【2】黒曜宮と時東
「時東せんせっ! お久しぶりです」
「今すぐに消えろ」
「相変わらず冷たいですね。そういうところも好きなんですが」
「黙れ」
やってきた従兄弟の黒曜宮を見て、時東が嫌そうな顔をした。
苛立つように煙草を銜え、黒曜宮を睨んでいる。
紫色の紋付を着ている黒曜宮は、華族側に暮らすフェルナ=ロードクロサイト血統の人間だ。匂宮の特別分家である。曽祖父のゼルス=ロードクロサイトが黒曜宮家を復古したのである。
この黒曜宮、なにかと時東に絡んでくる。それはもう、ウザったい。
好きだ愛していると嘯いては、嫌味毒舌を混ぜ込んでくる、完全なる愉快犯である。
右手に杖を持っている黒曜宮は、それを軽く持ち上げながらニヤリと笑った。
「マインドクラックされたって聞きましたよ、『また』」
「うるさい」
「俺、出てきました?」
「一切出て来なかった」
「えー!」
わざとらしく黒曜宮が声を上げる。
時東は不愉快そうな表情のままだったが……内心焦っていた。
実は出てきたのである。
まず、従兄弟。ゼクスは従兄弟というより幼馴染であり、時東の中で従兄弟といえば、黒曜宮なのである。次に、自分が冷たくするのはいつもだというのに、たまにショックを受けた顔をする……これも黒曜宮である。最後に、必死に解析したのは、高砂が作り出したイメージの、足に後遺症があるゼクス。実際に足に後遺症があるのは、黒曜宮だ。幼い頃二人で遊んでいて、扇の敵襲時に、時東を庇って負傷してから、時に痛むようだし、走ることは今でも難があるという。だが、時東の診察は受けない。
ただ、時東は、黒曜宮が嫌いだ。不思議なのは、同じような条件でも、顔がゼクスで中身もゼクスならば好きになれるということである。つまりゼクスが好きなのだと、時東は思う。
「っ」
その時、黒曜宮がふらついた。反射的に時東が受け止める。
よく見れば顔色が悪い。いつも真っ白な肌をしているから、なかなか気づけなかったんだと内心で言い訳をする。
「すみません」
こんな時だけ愁傷な黒曜宮に、時東は溜息を押し殺した。
苦笑しながら立ち上がろうとしている黒曜宮が、今度は足が痛そうにした。
本人は隠しているつもりらしいが、時東にはよく分かる。
「捕まれ」
「!」
そう口にした時には、時東は抱き上げていた。軽くて、着物の重みしかないように感じる。
「え、あ、あの」
「迎賓館の部屋まで送る。動くな」
こうして時東は、黒曜宮を送って行った。
いつもはうるさいほど喋るというのに、具合が悪いからというよりは、照れていて喋れないらしい。こうしていれば可愛いのになと思って、時東は自分に頭痛を覚えた。錯覚だと思い直す。
「ありがとうございます」
だが、ベッドに黒曜宮の体を下ろした時、その白い首筋に釘付けになった。
気づくと噛み付いていた。
「っ!!」
ビクッとした黒曜宮が、体を引こうとしている。だから時東は、何とは無しに追い詰めた。どんどん距離が縮まって、最後に時東は押し倒した。
「と、時東せんせ、離して――」
「何故? お前、俺のことが好きなんだろう?」
「ン!!」
そのまま時東は、黒曜宮の唇を奪った。口腔を味わいながら、顎の下をくすぐる。
離した時、黒曜宮が涙を浮かべて混乱した顔をしていた。
小さく震えているのは――怯えからであるようだと、時東は理解した。
何が怖いのだろうかと考えて、なるほど自分の意思で逃げられないからかと納得した。
足が辛いらしい。細く息を吐いてから、時東はポンポンと黒曜宮の頭を撫でるように叩いた。
「好きだ好きだって言ってると、こういう目に遭うんだぞ。気をつけろ」
そう告げて、時東は部屋を後にした。
翌日から、黒曜宮の顔を見なくなり、時東はせいせいしたと思いながら、反面居場所を探している自分に気づいていた。あからさまに避けられると、逆に気になるものである。
「なぁ、松葉杖ついてる、緑の僧服のさ、高砂が支えてる絶世の美人、あれ、誰だ?」
ついに周囲の勧めで避難してきた牧師のゼクスが、キラキラした瞳で口にした。
オーウェン礼拝堂の円卓に座る人々も同じ心境である。
すると、時東が答えた。
「ああ、高砂の本命。万象院の若御院」
その言葉に、周囲が息を飲んだ。ゼクスは相変わらずキラキラした顔だが、周囲は高砂とゼクスが付き合っていると思っていたのだ。
「あんなに綺麗な人がいるんだなぁ……高砂、振られないといいな」
「どうだろうな。心配で心配で仕方がなかったくせに、仏像仏像って言い訳して、それでも即探しに行って、救急車呼べばいいのに俺に診せて、かつ見舞いに行きたかったんだろうに気にしないそぶりで最近まで行かず――高砂自身が自分の気持ちを正確に理解してるかも怪しいな。あいつは本当に嫌いなら興味を失うのに、若御院には非常に執着してる」
「それ、時東の妄想じゃないのか?」
「ゼクス様よ、よく分かったな」
「高砂はもっとシンプルだ」
「ゼクスはどういう見解なんだ?」
「どうでもいいし嫌いだと思ってたら、最近好きだと気づいて焦ってる」
「根拠は?」
「少し前まで、好きな人はいないって言ってたけど、最近黙る」
そういうものかと一同は、高砂達を見た。甲斐甲斐しい高砂は、表情と口調こそ冷たいが、若御院を非常に大切に思っているのが伝わってくる。だが、終始申し訳なさそうな、どこか焦るような顔をしている若御院に、それが伝わっているようには見えない。
皆がそんなことを思っている中、時東はそれとなく黒曜宮の居場所を探していた。
いつもならばゼクスがきたなんて聞きつければ真っ先にきそうなものだから、なんで来ないんだろうかと、自分には関係ないというのに苛立っていた。ちょっと見に行ってみようか。珍しく迷っていた。
――たかがキスくらいで、と思う。
「時東も恋煩いか?」
「別に」
「さっきから誰を探してるんだ?」
「特に」
ゼクスと話しながら、内心時東は溜息をついた。
理想の好きと、理想外の相手が気になる現実。
ただなんとなく、逢いたかった。