【1】時東、告白する。
人生において、時東は、待ち合わせなどした事が無かった。
仕事では、勿論ある。私的な、所謂、デートといったものの待ち合わせが未経験だったのだ。友人と遊びに行って告白された、ということはあるが、自分が好きな相手を呼び出したことなどない。大体において、時東の恋愛活動では、これまでは先方が自分を好きだったのだ。緊張していた。煙草を持つ手が震える。
現在は、王都の王宮前広場にいる。この通りには、飲食店が立ち並んでいる。
野外にはアイスクリームやクレープの店が並んでいる。
右に進めば高級店街、左には安価な店が並び、広場中央には巨大な噴水と時計塔がある。
後ろには王宮がよく見えた。
――デートスポットの一つである。家族連れよりも、この通りには恋人同士あるいは恋人未満だが時間の問題の二人が多い。家族サービスの名所は、左の二本先の通りである。右のもっと先は、高貴な身分以外以外立ち入り禁止の専用通りとなる。が、そちらであっても、片方が身分をクリアしていれば入る事が可能だ。
よって時東は、呼び出した相手を、希望のままどこにでも連れて行ける。
そしてその相手とは、単独では王都自体に入ってはいけない最下層の住民だ。
ゼクス=ゼスペリア牧師である。
時東は、一度でいいからゼクスとデートがしてみたかった。
勇気を出して昨夜、約束を取り付けた。
そして本日は――バレンタインである。
朝にするか夜にするか迷った。結果、夜はなんだか恥ずかしいし、長時間一緒にいたかったため、朝十時に待ち合わせをした。朝八時から時東はここにいる。待ち合わせがこんなに緊張するとは知らなかった。何度か髪型やら外套やらを確認し、時東は腕を組んでそわそわしていた。
本人はどこか自分に変なところがないかとドキドキソワソワなのであるが、通りかかる人々は、ゼスペリアの医師――そう知らなくても、あまりにも端正な顔の時東が、物憂げに腕を組んで噴水そばの時計塔に背を預けている姿に見入っていた。普段の白衣姿とは異なる、茶色のコートに洒落た私服。一体待ち合わせ相手は誰なのか、その人物が羨ましいと、ナンパやナンパ待ちの人々は見守っていた。
――十時十分前。
その時東に向けられていた視線が、一気に広場入口へと集中した。
ポカンとするような麗人が入ってきたのである。
歩いてくる青年――ゼクスは、時東から見ても、いいや誰の目から見ても、煌めいていた。見惚れてポカンとしてしまった。最下層で見る時よりも、衝撃が強すぎた。呆然と見ていると、ゼクスが時東に気がついた。そして――微笑した。
周囲が息を飲んだ。時東は硬直した。が、なんでもない振りをして、笑い返した。少し足早に、ゼクスが歩み寄ってきた。
「時東?」
時東は、名前を呼ばれてようやく我に返った。
ゼクスがじっと見ている。
我を忘れていた現実への動揺に、時東は冷や汗が浮かんできた。
「待たせたか?」
「いや――時間通りだ」
二人の声に、見惚れていた周囲は、さらに感動した。PSYが使えない人々から見れば、イケメンのもとに美人がやってきて眼福だという感覚である。
「ところで時東、どこに行くんだ?」
「その……――俺はこれから時計塔の中にでも暇つぶしに行こうか考えていたが、ゼクスが他に行きたい場所があるなら、案内してやる」
「時計塔の中、か。俺、行ったことがないから興味がある。各歴史階層の時計が展示してあって、最上階が展望台なんだろう?」
「ああ、そうだ。よし、行くか」
「うん」
時東は、一応デートコースの予定を立てていたので、安堵した。デートだと分かっていないゼクスは、純粋にワクワクしている表情で、時東の隣を歩く。二人で入口へとまわり、中へと入った。
時計塔の五階は、水族館のようになっている。周囲は全て水槽なのだ。しかし泳いでいるのは魚ではなく、様々な時計の映像なのである。水の動きに合わせて、歪んで見える。青一色の空間には、あまり人気は無く、細い通路は何度も曲がるので、そのそれぞれには大体ひと組しかいないし、先客がいると他の客は気を使って立ち止まるか先に行く。密やかな告白の名所なのである。
時計塔は各階に、変わった構成で時計館が存在するので、ここもその一つに過ぎない。下から順に来ただけで、別段告白しようと考えて、ゼクスを連れてきたわけではなかった。だというのに、ここが告白の名所だと思い出し、時東は一気に緊張してしまった。
ゼクスは頬を染め、目を丸くして水槽を見ている。子供のようだ。
そっと隣に立ち、時東も水槽を見る。だが、時計を見ているゼクスとは異なり、水槽に映った自分達を見ていた。ゼクスがその時、時東を見た。
「なぁ、時東」
「な、っ、なんだ?」
動揺して舌を噛みそうになった時東は、慌てて顔を逸らした。
ゼクスには、時東は非常に冷静そうに見えていた。
かつ、あまり時計には興味がなく、つまらなそうに思えた。時計が好きそうにも思えない。この場にいるのが辛そうだ。だとすると――自分のためにここへ連れてきてくれたのだろうとかと考えてしまう。ゼクスは、それが嬉しくもあり、申し訳なくもあった。ゼクスはとても楽しいから、余計にである。二人で遊ぶのだから、二人で楽しい方が良いと思ったのだ。
「時東、俺は好きだ」
時計が、と、ゼクスは心の中で続けた。
だが、『俺は時東が好きだ』と言っているのだと時東は思って、息を飲んだ。
――え?
「けど、時東は違うようだから、他に行こう。俺も辛い」
「ま、待ってくれ。ゼクス、俺も好きだ」
「無理をしなくて良い」
「違う、本当だ。俺はずっと好きだった。ゼクス、聞いてくれ。俺はお前が好きだ、本当に大切だと思ってる」
「――ん?」
今度はゼクスの頭の中が疑問符で埋め尽くされた。
――『お前が好きだ?』『ずっと好きだった?』
これが時計のことではないと、ゼクスはやっと気づいた。目を見開く。
「時東、お前俺のことが好きだったのか!?」
「え?」
「俺、俺、時計の話を……」
「!」
小さな声で言ったゼクスの前で、時東は絶句してから両手で顔を覆った。
勘違い――恥ずかしい、さらに勢いで告白までしてしまった……。
穴があったら入りたかった。だが、言ってしまったのだから、仕方ない。
時東は内心で仕切りなおした。
「――俺は、時計ではなく、お前が好きだ。俺はお前に対しての恋愛感情の話をしている」
きっぱりと告白することにした。ダメならダメで仕方がない。度胸だ。
時東は、昔から、やる時はやるのだ。
「ゼクスが好きだ」
言われてゼクスはポカンとした。目も口も開けてしまった。
好き、好き!! 初めて言われた。これまでの人生、自分から告白して振られたことしかなかった。本当はかなりの数の告白者がいたが、周囲のガードと本人の鈍さで、これまでゼクスは気づいてこなかった。まずは嬉しくなった。それから――時東を見て、ゼクスは真っ赤になって俯いた。カッと頬が熱くなり、全身も真っ赤になった気がした。
その反応を見ていると、時東は理性が切れそうになったが、我慢して続けた。
「俺の恋人になって欲しい」
「時東、嬉しいけど俺、お前のことが好きかよく分からない……」
「付き合ってから、好きになるかも知れない」
――時東が持つ、レトロな完全ロステク携帯電話が鳴り響いたのは、その時のことである。
「――悪い、電話だ」
「っ、ああ」
泣きたい気分だったが、非常事態しか鳴らない特殊回線だったため、時東は電話に出た。
しばらくやりとりをしながら、時東は泣きたくなった。
「ゼクス、仕事が入った」
「あ、ああ」
「返事、その……考えておいてくれ。じゃあな」
時東はそう言うと、ゼクスを残して足早に医療院へと向かった。
残されたゼクスは、しばらくの間、ポカンとしたまま立っていた。
――予想外の展開だった。告白、されたのだろうか、と、ぐるぐる考えながら、とりあえず外へと向かった。
声をかけられたのは、その時である。
「ゼクス?」
「榎波?」
驚いて、ゼクスは振り返った。