変化する、加速する
――俺の教師生活は、今後一体どうなっていくのだろう?
こんな感覚久方ぶりだった。いつだって俺には未来など視えはしなかった。
だから大切な数々のものを失っていったのだ。欠落。
けれど、今覚えているこの感情の名前には、恐らくそれまでとは異なり虚無はつきまとわない。それがどうしようもなく心地良い。
ああ、後は――……会えるものならば。
欲張りな俺は、再び最後に恋をした相手である親友のことを思い出した。ユニは一体どこへと消えたのだろう。何故俺に何も話してくれなかったのだろう。無論俺が話すに値しないただのちっぽけな人間だったという理由が一番大きいだろうが。それでも俺は好きだったのだ。ただその想いも、この長い年月の間に風化していき砂塵と化した。
なのだから、俺は俺の新しい生活を歩もう。
少しだけ前向きになれた、そんな一日だった。
王宮のあてがわれた部屋へと戻り、外套を脱ぐ。
簡素なハンガーにそれを掛けていた、その時だった。
「うわああああ」
「!?」
唐突に上から人が振ってきて、俺に激突した。どういう事だ? この部屋の天井は低いし、陥没した気配はない。押しつぶされる形で俺は床に激突した。後頭部を床に強打し、意識が遠のきそうになる。じくじくした痛みを堪えながら、俺は二度瞬きをした。そして硬直した。
「――ユニ?」
「……ネル?」
互いに顔をじっくりと見ながら呆然とした。
「ネル! ネルだ! もしかして僕は失敗したのかな?」
「ユニ、生きて……」
「? 生きているよ。ただちょっと、タイムスリップ魔術の練習をしていただけで。理論上では完璧なんだ。だけど全く変わらない君がここにいるんだから失敗かな」
「タイムスリップ……」
確かにユニの特技は時間操作魔術だった。
いや、だが、どういうことだ? 俺は胸の動悸を抑えられないままで思案する。タイムスリップだと……? もしや失踪していたのではなく、この未来にユニはタイムスリップしてきたのか?
「お前が失踪してもう千年以上経つ」
「本当かい? じゃあこれから戻らないと……ん? 失踪? と言うことは、僕は戻ることはなかったのか」
「ああ……そうか、生きて……」
俺はあからさまに涙腺がゆるみそうになってしまった。ずっと会いたかったユニの顔が正面にある。
「だけどどうしてタイムスリップなんて……周囲に話さずに……」
「未来になれば、魔術の祖のことも少しは解明されているかと思ってね。内緒で成果を得て、戻ってからネルを喜ばせたいと思っていたんだ。だから未来のネルの所にタイムスリップすることにしたんだよ。最近はどういう研究をしているの?」
その言葉に俺は二重の意味で胸が痛くなった。
俺を喜ばせようとしてくれたことが純粋に嬉しかった。
もう一つは――……最近? 俺は、最近になって漸く外界と接触を持つようになったわけだが……もうユニが知る俺ではないのだ。活動的ではなくなってしまった。そしてそんな俺には、何か成果など残せているはずもなかった。これでは、ユニをがっかりさせてしまう。そこでハッと思い出した。フェンリルの言葉をだ。
「この聖ヴァルデギス王国に、魔術師の祖であるアユキ様がいらっしゃるらしいんだ」
「そんな国あったっけ?」
「……あった。そうだな、ユニは地理が苦手だったな」
全く変わらないユニの顔を見ていると、最後にあったときからそのまま時間が繋がっているような錯覚に襲われた。体にユニの体温を感じたまま、俺は夢を見ているのではないかと思った。――体温?
「あ、そ、その、退いてくれ」
「ああ、ごめんね」
「いや、その」
俺の側の問題なのだ。意識するなと言う方が無理だから。だが、この胸の動悸は、昔のようなトキメキともまた異なる気がした。急な出来事に心臓が飛び出すかのような、そんなドキドキだった。
「そ、そうだ。ユニに紹介したい相手がいるんだ」
「まさか恋人だとか言わないよね?」
「? 弟子だ」
「そう」
ユニは悠然と笑うと、ベッドに腰をかけた。
「それにしてもネルは全然変わっていないから五百年だなんて信じられない。若返りの魔術?」
「いいや……事情があって不老不死になったんだ」
「じゃあずっとネルの側にいるためには、僕も不老不死にならなきゃならないねぇ」
そう冗談めかして口にして、ユニはクスクスと笑った。
その声がどうしようもなく懐かしくて、俺は泣きそうになった。
おずおずと立ち上がりながら、俺は咳払いした。
「何か飲むか?」
「ネルが作ってくれるの? 君料理できたっけ?」
「何年経ったと思っているんだ」
そうだ、ユニと共にいた頃の俺には、こった料理やこった茶を入れることなどできはしなかったな。だが今は違う。杖を取り出し俺は振った。机ごとティセットを出現させる。スコーンは俺のお気に入りだ。我ながら良くできたと思っている一品を並べた。
「これ、どこで買ったの?」
「俺が作ったんだ」
「信じられない。本当に千年も経ったんだね」
ユニが目を丸くしながら、サンドイッチを手に取った。俺は紅茶を注ぎながら、微苦笑する。ユニは本当に変わっていない。変わってしまったのは俺だけだ。
「また僕と君との関係は、何もない所から始まるのか」
「何もなくなんてない、ユニは今でも俺の大切な――……」
嗚呼。
「親友だ」
その一言に、ザワリザワリと胸が痛くなった。
恋人ではなかった。しかしただの友達ではなかった、よな? そうだと自負するくらいには、俺はあのころの日々で、確かにユニと絆を築いていたと思いたい。
「そうだっけ?」
だが、ユニは首を捻った。
簡素な声に、俺は胸を抉られた。感情を揺さぶられ、意識がぐらつく。
「大親友だったはずだね。なんてね。フフ、本当にネルは変わらないなぁ」
続いた言葉に、俺は脱力した。そうだった、ユニにはいつもこうしてからかわれ、感情を揺さぶられていたのだ。いちいち心臓に悪いのだ。そこが、好きだった。
――だった?
過去形の思考に、矛盾と破綻を感じた。分からない。
こんなにも惨めでちっぽけな俺には、もう恋をする資格などないのだとやはり感じるのだ。俺はもう恋をすること自体を放棄した。だから、やはり、親友――大親友でいい。それだけでも大満足だ。それでも何かが溢れかえってくる。ユニの中で俺が確かに存在しているのだとすれば、それで良かった。
その時扉をノックする音が響いた。
「はい」
俺は声をかけ、ユニは視線を向ける。
ギシギシと音をたてて開いた扉の先には、ラーザと宰相が立っていた。
「今の魔力は何だ? ……――誰だ?」
「一応ここ王宮なんでぇ、知らない人招くの控えてもらっていいすか? それも時間操作魔術使えるような、現存しないことになってる人とか」
そんな二人を視てから、ユニがこちらを見た。そしてつい見惚れる微笑をした。
「ネル、紹介してもらえるかな? 君が紹介したがっていた方達が、自ずと僕に会いに来てくれたようだけれど」
「あ、ああ。ラーザ、宰相」
「俺のことはゼルディでお願いします」
「ゼルディ、それでだな二人とも、こちらは俺の……大親友のユニだ」
「「は?」」
すると二人がポカンとしたように口を開けた。昔から、驚愕したときラーザはこういう反応をした。ゼルディはそこが似たのだろう。こういう表情は、師弟にみえる。
「ユニ、紹介する。背が高い方が、俺の弟子のラーザだ。その隣にいるのが孫弟子のゼルディ」
「活動的すぎて弟子なんて取る暇がなかったのに、ネルも変わったんだね」
俺達のやりとりに、ラーザは呆然としたままの様子で、口を半分ほど開いてはまた閉じている。一方のゼルディは、腕を組んで、手をそれぞれの袖の中に入れた。
「ユニ導師、導師も不老不死なんです?」
「いいや、僕は時間操作魔術でタイムスリップしたんだ」
「どうしてこの時代のこの場所に? 何かしていキーワードがあったのではありませんか?」
「うん。未来のネルの場所だったけど……フフ」
含むようにユニは笑う。ユニは先ほど、未来になっていれば、何かが解明されているのではないかと言った。だが、俺がこれほどの年月を生きることなど、当時は分からなかったはずだし、千年という期間も曖昧だ。一つの文明が開き滅びてもおかしくはないほどの長期なのだ。
「ウイルスという見えない”敵”は、旧世界を滅ぼしたらしいからね、僕は世界が今回も滅亡するのか興味があってね――検索キーワードは、”ウイルス出現”なんだよねぇ」
その言葉に俺は目を見開いた。