飲む血液ヨーグルト


・序・・・・・・


暁月あかつきは、枕上に片手で頬杖を尽きながら、吸い殻が半分ほど溜まった黒く丸い灰皿を見た。腕を伸ばして真新しい煙草の箱を手に取り、封を切って銀紙を引き抜く。そして一本銜えて、片手でライターを持ち、もう一方の手で風除けをした。火のつく音と、オイルの匂い、そしてその灯りも、暁月は好きだ。
煙草の箱は、眼鏡の隣におく。
その時、何日帰宅できないか不明だという理由で先々先々先代が設置したというシャワー室から、別の用途で使っていた、御園みそのが顔を出した。

「ねぇねぇもう一回しようよー」
「そうだねぇ」

同意しながら、暁月は煙草を深く吸い込む。骨ばった人差し指と中指で掴み、親指で弾いて灰を落とす。落ちて行くそれを見る目も髪も黒い。一方の、ベッドサイドまで歩み寄ってきて座った御園は、今では逆に珍しい色素の抜けた金色の髪をしていた。人前に出る時は、直前になって黒く染めている。二人の職場である出版社は、それなりに規則が厳しい。

御園に抱きつかれたので、暁はまだ半分も吸っていない煙草を、灰皿の上でもみ消した。完全に火は消えなかったから、月明かりの差し込む部屋の中で白い線を作っては流れていく。それが天井間際で溶けた時、暁月は押し倒される形になって、ベルトを外された。折角履いたのになぁだなんて思う。

左腕を伸ばしてゴムを銀色の箱から取り出し、面倒になって御園にそれを渡した。
御園はといえば、勝手に暁月の陰茎を勃起させながら、ゴムの袋を受け取った。
ーー装着させられて行く感覚は、いつも思うが奇妙だ。
密着感が、線をなぞり凹凸を作っては、根元まで下りる。どんなに薄さを売りにしていたところで、この感覚は消えない。

ぼんやり暁月が思案していると、その上にバスローブ姿の御園が乗った。
御園は深々と体内に暁月の陰茎を受け入れて行く。

ーーこの感覚も変だ。押し広げて行くような感覚がする。だが、主導権が誰にあるのかがわからない。動かす側にあるとは思えない。通じ合った体だとはよく言ったものだが、暁月の側からすれば繋がっているのは、たった一つの陰茎だけで、あちらには全身があるように思える。たった一本の陰茎が、果たして絡め取ってくる御園の全身に勝てるのであろうか。尤も彼は、別に勝ちたいと思っているわけではなかったが。

仰向けになったまま、暁月は、自分の上で動く御園を眺めた。
御園との付き合いはかれこれ二年になる。
そして配属されてきた御園がすぐに、暁月のことを誘ったのだ。
その間に五度新人が配属されたが、皆死亡するか失踪している。
だから不吉な場所だと人は言い、暁月自身もそう思っている。

ただ不思議と自分が死ぬ予感はしない。

なのに新人は死んでいく。生きている新人は御園だけとなり、御園は今では中堅だ。だが御園はいつか死ぬような気がした。果たしてそれは、次に来る新人の死とどちらが先なのだろうか。

「ねぇ……っぁ……何、考えてるのー? ンぁ」

御園の声で我に帰り、一時だけ強く突く。御園の菊門がその刺激に収縮した。

「ヤってる最中に考え事しないでよー」
「君のことを考えていたんだけどねぇ」

全くの嘘ではないと思いながら、暁月は告げる。ただ頭を占めているのは、次にくる新人のことだった。



そのまま朝が来るまで、二人は繋がったり、少し眠ったり、煙草を吸ったりしていた。場所は備え付けの仮眠室だ。来客者があればすぐにわかるように扉は開けてあるが、そんな相手は滅多に来ない。だから今度は、仕事部屋のソファへと場所を変える。黒いソファだ。
ーー今日の朝食はコーヒーでいいな。
濃い、すごく濃い、ブラックコーヒーをホットで飲みたいと、煙草を銜えながら暁月は思う。しかしライターを御園に奪い取られた。

「俺のこと好きって言ってくれたら返す」
「……好きだよ」

コンビニに買いに行くのも面倒だったので、暁月はそう嘯いた。
その時周囲にノックの音が谺したのだった。






・破・・・・・・



ノックをしてすぐに扉を開けた俺はーー硬直した。

「好きだよ」

全裸の二人がソファの上にいる。
片方は僕を一瞥したがわ、ニコリと頬を持ち上げた。出版社には珍しい金髪だ。確か社則で禁止だった気がする。そして彼は立ち上がると、仰向けでソファに体を預けているもう一人に、なぜなのかライターを渡した。

「ちょっとシャワー浴びてくるねー」

金髪の青年はそう言うとシャワー室へと消えて行く。
出版社になぜそんなものが必要なのか、俺にはわからない。
残った方の青年を見ると、彼は黒髪を揺らしながら、タバコに火をつけていた。
それから片手で眼鏡を引き寄せ、俺を見る。

「今日から配属される新人だよねぇ?」
「は、はい……」
「まぁ気にしないで」

気にするなという方が無理だ。俺は、三人しかいない部署に回されたわけでそのうちの二人が同性愛者のカップルだとは……これは確かに社内でも高名なのに秘匿されている部署だけある。初日から衝撃すぎだった。

「俺は暁月。君の直属の上司になる。今シャワーを浴びに行ってるのは、御園。一応君の先輩に当たるのかなぁ。それで君がーー」
「今日から山岡斐太出版特別記録係弐班に配属された、染谷そめやです」
「じゃあ先に業務内容を説明するから」

ボトムスを引き上げベルトのはめ直し、そうしてシャツのボタンを締めながら暁月さんが言う。彼は煙草を銜えたまま、コーヒーを二つ用意して、戻ってきた。
濃いブラックコーヒーが置かれ、卓上には最初から砂糖とクリームがあった。
飲み物を出されたということは、一応は歓迎されているのだろうか?

「簡潔に言うと、ここでは表に出せない書籍や資料を保存・記録しているんだよねぇ。例えばなかったことになってる連続殺人や殺人鬼の記録なんかが多いかなぁ。あとは何処かの大統領との密談書類とかねぇ」
「……」

さらっと言われて、俺は思わず眉を潜めた。ただのオカルトゴシップネタを記録し続けると、俺の脳が判断したからだ。この情報化が進んだ世界において、そんな情報秘匿できっこないんだから、そうである以上、この部署は不要だ。

「有事の際は記録が必要だからねぇ」
「はぁ……そ、そうですね……」
「あーあー信じてないって顔してる!」

そこに後ろから声がかかった。いつの間に来たのか、シャワーを上がった御園さんだった。白い肌で、鎖骨が浮かんでいる。金髪はまだ水に濡れていた。

「これはOJTしかないねー」
「そうだねぇ」
「今ちょうどいい案件はーー……うーん、キョウシは?」
「悪くはないねぇ。御園君、資料とってきて」
「りょーかーい」

キョウシ? 教師?
何の話だろう。まだ事態がよく飲み込めていないので、ぼけっと聞いているしかできない。すぐに戻ってきた御園さんは、俺に黄緑色のファイルを手渡した。出版社にいる俺が言うのもなんだが、資料は今だに紙なのか……?
ファイルをめくってみると、表紙に、
ーー狂師ーー
と、書かれていた。
二ページ目に進み、俺はそこに貼り付けられている写真を凝視してしまった。
鎌で首を刎ねた遺体が写っていたからだ。
断面は赤黒く紫色に近くて、黄ばんだ骨が中央から伸びていた。頭部は床に転がっている。舌と眼球が、飛び出していた。垂れている涎と涙が、血液の作った水たまりへと落下している。きっとその場にいたらピチャピチャという音が聞こえただろう。

「最近ねぇ、モンスターペアレントに悩んでいる教職員が多いっていうニュースがあったよねぇ」

暁月さんの声で俺は我に返った。俺にも今年で小学二年生になる子供がいるからわかる。親同士でも、「ちょっと……」と言いたくなる存在だ。
ちなみに俺が新人なのは、転職組だからだ。

「そういう親御さんを狙ってねぇ、鎌で首を一薙にしてる殺人鬼がいるんだ。知ってるものはみんな、狂師って呼んでる」
「最近一番アツい殺人鬼なんだよねー」
「そんなニュース聞いたこともありません」

存在を信じきれなくて、写真すら模造のもので、からかわれているのだろうと思いながら、それでもじっくりとファイルを見てしまう。続きをめくれば、やはり被害者の写真とプロフィール、現場状況が書いてあるのだ。

「だけど事実なんだよねぇ。それを集めて、印刷所に回して製本して、そこの本棚に並べるまでが、この班の仕事だよ」
「そんな馬鹿な……」
「まぁそういわないでよー。これで美味しいご飯が食べられるんだからねー」

むしろ食欲が失せるだろ。俺は自分でも血の気がさっと引いたのを自覚した。
その時、室内の電話がなった。

「はいはーい、弐班でーす。……ああ、はい、じゃあ、今から、はーい!」

御園さんが電話の応対をする前で、暁月さんは煙草を吸っている。
俺はそんな二人をただ眺めていた。
非日常と日常の境界線が曖昧になって行く。そしてやはり非日常など認める訳にはいかないのだと理性は言うのだ。

「狂師出たってー。行こー」
「そうだねぇ。あ、染谷君はカメラ持ってきて」
「え、あ、はい……」

まさか本当に存在するというのか?
嫌な胸騒ぎがした。心臓が煩いくらいに啼き叫んで存在を主張する。
それから俺は、暁月さんの運転する車で、まだ警察官も未到着だという現場へと向かった。なんでもこういう秘匿された事件には、各機関ごとの秘匿された部署や課ごとに、連携が取れていて、現場に向かう順番もあるらしい。そう言ったことを話した後は家族のことなど雑談をした。ああ、今日は早く帰ろう。
俺たちが向かった場所は、半地下に通じる雑居ビルの階段の前だった。
白い手袋を渡されたのでそれをはめると、次にビニール袋を渡された。
何を言われたわけでもなかったが、受け取りながら、吐くなよ、と言われている気がした。吐かない自信は、俺にはない。
ギギギと鈍い音を立てて扉があく。ドアノブをひねったのは、御園さんだった。

俺は嗚咽した。

首無し死体が横たわっていて、左手の指先部分に、頭部が落ちていた。
血の匂いが充満していて、それだけでも吐き気がしてくる。
立ちすくんだ俺のわきを、飲むヨーグルトをストローで飲みながら暁月さんが通り過ぎて行った。先に入っていた御園さんの靴の後ろから、血が跳ねてくる。それはヨーグルト飲料のカップに赤を塗りつけ、最終的にはわずかに空いていた穴から、中にも混入したようだった。しかし構わず、暁月さんは血液入りの飲むヨーグルトを飲んでいる。俺は、愕然とした。なぜこの二人はこんなにも平然としているのだろう。

「俺、新聞社機密課の子とー、プロフィール確認してくるー」
「それはいいねぇ。じゃあ俺は、事件現場の状況を紙に起こしておくよ。一度車に戻ろうかなーーああ、染谷君は、写真をとっておいて」
「いや、あのーー……」

二人は、俺が何か言おうと思った瞬間には、部屋を出て行ってしまった。重い扉が鈍い音を立てて閉まる。
残された俺は震える手でカメラを抱えるしかできない。
ーー遺体を写真に撮る……?
まさかこの人生で、いや仮に輪廻転成しようとも、永劫遺体をカメラにおさめる日が来るなどとは思ってもいなかった。唾を飲むと、妙にそれが大きな音を立てたように思えた。誰もいないというのに、誰かに見られている気がして、思わず振り返ってみる。

そして息を飲んだ。

そこには、白い仮面をつけた黒い髪の男が一人立っていたからだ。
手には長い柄のついた鎌を持っている。

「え?」

某然とした瞬間、胸をえぐるように鎌を振り下ろされ、俺は反射的に後退した。靴が血だまりを踏んでぬめる。そこへ二度三度鎌を振り下ろされる。右に左にとよけようとしたが、スーツの袖が破けて腕が傷ついて行く。これは。

ーー狂師?

まだ現場に残っていたのか? 本当に殺人者が存在するのはわかったが、目の前にいる相手がそうなのか? 冗談だと思いたいのに腕の痛みと、鎌が風を切る音だけは本物だ。ついに俺は壁際にまで追い詰められた。思わずきつく目を閉じる。浮かんできたのは娘のことだ。妻のことだ。愛犬のことだ。大切なーー家族のことだ。こんなのはただの悪い冗談で、きっと暁月さんか御園さんが意地悪く仕掛けてきたに違いない。そうであってくれと俺は祈ったーーその時扉が開く音がした。
助かったーーそう思い俺は目を見開いた。

瞬間。

俺は首が急に熱くなって、生温かい飛沫が顎を染めていくのを感じた。
何が起きたのかわからなくて俯こうとした時、そんなことはせずとも俺の視界は反転した。ぐるぐると周り、そして止まった。自分と同じ格好をした、首のない胴体を見上げながら。そして生首だけになった俺の意識は闇に永久に飲み込まれることとなった。最後に聞いた音は、鎌が地に落ちてたてたらしい、高い音だけだった。





・急・・・・・・



「残念だったねー。姿見たんでしょー?」

御園の声に、煙草を銜えながら、暁月は視線を下ろした。写真の指示が曖昧だったなと思い、確認がてら戻ったところ、まさに扉を開けたその瞬間に染谷という新人の首は床に転がった。何か言おうとしたようにも思うが、飛び散っている血を見ているうちに、声を出すよりも早く、狂師をどうにかすべきだと思って、慌てていつも鞄にしまっている銃を取り出そうとした。しかし間抜けにもその間に、突き飛ばされて逃げられた。白い手袋をしていたのがわかる。
今は帰社して、事情聴取に訪れるという機関の人間を待ちながら、二人でソファに座っている。どちらも急いでいたから、手袋さえはめっぱなしで、カバンの中身すら取り出せないでいた。

「どんな人だったー? 特徴はー?」
「黒髪だった」
「平凡だねー。俺ちょっとトイレ行ってくる」

染めたような黒髪で、自分たちと同じ手袋をしていたとは言わない。
だが、暁月は、ほぼ確信しながら御園の姿が消えると同時に、彼の鞄を開けた。
中には白い仮面と黒いマントが入っていた。
すぐにそれを戻し、知らぬ素振りで珈琲を飲む。
するとすぐに戻ってきた御園が鞄を抱きしめながら笑った。

「不謹慎だけどさー、また新人が死んじゃったねー」
「そうだねぇ」
「これってさー、暁月さんには俺だけがいればいいってことじゃないのかなー」
「……そうかもねぇ」
「でしょでしょー?」
「今度は俺がトイレに行ってくるよ」

鞄を手に取り、暁月が立ち上がる。実に自然な仕草だった。
そして彼は鞄のチャックを開けたまま、御園の背後を通ろうとして気配を消してーーそうして二発、銃を撃った。
頭部に二つの穴が飽き、壁には血と桃灰色の脳漿がこびりついた。
一瞬遅れて患部から血液が滴り始める。
それから崩れ落ちた御園の姿を一瞥しながら、暁月は呟いた。

「やっぱり一人が気楽だねぇーー連続殺人犯は死刑死刑。僕は殺人者を殺人してるから別だけどねぇ。模倣犯とか面倒臭いからやめてほしかったねぇ。体の相性は悪くなかったんだけどなぁ」


そしてーー特別記録係弐班は、一人きりになったのだった。次の死亡候補者が訪れるまでの期間。それが暁月の受け入れ続けなければならない現実だった。