僕の人生は詰んでいる。






咳き込むと血を吐いた。
汚い。ハンカチで拭いて、それを空間魔術で消失させる。
ここは一人きりの廊下だから、安心だ。僕の命が後1ヶ月弱だということは、墓場まで持っていく秘密である。

僕は王国最強の大賢者なんて呼ばれている。
だけど実際には、ごく普通の魔術師にすぎない。偶然、魔術の深淵に触れたことがあって不老になっただけだ。この国では魔力量が高いほど老化が遅くなる。
僕は今二十三歳だけど、十六歳の姿のままだ。
二次性徴半ばで外見が止まっている。だがもちろん不死ではない。

ことのきっかけは三年前だった。
王子殿下が、西の土地の魔王に捕らえられた。僕はどうしても彼のことを助けたかったのだ。だけど僕には、本当は強力な魔力なんかない。僕は力を欲した。そうしたら、東の土地の魔王の配下であるバルバディス公爵と言う名の魔族が現れたのだ。

「力が欲しいか?」
「欲しい」

僕は即答していた。すると魔族は笑った。

「ではその命を俺によこせ。苦しみ抜いて死ねるか?」
「王子殿下を助けることができるのなら」
「そうか。ならば契約しよう。西の魔王は火に弱い。俺は火の化身だ」

直後、僕の中に膨大な魔術知識と、むせかえるような魔力が満ちた。

「人間には過ぎた力だ。持って一年だ」
「なぜ僕に協力してくれるんだ?」
「人間と契約してみたかった。ただの気まぐれだ。どのように死ぬのか見て見たい」
「そうか」
「助かるすべはないのかと聞かないのか?」
「殿下のためならば、僕は死ねる」

僕は王子殿下に恋をしていたから、後のことなんてどうでもよかった。
ただ、ただただ助けたかったのだ。
王子殿下は、西の魔王に辱めを受けていた。僕はそこに割って入り、彼を助けた。
……そう思っていた。

前方から王子殿下が歩いてくる。
僕を見る目は冷ややかだった。いつまでたっても慣れない。
王子殿下は……もう西の魔王に身も心も陥落させられていたのだ。魔王なしではいられない体になっておいでだった。結果として魔王は捕らえたが、塔に魔力封じをして隔離するだけの処遇となった。今でも王子殿下と毎夜毎夜、体を重ねている。
王子殿下は僕を恨んでいる。僕が助け出したことで、四六時中性交していられなくなり、体が辛いのだとか。もう、僕の好きだった優しい殿下ではない。それでもまだ僕の恋心は消えないけれど。一つ言えるのは、僕がしたのは余計なことだったということだ。殿下は魔王を求めていて、僕はある意味引き離した。しかもその代償に僕は死ぬのだ。まったく、馬鹿げている。

「ユーリ様! またお散歩ですか! お仕事溜まってるんですよ!」

そこへ部下のマアサが走ってきた。殿下を澪切った後、僕は笑顔を取り繕った。

「僕がいなくてもその程度余裕だろう?」
「何を言ってるんですか! 早く行きますよ」
「悪いけど僕はこれからナンパ旅行に行くから」
「まぁたそんなこといって!」
「じゃあな」

ひらひらと手を振って僕は歩く。それから走った。
胸が締め付けられるように痛んで、嘔吐感がせり上がってくる。追いかけてくるマアサを振り切り、なんとか人気のない場所までたどり着いたところで、僕は咳き込んだ。草むらにぼたぼたと血が落ちた。
両手を地につき、ぜぇぜぇと息をする。視界が眩んだので、そのまま草むらに横たわった。体をくの字にして浅い息を繰り返す。

そうしていると懐中時計が音を立てた。
この時計は、殿下が魔王に会いに行くとなるように仕掛けてある。僕の今の主要な仕事として、魔王の監視と殿下の保護があるから、二人が接触しているときは監視しなければならない。ようするに二人の情交を見なければならないのだ。魔王も殿下もそのことは知っている。だからこそ殿下の僕に対するあたりはきついのだ。鏡を取り出し監視を開始する。こちらに気付いてニヤニヤ笑いながら、魔王が殿下を開脚させてM字に拘束した。頭上では手首を拘束している。それからツツツと殿下の陰茎を人差し指でなぞった。殿下はそれだけでとろけ切ったような表情に変わり、先端から蜜をこぼし始める。陰茎が反り返っていた。そして僕は愛する人が乱れる様を見せつけられるのだ。
僕はこんな状況になる前から殿下に淡い恋心を抱いていたけれど、最近では確かに肉欲を感じている。二人の激しいSEXを見ていると体の芯が熱くなるのだ。体を芝に預けたままで、僕は自身の陰茎が反応し始めていることを実感していた。最悪だった。
何が最悪かといえば、だ。
はじめはそれこそ殿下に欲情しているのだと僕は思っていた。
だけど今の僕は殿下のことは好きだけど、殿下のことが羨ましいのだ。快楽に体を震わせる殿下を見ていると、僕はいつしかそれに自分を重ねていることに気づいてしまったのだ。僕も絡め取られるような快楽に身を任せて見たい。激しく貫かれてみたいと、そう思うようになってしまったのだ。
だが魔術師は戒律で手淫さえ許されない。しているものは多いだろうが、僕はそれを守っている。だから熱い体を鎮めることにも必死にならなければならないのだ。
我ながら複雑だ。
愛する殿下に蔑まれている。殿下は快楽調教を受けている。それが羨ましい。そんな殿下のためにもうすぐ僕は死ぬ。全ては魔王が悪いのだと、何度も思おうとしてできなかった。僕が勝手に殿下に恋をしていたことと、僕の本質が淫乱じみていることが悪いのだから。死も当然の報いなのかもしれない。
そんなことを考えていると、鏡ごしに魔王と目があった。嘲笑された。
そのまま僕は仕事を終えるのと同時に意識を落とすように眠りについた。

「ユーリ様大変です! 魔物が出ました!」

執務室に戻ってすぐにマアサが走ってきた。
余裕たっぷりに僕は笑う。

「この僕がいるんだぞ。何も問題なんてない」

本当はもう体が限界を訴えていた。けれど鞭打ち、僕は出現現場に空間転移して、魔物を屠った。そしてすぐに城へと戻った。

「さすが僕!」
「自分で言わなきゃ本当に格好いいのに……」
「フハハハハハハ、この僕に不可能なんてないんだ!」

僕は体の不調を悟られたくなくて、死の呪いを受けて以降は、こと明るく振舞っている。実際には本当にもう限界で、今にも吐血して倒れそうだった。
そのときまた懐中時計がなった。
僕はマアサを下がらせて鏡を取り出す。
殿下は鏡の中で四つん這いになり、後ろから激しく突き上げられていた。
咳き込み血をぬぐってから、僕は目を細める。すると体位が変わり、魔王が殿下を抱きかかえるようにした。首筋を舐めながら、両手で乳首をこねまわしている。そして魔王は鏡越しに僕を見る。まるで自分の乳首を弄られているような感覚になり、僕は唇をかんだ。腰の感覚がなくなり始める。出したいと、はっきりと思った。だけど僕にはそれが許されない。しかし直後、心臓を直接手で握られたような痛みが走り、意識がそれた。酸素が喉で凍りつく。痛い。胸がどうしようもなく痛んで、息ができない。ああ、もう僕は、いつ死んでもおかしくない。涙がこみ上げてくる。死への恐怖からではなく体の痛みからだった。

そうか、死ぬのか。
最後に何か一つ願いが叶うのであれば、やはり僕は快楽に身を任せて見たかった。
幼い頃から魔術を勉強してきたから、一度もそういう経験がないのだ。
こんなことを願うだなんて馬鹿みたいだ。

「ああ、面白い願いだな」

そこへ唐突に声が響いた。驚いて顔を上げると、東の領地の魔族がたっていた。
人間の思考を読み取ることができる魔族は多い。
羞恥でカッと頬が熱くなった。

「抱かれる言い訳をくれてやろうか?」
「っ」
「お前の体は強すぎる魔力に耐えられないから死にかかっているわけだ。だから魔力を正しい手法で解放していけば生きながらえる。そのためには、魔物や魔族、それらを統べる各地の魔王と交わって魔力を抜いて貰えばいい。魔力を放つことは精を放つことに等しい。だから人間の魔術師は魔力を貯めるためにSEXを禁じているんだ」
「それは……え……?」
「お前の望み通り快楽に身を任せて精を放てば、お前は死ななくて済む。良かったな、二つも悩みが解決して」
「……あ、相手は人間ではダメなのか?」
「ダメだ。魔力を人間から抜き取る力は、同じ人間にはない」
「だ、だけど魔族なんて滅多に人前には……」
「西の魔王に抱いてくれと懇願すればいいだろう。随分と物欲しそうに見ていたじゃあないか」
「そんなことができるわけが……」
「あいにく俺には人間を抱く趣味はない。いっそ魔物で抜いたらどうだ? 触手の生息地帯はわかっているだろう?」
「絶対に嫌だ」
「じゃあ死ぬのか?」
「……ああ。そうする」

僕は俯いた。魔王に懇願なんてできはしないし、殿下が許さないだろう。
そもそもどうせ死ぬ運命だったのだ。そう考えていると魔族が笑った。

「お前はなかなか面白い人間だ。もっと面白い力をやろう」
「何?」

魔族が喉で笑ってから、俺の首筋に噛み付いた。驚いて目を見開いた瞬間、膨大な力が入り込んできた。

「お前の血に淫魔の力を混ぜた。これからは、今までよりも体が熱くなるどころか、精を放たなければ気が狂うぞ。死ぬよりも先にな」
「な」
「ただ見殺すのもつまらないからな」

魔族はそういうと姿を消した。残された僕は呆然とした。
体を熱に浮かされるようになったのはその日の夜からだった。
一睡もできなかった。
意識が朦朧とするほどの熱が体の中で渦巻き始めた。
両腕で体を抱きしめる。ガクガクと震えていた。何かがドロドロに溶けていく感覚に涙がこみ上げてくる。確かにこのままでは、僕はおかしくなってしまうだろう。

僕は意を決して、殿下の不在を見計らい、西の魔王の元を訪れた。

「随分と体が熱そうだなぁ」
「……」
「来いよ」

僕の状況を瞬時に理解した様子の魔王は、意地悪く笑うと手招きしてきた。
緊張から唾を飲み込む。そして一歩、足を進めた。
するとギュッと手首を掴まれて引き寄せられた。狼狽えて杖を取り落とす。しかし強く強く抱きしめられるとそれだけでもう僕の体は限界だった。

「ああっ、放してくれ……」

自分とは異なる温度がそばにあり、吐息が首筋に触れただけで、痛いほどに僕の体は反応していた。

「ヒっ」

直後服の上から乳首を弾かれて、それだけで僕は果てた。体から力が抜けると、抱きとめられて、そのまま床に降ろされた。恥ずかしいけれど果てたのだからもう終わりだ。そう思っていると、座っている僕の膝と膝の間に魔王が押し入ってきた。呆然として見上げると、服の上から濡れた陰茎を覆うように撫でられ、もう一方の手は服の中に忍び込んできてキュッと胸をつままれた。

体は再び熱くなる。

全力で腰をひき逃げようとしたのだが、体に力が入らない。
涙が混みげてきた時……扉が開いた。入ってきたのは殿下だった。

「どういうことだ?」
「こ、これは……」

激昂するように言われて呆然としていると、魔王が喉で笑った。

「混ざりたいんだそうだ」
「な」
「そうだろう? 私を誘惑してきたのはお前だ」
「ち、違」
「誘惑?? 僕の魔王に手を出す気か!」

張り手で頬を殿下に殴られた。散々だ。もういやだと思いながら、僕は唇を噛み、涙をこらえる。誰が好き好んで魔王を誘惑したりするものか。
ただ思った。僕の人生は詰んでいる。それだけはどうあがいても変わらない気がした。
そのまま僕は部屋を飛び出した。
今後の方向性がわからない。どうすればいいんだろう?
一人きりの執務室へと戻り、僕は崩れ落ちた。ただ胸の痛みだけは少し楽になっていた。そのままソファに横になり、僕は少し眠った。

執務室の扉を勢い良く叩く音で、僕は目を覚ました。

「なにをしたんですか! ユーリ様!」
「……え?」。
「本日付けで王国追放処分だなんて!」
「っ」
「魔王と密通し、魔王を手引きした、なんて嘘ですよね??」
「僕はそんなことをしては……」
「だけどう王子殿下が見たって言って、それで処分が……」

その日僕は国外追放された。反論はさせてもらえなかった。外套をまとい、最低限の荷物だけ持って徒歩で国境を越えた。西の土地には行く気にもならなかったから、必然的に東の魔族の地へと向かうことになった。
途中触手の群生地帯があったが、あんなものに身を任せるなんておぞましくていやだった。しばらく歩き、大木に僕は背を預けて座り込んだ。
吐血する。体が再び熱くなる。もう辛い。

「なんだ、まだ誰にも抱かれていないのか」

そこに東の土地の魔族が姿を現した。緩慢に視線を向けると、魔族は面白そうにこちらを見ていた。

「もう疲れた……」
「では死ぬか?」
「……」

その気力さえなかったが、ここに座っていればじきにそうなるだろうか。
そんなふうに考えていると、魔族が歩み寄ってきて、僕に目線を合わせるようにしゃがんだ。魔族は非常に端正な容姿をしているなとふと思う。

「東の魔王様はもうすぐ代替わりする」
「?」
「東の魔王様は代々強い魔力を持つ人間が魔族となってその座につく」
「なにが言いたいんだ?」
「次の魔王様としてお前に目をつけていたんだ。西の魔王に屈せず、人間に虐げられ、淫魔の血を宿し、膨大な魔力を持つ。お前は次の魔王様にふさわしいな」
「え……?」
「魔王様の力を引き継げばもう苦しくて良くなるぞ」
「僕が魔王になる……?」
「なってみないか?」

僕は意識が朦朧としていたから、ぼんやりと頷いていた。
その後魔族に連れられて僕は東の魔王の元へと行き、王冠を譲られた。
瞬間体が楽になったことを覚えている。
それから僕は酒池肉林三昧を繰り広げるでもなく、静かな治世を行った。
ただし胸の痛みは消えたが、淫魔の血のせいで、定期的に体が熱くなった。
だが人間でなくなった僕には性欲を感じるといって、魔族……セクト・バルバディスが押し倒してくるようになった。そして僕は純然たる快楽が何かを知った。

「んっ、は……ぁあっ」

口淫されながら僕は悶えた。初めは羞恥があったが、今はない。
魔族は計画通りになったと言って笑っていたが、どうでも良い。

僕の人生はこれで良いのかは分からないが、他にどうしようもない。
だから今では快楽に絡め取られながらも、東の土地を治めている。

春になったら、新しい学校でも作ろうかな。

「なにを考えているんだ?」
「え?」
「今は俺だけのことを考えろ」

そんなやりとりがちょっとだけくすぐったい。最近僕は新たに恋をしていて、今ではこの魔族のことが好きだ。我ながら惚れっぽいのかもしれないが。
だからここのところは幸せだ。
それが続けばいいと僕は願っている。めでたしめでたしには程遠いかもしれないが。