人の子の王である。オーウェンの礼拝は、個人ではなく民草を代表し行われ、オーウェンの声を通して民草はゼスペリアの意思を聞く。玉座にてオーウェンは、祈り語るだろう。使徒オーウェンの礼拝するその席には、秋桜が三つ咲――中央の花弁に聖なるエメラルドをあてがった時、人の子を守りし礼拝堂が起動する。

【使徒オーウェンの福音書第二章二節玉座】





 最下層、ゼスペリア教会孤児院の、キッチン兼ダイニング兼リビングには、ゼクスと高砂の姿があった。この教会の筆頭牧師であるゼクス=ゼスペリアは食卓の椅子に座り、熱心にペンを走らせている。それを窓際のソファに座って眺めている高砂祐助は、煙草を吸いながらゼクスを見た。

「ゼクスは、いつからマインドクラックだと気づいてたの?」

 マインドクラックというのは、簡単に言えば、『洗脳』である。PSYにより、特殊な知覚情報を送り、特定信念を受け取りやすい状況を生み出し、さらに脳を含めた体内を巡るPSYの流れにも誤った送受信状況を作り出す。すると、目の前にある赤い林檎が青いパイナップルに見えても、それが正しい現実だと認識し、同時にパイナップルが青いのは昔から正しい現実だと感じてしまう。これは、黙示録風災害を引き起こしている敵が好んで使う攻撃手法だが、歴史でいうPSY融合文明――ロードクロサイト文明時代から度々用いられる一手法である。

「――お前らにマインドクラック解除アイテムを配布したあたりで、もしかしてとは思っていたような気もするけどな、お前が高砂中納言ごっこするまでは半信半疑だった」

 高砂の言葉に、ゼクスが顔を上げた。ゼスペリア教会の牧師――と、紙に書いてペンを置いたところだった。

 先日のオーウェン恩赦式典の手前に発生した黙示録風災害では、大規模なマインドクラックが発生して、高砂もゼクスも巻き込まれたのである。その際、マインドクラックされていると思しきゼクスの目を覚ますために、高砂が逆マインドクラックをした。

 逆マインドクラックというのは、既にマインドクラックされている人間に対して、別のマインドクラックを仕掛けて、『その現実はおかしい』と気づかせる事である。可能であれば、逆マインドクラックは同時に複数が望ましい。

 簡単に言えば、幸せな夢を見ているゼクスに、悪夢をいくつも割り込ませて、強制的に現実への帰還を促した形だ。

 これが成功したのか、それとも――それ以前に、既にマインドクラックが解けていたのか、高砂は知りたかったのである。答えが返ってきたので、高砂は煙草を指に挟んだ。

「ゼクスをマインドクラックするなんて、敵は手ごわいね」

 静かに呟いた。そして煙を吸い込む。
 するとゼクスが喉で笑った。

「まぁ英刻院閣下はやり手だよな」
「え?」

 驚愕して高砂は声を上げた。硬直する。冷や汗が伝ってきた。

「まさか英刻院閣下にマインドクラックされるとは思ってもいなかったから、俺も不注意だった。すごかったよなぁ、オーウェン恩赦式典では、英刻院閣下の敵が全滅した……そして英刻院の評判が鰻登りで、琉衣洲も安泰、磐石なんだろう? そう聞いた」

 苦笑しながら続けたゼクスを見て、慌てて高砂は煙草を消して立ち上がった。
 そしてゼクスに歩み寄り、じっと見据える。

「待って待って待って。あれ、英刻院閣下が犯人だったの?」

 結果、ゼクスが唖然としたように目を見開いた。

「えっ!? 知らなかったのか?」
「うん、初耳。じゃあ、あのヴァイルさんという老人は、いなかったの? それもマインドクラック?」

 最も知りたかった事柄を、続いて高砂が尋ねた。
 だが、ゼクスは何度か瞬きをしてから、たった今書き終えた紙に視線を落とした。

「――いいや。高砂、その件は、近いうちにみんなで話すことになると思うから、また後でな。俺の独断では話せない」

 そう言われて、高砂は片目を細めて頷いた。頷くしかない。
 溜息をついて、今度はゼクスの正面の椅子を引く。
 そして卓上の聖書を一瞥した。手に取って、【使徒ゼストの黙示】を開いてみる

「敵もよくあきないよね」

 ――黙示録風災害。

 その単語を、高砂は脳裏で反芻した。これは、終末願望を持つカルト集団が、新約聖書に掲載されている【使徒ゼストの黙示】の通りの出来事を起こして、世界を滅ぼそうとした結果に発生している人的災害・偶発的災害の総称である。例えば黙示録には、ウイルス兵器の記述があるのだが、それを読んだ敵は身体感染症兵器を使用してテロを起こしたりする。また、ロストテクノロジーとなってしまった過去の文明で作られた武器を発掘して、制御不能状態になり、敵も全滅したが王都に兵器が入ってくる、という偶発的な災害も後を絶たない。マインドクラックに関しても、マインドクラック兵器が存在する。

「摘発しても摘発しても、捕まえても捕まえても捕まえても、出てくるからな。俺、花王院陛下も好きだし、結構この世界好きなんだけど、奴らは、そんなに滅んで欲しいんだろうか?」
「さぁ。俺に聞かれても――……所で、窓の前に置いてある仏像、あれ、何?」
「ああ、このまえハーヴェストクロウ大教会で、粘土教室を開いたんだ。良く出来てるだろう?」
「……うん、まぁ」

 そんなやりとりをしながら二人は窓の外を見ていたのだが――どちらともなく息を飲んだ。外を歩く人物を、同時に視界に捉えていた。

「……――時東?」
「ち、違う。時東は、あんなに雰囲気あるダンディなイケメンではない。一言で言うと、もっと格好悪い」
「それ本人には言わない方が良いよ」
「あれはだな、昔から最下層に出る、都市伝説的な、時東によく似たイケメンなんだ」
「――都市伝説?」
「ああ。どこからどう見ても、時東にそっくりで、血縁者で、兄か父にしか見えない。だが時東は一人っ子で、両親が亡くなったから最下層で育てられたんだ。ザフィス神父に。ザフィス神父は、分かるか? ほら、あの、白髪の小さいお爺ちゃんだ」
「知ってるけど……白髪の小さいお爺ちゃん……うん、まぁ、うん」
「ああ見えてザフィス神父は、ロードクロサイト皇帝の末裔で凄腕の医師なんだ」
「そうだね」
「俺、ガチ勢に伝えに行かないと。みんな大騒ぎだ!」

 勢いよく立ち上がり出て行ったゼクスを、高砂は見送った。
 ゼスペリア教会の戸締りは、この日は高砂が担当する事になった。