シークレット・レコード


俺は十年後の約束をしたことがある。有体な約束だ。
――十年たったら、必ず会いに行くから。
本当によくある約束だろう。

そして十年後。現在俺は二十七歳になった。

会いには行っていない。初恋の相手(男)の所には、会いに行っていないのだが……いないのだが……奴は今、俺の目の前にいる。

「十川先生。このプリントのPDFですけど――」

奴が俺に話しかけてきた。実は俺も奴――相原も、この漆原学園の教員なのだ。
相原は二十三歳で、今年の春教員になったばかりだ。新任で挨拶にきたその日、俺は相原の姿を見て呆然としたものである。

十年前、俺は十七歳から十八歳になる高三の年に、相原と出会った。
当時の相原は、誕生日が来る前で、まだ十二歳の中一だった。
あの頃の相原は、すなわち天使だった。
もう性別など超越した愛らしさだった。
出会ってすぐに俺は、プロポーズを決意していた。そして言ったのだ。

「十年たったら、必ず会いに行くから――そうしたら、俺の恋人になってくれ」

相原は、柔和な笑みでコクりと頷いてくれたのだったか(記憶は確実に美化されている)。
とにかく当時は、大人になって、経済的な余裕なども身に付けたら、しっかりとプロポーズしに行こうと思っていたのだ。
しかしこの十年、俺は大人というか冷静になった。

春――心境的には悲しいが、非常に幸いなことに、相原に「はじめまして」と挨拶された。
俺は動揺しつつも「はじめまして」と返した。
奴は俺のことを覚えていなかったのだ。忘れている。それもそうか。子どもだったし。
第一、天使みたいな外見で、目が大きくパッチリしていてつい見ほれてしまうところなんて昔から変わらないし、俺みたいにプロポーズを考えたり実行した人間はたくさんいるだろう。
きっと俺は、その他大勢の一人だ。それでいい。
相原が思い出さないでいてくれることを祈っている。
俺は忘れていてもらったことで、『ショタコンのホモが中等部で教師をしている』というレッテルを貼られずに住んでいるのだから。
ちなみに別に俺はゲイというわけじゃない。ただ相原が好きなだけだ。それは、それだけは、今でも変わらない。

「教材研究用のPDFなら、共有フォルダの中に俺が入れておいた物があったな。あ、その良かったら、使ってください」
「有難うございます」

俺は、毎日精一杯やさしく話しかけている。
相原は、昔と違い、あまり笑っているところを見ない。だから淡々と義務的にお礼を言われたり、時に社交辞令を返されたりばかりだ。

「2−Aの文法別の苦手な課題のフォーマットは、昨年の3−Bの資料をモデルに、ちょっとかえると良いかもな。こ、困ったら言ってくれ……そ、その、手伝うから」

俺は必死で優しさを見せた。ちなみに、具体的に俺が出来そうなことといえば、仕事の手伝いくらいである。
そんなことを考えていたら、職員室の空気が凍り付いていた。見ながら、俺と相原を凝視している。……俺ごときガ、相原に手を出すなという無言の圧力だろうか? 知るか!

「有難うございます。今は大丈夫ですが、助かります。そのときには、ぜひ」

相原が珍しく微笑した。卒のない言葉だった。周囲の空気も和らいでいく。相変わらず相原はモテるのだな。敵が多そうだ。

俺はどうすればいいんだろう?
相原のことが今でも好きで……いや、知れば知るほど好きになっていく。
毎朝はやめに来て、一日の準備をしている姿を目撃したり、一人一人の生徒の答案用紙に詳細な解説を返しているのを見たり。
相原はとにかく頑張り屋さんだ。
今じゃ外見より中身の方が好きだ。
たとえそっけない対応をされようとも。

――まぁ、どうにかする必要もないか。俺は遠くから見るにとどめよう。うん、そうしよう。……確かにそう思っていたはずだった。

その日、雨が降っていた。ここのところ、雨が多い。台風がうろついているせいなのかもしれない。それも激しい通り雨なのだが、夕立とは少し雰囲気が違って、昼頃降るのだ。
今も突然振られて、俺は、第二体育館倉庫の入り口正面まで走った。結構降っている。髪も服も濡れてしまった。午後は授業がないから、職員寮でシャワーを浴びたいな。
そう考えていたとき、やっと俺は、先客の存在に気がついた。
入り口正面には、相原が立っていたのだ。

「あ、相原先生……! 濡れなかったか?」
「ええ、まぁ」

相原はやっぱりそっけない。俺を一瞥した後、空を見上げた。先ず持って、俺に興味が無さそうだ。

「十川先生の方が、濡れてるんじゃ?」
「あ、え、あ」

――……!! 相原から話しかけられた。貴重なことなので、いちいちドキドキしてしまう。

「な、そ、中! 倉庫の中に傘があるので!」

動揺した結果、俺は質問の答えになっていない言葉を返してしまった。その勢いのままに倉庫の扉を開ける。そして中へと入り、置き傘に手を伸ばした。ここには忘れ物の傘がしまってあるのだ。2本手にとり振り替える。

「よし、これで――……」

傘を開いた瞬間、それは強風で壊れた。
その上、空を雷が走った。
傘、役に立たない。いやむしろ俺、役に立たないな!
しかしこの雷はちょっと危ない。

「そ、そうだ。中に入ってやり過ごすって言うのは?」
「十川先生にお任せします」

相原が頷いたので、中へと今度は二人で入った。念のため、雨よけに扉を閉める。すると、バキッと嫌な音がした。
「……」
扉を開けようとしてみたが、開かない。開かなくなってしまった。
恐る恐る相原を見ると、すっと目を細めてこちらを見ていた。
気まずい。気まずすぎる……!
俺は、多分引きつっていたと思うが、それでも頑張って笑顔を浮かべた。
そして相原を見守っていると、相原は、マットの上に座った。俺もその正面の台のところまで移動する。若干ほこりっぽい。

それにしても――相原は綺麗だ。まつげ長いなぁ。思わずじっと見てしまう。烏の濡れ羽色の髪と目ってこういう色なんだろうな。
そんなことを考えていると、正面から視線がぶつかった。

「十川先生……」相原は小声だった。
「は、はい?」緊張して俺は、どもってしまう。

「……どうせ俺のこと覚えてないんでしょ」

響いた声に俺は目を見開いた。
え。 オボエテイナイ――? いやいやいや。

「え、嘘、お、おい、覚えてたのか――いや、待っ、お、俺は覚えているよ!」
「ずっと待ってたのに」
「え」
「で、どうなの? 結局今の気持ちは」
「あ、あの、付き合ってください!」
「別にいいけど」

――!? 反射的に告白していた俺だが……え? えええ?

こうして、十年たって、俺は相原と付き合うことになった……のか……?
その後、倉庫の扉を一所懸命に開けながら、俺は大混乱している頭を整理しようとした。
ただ全身を駆け巡るのは――喜びだ! 相原と恋人同士!!
本当、信じられない。俺でいいのだろうか?
待っていたって、本当だろうか?

翌日俺たちは、隣の隣の駅で待ち合わせをした。
デートをすることになったのだ。
初めての待ち合わせに、俺はドキドキした。ドキドキしっぱなしだ。ネバーエンドキドキだ。幸せすぎて謎テンションの自分が若干キモい。
駅ビルのウィンドウを見ながら、俺は自分の全身を見やる。服とか変じゃないだろうか? もう、ウロウロもソワソワも止まらない。
そして待ち合わせ時刻になった。
しかし――五分待っても十分待っても三十分待っても一時間待っても、相原は来ない。え。
何度も携帯を確認したが、連絡もない。あれ……?
もしや何かあったのだろうか?
いや待てよ。ここは、新南口だ。俺たちは南口でと約束をしていて……まさか! 俺、待ち合わせ場所を間違った!? あせって走る。目指したところには、やっぱり相原の姿があった。

「ご、ごめん!」
「……来ないのかと思った。嫌なら別に、来なくても良かったのに」
「ち、違う!!」

全力疾走したため、息切れが止まらないまま、俺はそれでも必死で否定した。嫌なはずがない。何が嫌だというのだ!

「本当にごめん! 場所を間違えたんだ!」
「場所を……?」
「ああ」

これまでいた場所を説明すると、相原は納得してくれたようだった。
ここ、間違えやすいところだからな。
それにしても焦った……!

さて、二人で歩きながら思う。
「ところで、なに食べるの?」
二人きりのときは、敬語じゃない相原がかわいい。良いな。今日の目標は『名前呼び』と『手を繋ぐこと』だ。果たして俺に出来るだろうか。このハードルは高そうだ。
「十川先生?」
「え、あ、何?」まずい、聞いてなかった。
「……聞いててよ。だから、お昼。なに食べる?」
「あ、悪い、え、その……相原は何が食べたい?」
どうしよう。思えばデートプランとか、真っ白になってしまった。さっきはそれだけ焦ったのだ。
「蕎麦とか」
プイと顔を背けて相原が言う。
「じゃあ、蕎麦にしよう――……ところでさ」そうそう、名前だ。
「何、梓」
いきなり名前を呼ばれ、俺は目を見開いた。
「え」
「何?」
相原は俺に向き直ると、足を止めた。
「名前……」
「名前で呼んじゃダメなの? 俺たち付き合ってるんだよね?」
相原は当然だという顔で言った。そっか!
「あ、ああ。いいけど」うんうん。俺たち付き合ってるんだもんな。
それにしても、なんと相原の方からハードルを乗り越えてきてくれるとは。
十川梓とがわあずさは、俺の名前だ。

「それで何?」
「あのさ、要……くん」

だめだ、恥ずかしくて呼び捨てられない。だけど頑張れ俺! もうひとつのハードルくらい、自分で越えるんだ!!
「その……手なんだけど……:
「ああ、この指輪? 特に意味はないよ」
相原改め、かなめくんは、そういうと左手の薬指に嵌まる指輪を見せてくれた。指輪をしているなんて、ぜんぜん気付かなかった。一見恋人がいる風だ。俺、鈍い! なんでも左手の薬指にしか、サイズが合わないのだという。だけど問題は指輪じゃない。

しかし要君が語る指輪談義を聞いているうちに、お蕎麦屋さんへと到着してしまった。

「ここ美味しいらしいんだ」この前父親が、通りかかった時に言っていた。
「梓って、蕎麦とか食べるイメージないのによく知ってるよね」
俺のイメージって、どんな風なんだろう?
考えていたら、要君が、お冷を飲み干した。
「少し知ってるだけなんだ。そ、そうだ、お水おかわりいる?」
よし、気の利く男の演出!!
「あ、有難う」要君が微笑んでくれた。
「ちょっと待ってて――……!!」
しかしいい感じだと思って油断したようで、俺は自分のコップを派手に倒してしまった。
卓の上が水浸しになり、俺どころか、要くんの服も濡れてしまった。俺なにやってるんだろう……。

それから食べた蕎麦は、味がしなかった。
もちろん絶品なのだが、心境的に。
要くんは、美味しいと感動してくれた。
だけど――ダメだ。緊張しすぎて、俺空回ってる。冷静になれ、俺!

店を出てすぐに俺は言った。
「少し歩こう!」
外の空気を存分に吸って落ち着こうと思ったのだ。そして改めて決意した。手を繋げ。頑張れ。

――なんてやっていたら、気付けば五分くらい俺たちは、無言で歩いていた。それに気付いたのは、要君に服の裾を引っぱられたときだった。

「そっちに行くの……?」
「え、ああ。嫌?」

何か問題があるのだろうかと思い、顔を上げて俺は硬直した。
なんと、いつの間にか周囲の風景は、ラブホ街になっていたからだ。
思わず息をのむ。

「嫌っていうか……あのさ」
「ち、違うんだ! 違うから! 散歩! 本当、散歩! それだけ!」
「……」

要くんは無言になってしまった。

――俺はもういっぱいいっぱいだ。だってだ。好きな人と付き合えて、デートできているわけで……どうしたら喜ばせて上げられるのだろうかだとか考えてることがありすぎるのだ。
その後気まずさを残しつつも、なんとかぶらぶらと買い物などをして、俺たちは、帰路へとつくことにした。
駅にて。
俺は結局手をつなげなかったが、やりきった感を覚えていた。

「今日は、た、楽しかった……!」
「……」
「また、行こうな……?」
「……まぁ別に」

要くんが顔を背けた。……別に? ……。
まぁ良い。今日は、深く考えるのは止そう。

「じゃあまた! 駅どこ?」
「同じ寮でしょ……?」
「あ」
「あのさ、さっきも聞こうと思ったんだけど、何で今日、待ち合わせだったの?」

俺は職員寮が同じであることをすっかり忘れていたのだった。


そんなこんなで始まった俺たちの恋愛。
俺は結構浅ましくて、要くんと、同僚の松山早人先生が仲良く話していたりするのを見て、嫉妬したりしている。
何せ、「早人先生」「要先生」と呼び合っている。俺は学校では、「十川先生」「相原先生」だ。良いな……。
さて、なかなか職員室で要くんと話す機会はないし、仕事中は、俺は仕事に集中している。
そうすると、仕事の後のやり取りだが、なかなか会えない。
そこで俺は、一日一回メールを送っている。ウザく無いように一回だ。返信は、めったに来ない。まぁ俺のメールはいつも『今日は、特別フォルダに前年の課題を入れたから。おやすみ』というような仕事報告+おやすみメールだったりする。
でもこれでも返事ないし、ウザがられてんのかな。
現在付き合って三ヶ月。
破局の時期だ。
本当最近全く話しをしていない。
寂しいを通り越して虚しい。このまま別れたりしないよな……?

ため息をつきながら、渡り廊下を歩いていると、急に外から、砲丸が飛んできた。体育か。
俺は反射的に、近くを歩いていた生徒を庇う。窓硝子が飛び散り、腕に刺さった。シャツが切れて、血が滲んできた。
しかし俺の腕の中にいる生徒は無事だ。良かった!

「先生、だ、大丈夫!? 有難うございます……っ保健室に!」
「平気だ」

そんなことよりも、よほど問題なのが、俺と要君の恋の行方だ。この前のデートも散々だった。突然雨に降られるわ、届いたパスタを緊張のあまり取り落とすわ……ああ、どうすれば、急下降中だろう俺の下部は上がるんだろう? このままでは株が……株……株かぁ……そういえば、この前届いた株主優待券の中にフレンチのレストランがあったな。蕎麦は前につかっちゃったしな。うーん。連れて行ってみようかな、フレンチ……だけど結構良い値段するんだよな……だけど結構良い値段するんだよな……今月のお小遣は1000万円として「先生!」

「ああ……?」

生徒が俺の手をとり泣いている。俺の怪我、そんなにひどくないと思うぞ?

「今言うことじゃないの分かってるけど、僕、僕ずっと先生のことが好きだったんです!」
「そうだったのか」
「付き合ってください!」
「悪いが、好きな相手がいる」

今日二十九回目の告白だな。それにしても勢いがあって――若くていいな。昔の俺も、それこそ要君にプロポーズしようと決めたときの俺もこんな感じだったのだろうか。
それから保健室へ行き、念のため治療をしてもらった(全治二週間らしい……! 長!)。
その後俺は真直ぐ、保健医の指示にしたがい職員寮へと戻った。
すると――!! 扉の前に要くんが立っていた。硬直している俺に、要くんが静かに視線を向け、小さく息をのんだ。何だろう? ま、まさか、別れにきたとかじゃないよな?

「ど、どうかしたのか?」

俺の声は震えそうだった。要くんは目を細めている。大きな目の人が目を細めると、迫力があるな……。
「……そっちこそ」要くんがポツリと言った。
「え?」どういう意味だ? 俺は首を小さく傾げた。
「ケガ。心配した」要君が良く通る声で口にした。
「え!」思わず俺は目を見開く。

「え?」
「し、心配!?」 本当に!?

要くんが俺のことを心配してくれた……?
どうしよう、嬉しすぎる。

「なに……心配しちゃ悪い? 心配くらいしてもいいでしょ」
「あ、ありがとう……!」

感動のあまり、今度こそ本当に声が震えた。
要くんは、何故なのか、ふてくされたような顔をしている。だが、俺の心は幸せに包まれている。なんて幸せな日なんだ!

「部屋、入っていい?:
「え」

続いた声に、俺は身体をこわばらせた。耳を疑う。

「……――だめなの?」
「いや、その、いいけど……ど、ど、どうぞ!」

要くんが俺の部屋に来てくれるなんて! こらえろよ、俺の自制心!! 扉を開けようとして、カギを取り落とす。震える手で必死に扉を開けた。中は、俺はあんまり無駄な物を置かないから、何もないという意味では、綺麗だ。汚れない。

「い、今、飲み物出すから……!」
「座ってれば。やるし。コップだけ貸して。棚のところの使って良い?」
「あ、ああ。や、でも、いいよ。俺が――」

コーヒーを出そうとしたら、コードを足にひっかけて、コーヒーサーバーから中身がこぼれてしまった。それが要くんの服にかかった。
「……」
ああっ、要くんがあきれている。だけど、それよりだ。
「ごめっ、やけどは!?」大丈夫だっただろうか!?
「無いけど……」良かった!! 要君の声に安堵した。
「じゃあ、あの、そうだ、そう、着替え!」
さすがにこの茶色く濡れた感じでは、寮内を歩きづらいだろう。俺ので丁度良い服はあるかな?
本当、俺、なにやってるんだろう。

「……それより、シャワー貸して」
「え? あ、ああ」コーヒーがべたつくのだろうか。
「後さ、その腕のケガ……一人で梓がシャワー浴びるのも大変でしょ。せっかくだし手伝うから一緒に入ろう」
「!!」 え? 一緒に? 幻聴!?

呆然としているうちに、俺は、な、なんと、要くんと一緒にお風呂に入ることになってしまった。嬉しすぎる――……!
が。
本当に持つのか? 俺の理性……。


「……っ……っっっ」

ヤバイヤバイヤバイ。先ほどから背中を流してもらっていて、時に指先が俺の肌をかすめるたびに、勃ちそうになってしまう。俺は泣きそうだ。変な声を漏らしてしまわないように必死だ。
それはそうと、要くんは本当に優しいな。
しかし、本当にありがたいのだが、後ろから抱きつくようにされた瞬間、思わず息をのんだ。
……押し倒したい……。本気で勃ちそうだ。

「ねぇ」

そのとき、いきなり声を掛けられたから、ビクリとしてしまった。ま、まさか、俺の煩悩がバレた!? 向うは親切心でしてくれているだけなのに、ついエロい事を考えてるってバレちゃった!?

「そろそろあがろ」
「あ、うん」

――……良かった。用件はそれだった。

それから俺達は、お風呂から上がった。
二人で着替える。手伝ってもらっている。なんだか幸せだな。
恥ずかしくて俺は何もいえないけど、別に今の沈黙は嫌じゃない。

そうしてリビングに戻ると、要くんが麦茶を出してくれた。
そして俺の隣に座った。? 正面に座ればいいのにな。本当、近いと緊張してしまう。
片手にとかまわしたら怒られるかな……でも、折角のこの距離……。ちょっとそれとなく手を伸ばしてみる。

「あのさ」
「え!?」

しかし突然沈黙が破られたのでビクッとしてしまった。宙で行き場を失った俺の手……!

「本当に俺のこと好きなの?」

――!? 『突然』の連続過ぎて二の句が告げなかった。

「何を当たり前な……?」 常識だろ!

首をひねった俺の前で、要くんが首を傾げた。

「だからさ……ヤりたいって意味で」
「――え?」
「俺は、そういう意味で梓のことが『好き』なんだけど」
「!!」

思わず赤面してしまった。唇を片手で覆う。頭の中に、いろいろな姿の要くんが浮かんでくる。主に裸の。

「も、勿論、お、俺も……!」

わーわーわー!! !! どうする俺!!

「じゃあ、あの、俺の怪我が治ったら――」
「今しよ」
「――え?」

呆然としていると、履いたばかりの下衣を脱がせられた。



「っ……ッ……」

気持ち良い。というか眺めがヤバイ。要くんが俺のを咥えてくれている。
ピチャピチャと水音が響いてきて、淫靡だ。直接的に体温を感じるせいなのか、なんだかすごく生々しい。
筋を舐められ、唇に力を込めて口を動かされるたびに、俺の陰茎は硬度を確実に増していく。

「フッ、あ……ン、大きッっ……」

要くんが涙目になっている。俺はもう眼福過ぎてイきそうだ……。しかし、しかしだ。
俺は、俺の上に乗っている要くんの肩を支えて反転させた。
このままだと本気で出てしまう。
じゅうたんの上で驚いた顔をしている要くんの耳の脇に、俺は無事な方の手を、ダンとついた。
そしてなけなしの理性を総動員させる。

「要くん、俺は、そ、その、したいけど……体だけが欲しいわけじゃないからさ。俺がもっとその、気持ちよくして上げられるときに、ま、また……!」

精一杯そう告げると、呆然とした顔をした後、要君が唇をかんだ。

「……俺、下手だった?」
「えっ、そ、そういうことじゃなくて」

むしろ気持ちよかったです。

「じゃあシャワーの時もぜんぜん反応しなかったし、本当は”男”が生理的に無理なんじゃないの?」
「え? そんなこと無い」

まぁ、要くん以外、男はないけどな。ただそれは今では、男も女も変わらない。今、俺には要くんだけだ。
要くん意外じゃ勃たないと思う。だからこそ、だ。

「ただ俺は、その……要くんの事を大切にしたくて」
「大切……そっか」
「ああ……だ、だから! 今度!」
「……うん」

なんだか微妙な空気になってしまった。
俺が言ってもさまになっていないのかもしれない。
とりあえず、いそいそと俺は下をはいた。
――思えば、俺達はキスもまだだ。そんなことを考えていたら、要くんが静かに帰っていった。帰っちゃったのだ……。
せめてキスできれば良かったのに……!




そんなこんなで、初キスすらもまだ、思い返せば、手も繋いでいない状態で、俺達は恋人になってもうすぐ半年を迎えようとしている。
休日に二人で食事に行く以外の変化は何もない。

「十川先生、好きです。付き合ってください」
「悪い。恋人がいるんだ」
「え!!」

本日十三回目の告白だ。十三って思えば不吉な数字だよな。そんなことを考えていたとき、生徒が俺に抱きついてきた。
と、同時に扉が開いた。

「僕どうしても先生のことが好きで、キスだけでも――!」

俺は口元を手でガードしつつ、扉を見て、目を大きく開いた。
そこにはすっと目を細めてこちらを見ている要くんがいたのだ。

要くんに”初めて”呼び出されたのは、その日の夜だった。

「どうかしたのか?」
「さっきの生徒さ……」
「どの生徒だ?」
「だからッ、梓に告ってた子」

本気でどの生徒か分からない。

「なんて返事したの?」
「? よく分からないけど……俺は好きな相手が、そ、その、恋人がいるからって伝えてるけど……?」

ま、まさか、嫉妬してくれてるのか!? 嬉しすぎるが、どう対応すればいいのか、それはそれで怖い。嫉妬されるなんて、愛されている証拠だ!!
俺がいろんな意味でドキドキしていると――要くんが眉間にしわを寄せ、唇をかんだ。

「――それ、俺の事で良いんだよね?」
「え!? 違った!?」 俺は唖然とした。
「……俺はそう思ってるけど……恋人って思われてる気が全然しないんだけど」
「え、あ……」
「――っていうかさ、本当、なんなの!?」
「……え、何が……?」
「今日みたいに生徒からああやって告白されるわ、親衛隊がいたりとか、家はお金持ちすぎてたまについていけないし、しかもイケメンとか本当滅べよってくらい良い男なのに……なのに、なんで? 『他の人』の前だとすごく格好良いのに、どうして俺の前では違うの!?」
「えっ」
「俺のことはどうでもいいの?」
「ええっ!? 違っ……どうでもよくない!」

反射的に俺は否定していた。――だけど俺って要くんの中でスゴイ人になっていないか……?
カッコイイ方が気のせいなのだ。確かに実家は、ちょっと財閥だけど解体されてるし、それに親衛隊なんてものは、この学園の特殊な文化のようなもので、ただのファンクラブだ。
――本当、格好悪くてゴメン。だけどこれが、俺なんだ。だけどこれからは、要くんのために格好よくなるように頑張ろう。うん。まずはその前に謝ろう。

「――悪かった」
「悪かったって、どういう意味?」
「? そのままだ」
「……」
「……?」
「……俺の事好き?」
「勿論!」
「じゃあ――……周りに、付き合ってるって言っても良い?」
「ダメだ!」
「……」
「だってここ男子校だぞ? 変な噂が立ったら、俺も要くんも失職だ」
「……俺が好きな相手だって言えないんだ」
「あ、いや、その、え? 違、現実的に、だから、え、え、……?」
「生徒に対して『好きな相手がいる』って断ってるって、それって、本当に俺でいいんだよね? さっきも聞いたけど」
「そうだよ」
「じゃあ信じさせてよ」
「どうやって……?」
「今すぐにして」
「何を?」
「だからっ、セッ……」
「せ?」
「……もう、良い!」
「え? え!? 何がいいんだ!?」

要くんが走り出そうとしたので、思わず手を掴んだ。
ある意味では初めて手を繋いだ。

「俺ばっかり梓の事を好きみたいで、こんなの嫌だ!」
「え」

要くんが泣き始めた。ポカンとした俺は、ゆっくりと二度瞬きをした。

「本当に俺のこと好きなら、今度こそしようよ」
「あ、ああ」

要くんが額を俺の胸に押し付けてきた。俺は恐る恐る、背中に手を回し、そしてギュッと抱きしめてみた。初めて抱きしめたのだ!


ちなみに俺は、童貞ではない。勿論素人童貞でもない! だが自信があるというわけでもない。
だから前回要くんとヤりかけた時から、ローションをそれとなくネットで買ったりなど、ひっそりと準備を進めてきた。勉強もした。

しかし現在ここは俺の部屋じゃない。
――人気の無い、第四理科室なのだ。
一応用途は不明だが、白いベッドがある。俺はその上に、要くんを押し倒している。勤務終了時間は過ぎているが、職場で何やってるんだろう俺!
しかし今は、俺の愛が試されている気がする……! 頑張ろう!
要くんの上を脱がせて、乳首に触れてみる。

「ンァ……」

鼻を抜けるような声が響く。

「あ、あっ……」

色っぽい要くんの声音に、緩みそうになる顔を必死で制する。
言葉攻めとかしてみようかな。ひかれるかな。ひかれるよな。
二本の指を舐めながら、俺は思案した。片手では、相変わらず要くんの胸を弄っている。

「ちょ、ちょっと待……ンゥっ!!」
「え? 何?」

指を一本入れたところで声をかけられ、ビクっとしてしまった。もしかして、痛かったかな? どうしよう。どうしよう!?

「なんで……ッ……そんなに、うまいの……!」
「!」
「なんかずるい。すごく、梓ばっかり余裕で」

え? 俺、上手いなんて初めて言われた(誰と比較されたのだろう……?)。それに、余裕? 俺に余裕!? そんなものどこにあるんだ!? 無いと言うか、むしろ欲しいぞ!

「アッっ……ン、うう」
「全然余裕なんて無いな。要くんを前にしたら、いつだって冷静じゃいられない」
「っ、あ、そんな、指動かさないで……っ」

俺は指を二本にふやしてから、動かすのを止めた。

「ひゃっ……うぁ……やだ、もう入らない」
「まだ指二本だ」
「無理、や、やっぱり止め、怖……っ!」
「平気だから。ゆっくり息を吐いて」
「あああ!!」

要くんの呼吸に合わせて、指を深く進める。それから、前立腺らしき場所を見つけた。

「や、やだ、や、そこ、変になるっ……!」
「変じゃないから」
「な、なに、そこ、ヤ――!!」
「ここが良いんだろ?」
「あぁっ……や、梓っ、変っ!!」
「落ち着いて。な?」

要くんの目から涙が垂れそうだったので、目元を舌で舐める。すると、ピクンと要くんの肩が動いた。それにしても、まだキツそうだ。要くんの中はギュウギュウだ。だけど、もう、俺もそろそろ限界だ……!

「挿れて良い?」
「っあ、ダ、ダメ……!」
「ゴメン、無理だ」
「え、な、うぁ――……!! うぁぁあ――!!」
「っ、痛いか?」
「やっ、あ、痛、いけどっ……あっああ!!」

やっぱり痛いのかと思って、俺は動きを止めた。中で馴染むまで、少し待とうとも思う。
本当はもう、すごくすごく動きたいんだけど。

「あ、ハッ……梓っ」
「ん?」
「あ、梓は?」
「何が?」
「気持ち良い?」
「ああ」

勿論だ。正確に言うならば、胸がいっぱいだ。正直に言うなら、激しく抽送したい。

「良かった、俺、初めてだから……っ、ぁ……全然分かんなくて……っあ!」

――!? え、嘘!? 要くんは初めてなのか!
一気に俺は緊張した。俺のコレのせいで、性行為に変なトラウマが残っちゃったりしたら困る。
優しく、ここは優しく、いやここじゃなくとも要くんの為ならいつも優しく!!

「動いて良い?」
「え、や……ダメ!」

動きたい。すごく動きたい。しかし俺は頑張って、腰の動きを止めた。すると、要くんの腰の方が揺れだしたので、手で支える。

「なっ、早く、動いて!! あぁっ、も、もうッ!」

やったー!! お許しが出た。
勢い良く俺が腰を進めると、要くんの体が引けそうになる。しかし反射的に手で阻止し、深く体を進めて、俺は中を揺さぶった。

「ああっ!! あ、やァ――!! ぁ、あン――!!」

刺激すると要くんの体が跳ねる場所を、見つけた。俺は自身の先端で、グリグリとそこを強めに刺激した。
そうしながら、片手で要くんの陰茎を握る。

「やめっ――……そんな、両方されたら、俺ッ――!!」
「大丈夫だから」
「うァ……ン――っ、ぁ……ンあ――!!」

要くんが果てて、俺のシャツの腹に白い精が飛び散った。

「あ、あ……ゴメ……ンなさ……」
「別に良い。だけどもう少し我慢してくれ」
「え? っぁ……ア……ぁあ!! やだ、うそ、待っ――!!」

そのまま、俺は腰を動かし、二回目に要くんが果てたのとほぼ同時に、自身を引き抜き外へと出した。


事後。

「ご、ごめん、止まらなくて……!」
「……慣れてた」
「え? 嫌、慣れてないよ? それより、腰痛くない? 大丈夫か? 立てる?」
「っ、そんなの……!! あ……立てなっ……」

要くんが真っ赤になった。俺は要くんを抱き起こし、そのまま抱き上げた(服はさっき着せた)。

「え、ちょっ……」
「歩けないんだろう? とりあえず保健室まで」
「こんなところ誰かに見られたら……バレたらまずいって梓が言ったのに……。俺と付き合ってるなんて、恥ずかしくて言えないくせに」
「は? 何? どういう事だ?」

とりあえず、歩きながら、要くんを見た。キレイで可愛い。俺だけの要くんだ……!

「この学園、ノーマルな奴の方が少ないのに……教師も含めて」
「それはそうだけど」
「みんな誰と付き合ってるとか公表してるのに」
「えっ、そうなのか?」
「本当――……この学園の”俺様ランキング”一位だよね……まわり見てないって言うか」
「え?」
「待ち合わせに遅れてくるのは当然、とかいわれてるの知ってる?:
「え」

何だそれは。どういう意味だ。

「俺の中では梓は、全然イメージ違うけど」
「要くんの中では、俺のイメージは、どんな風なんだ?」
「王子様」
「え?」
「十年間ずっと待ってた俺が、眠り姫――なんて、ちょっと笑ってよ! 笑う所!」
「あ、うん」
「なんていうか、十年前はね、自分が子どもなのがすごく辛かったんだ。実はね、先に好きになったの俺だから」
「ええ!?」
「一目ぼれして、それとなく梓を紹介してもらったんだ」
「嘘だろ?」
「本当。でも去年で十年目かと思ってたら、来ないし。俺、どうしても会いたくて、梓がこの学園にいるの知ってて採用試験受けたんだ」
「要くん……」
「重いかもしれないけど、俺、梓のこと、本当に好き。大好き。本当大好き。愛してる」

俺は感動した。抱く腕に力がこもる。

「俺の方が、絶対愛してるから!」

最後に。
俺は、自信を持ってキスをした。