【1】悪役転生に憧れる悪役……。




俺は今日も悪役転生モノの小説を読んでいる。
俺の現実も小説であれ! と念じながら。そう、俺は悪役なのだ。
ここはグリモワール公国。魔術の都だ。異世界の“インターネット”へ接続する魔術が開発されてから早十年。今では、理論を応用(ぱくった)した魔術情報網が国中に張り巡らされている。カガクとやらの代わりに、古代からある魔術を用いているのである。
俺は国名にもなっている《魔導書(グリモワール)》を開いて、今もネットの小説を読んでいる。俺の唯一の趣味だ。

小説だと、俺はある日頭を叩き割られたかのような衝撃に襲われて、前世の記憶を思い出し、フラグをへし折るべく奮闘する(大人しくする)のだ。
しかしこの世界、皆前世の記憶を持って生まれてくるため、そんなことは起こり得ない。俺の前世は、ロバだった。

現在の俺は、エンザイル伯爵家の次男。
結構恵まれた転生先である。この世界は貴族と平民の間に越えられない壁があるのだ。その形はピラミッド。絶対王政である。公主様に逆らうことはできない。

そして運悪く俺の同級生に、スピア・ピルドサイト=グリモワールという生徒がいるのだ。次の公主様である。
彼はみんなのヒーローだ。
ヒーローがいるということはすなわち悪役がいるわけで……。
普通は皆次の公主様のことなんて恐れ多くて無碍にできない。
しかしそれではヒーローになれない。
そこで白羽の矢が突き刺さったのが俺だ。俺は弱いものいじめをし、平民を差別し、大層傲慢に振舞う役を仰せつかった。最悪である。俺の将来には当然出世の道もない。代わりに、俺の兄の出世と我が家の安泰が確約されている。

だから俺は、今日もやりたくはないイジメに励むのだ。
決してやりたくないだなんて思っているとはバレないように……。
そんな内にチャイムが鳴ったので、俺は魔導書を閉じてカバンにしまった。
そして、立ち上がる。
俺の取り巻き達も一斉に立ち上がった。

この国には、侯爵家は一つしかないため、必然的に貴族のトップは伯爵家だ。
当然、公主様の次に逆らってはならないのは伯爵家(の人間、即ち俺)である。

「お持ちしますよ!」
「うん。ありがとう」

俺は鞄を渡して、ゆっくりと歩き始めた。一歩後ろに二人、その後ろに大勢の取り巻き達が並ぶ。廊下を歩き出せば、授業終わりで教室から出てきた生徒たちがさっと割れた。俺を敵に回せば学園生活の終わりだからな。ヒーローは、全員を助けられるわけではないからな。

その時、一人の生徒が俺の正面を横切った。

「無れーー」
「無礼者。誰のお通りだと心得ている!?」

俺が言いかけた時には、左右から取り巻き達が前へと出た。
そして横切った生徒を糾弾し始める。
本当、俺は何様なんだろう。まぁ、俺は俺様だ。
ジェイド・フォールハルト=エンザイルである。
この名誉ある王立魔術学園の次席だ。常に次席だ。一位は当然次期公主様である。
採点時に採点ミスを先生がしてくれるからだ。先生方は流石にわかっているのだ。

しかし一番最悪なことは、その、あれだ。

「何をしている! 廊下は公共の場だ。貴族が私物化していい場所ではない」

声を挟み、俺の取り巻き達の前にスピア様が立った。
横切った生徒をかばうようにして、こちらを睨みつけてくる。
切れ長のその眼差しに、俺は思わず唾液を嚥下した。
心臓が痛い。

だから、あれである。
そう、そうなのだ。
俺は、スピア様のことが好きなのだ……絶望的な恋である。
最もスピア様に嫌われているのは、学園で間違いなく俺だ。
なのに俺は、彼の正義感に惹かれ、今では大好きになってしまっているのである。

うろたえた様子で取り巻き達が俺に振り返った。
代わりに俺は一歩前へと出る。

「身分制度をきっちり周知させなければ、のちのご自分のお立場も危うくなるかもしれないぞスピア様。公主ごときと思う人間が現れる。そうなってもいいのか? ハッ、困るだろうに」
「俺は平等な治世を行うつもりだ。前時代的な差別を行うお前のような貴族こそを粛清するつもりだ」

俺もそんな世の中が来たらいいなって本心では思っている。
できれば右腕として働きたい。だがそれは無理だ。スピア様には当然、右腕役もいるのである。彼の一歩後ろに立っていて腕を組んでいる、ルイザ・ハン・ハートレッドを俺は一瞥した。俺が悪役の命を受けていることを、ルイザは知っている。ハートレッド伯爵家は、エンザイル伯爵家よりも歴史が長い上、ルイザは長男だから、右腕役になった。たったそれだけの違いで、俺は悪役なのだから、絶対王政は怖い。黒髪に緑色の瞳をしたスピア様と、長身のスピア様よりもさらに背が高いルイザを見て、俺は気付かれないように嘆息した。ルイザは金髪碧眼である。
ちなみに俺は、黄土色の髪に赤茶色の瞳をしている。紅葉する前と後の楓の色だとよく言われる。だから俺のあだ名(?)は、《楓の君》だ。なんだよ、と思う。俺こそいじめにあっている気分だ。

「古き良きものまで踏みにじるような愚行はなさらぬよう」

俺は鼻で笑ってからそう吐き捨てて、歩みを再開した。
露骨にヒーローたちを迂回して進む。

「そろそろわからせてやる必要があるな」

するとすれ違いざまにボソリとつぶやかれた。
一瞥したがすぐに視線を戻し、俺は歩く。
もう十分わかっているのにな……。ああ、これ以上嫌われたくない。
だがそういうわけにもいかない。

なんだか悲しい気分になりながら、俺は廊下を歩いたのだった。