酒は飲めども
「完成した……!」
雲中子は思わず右手を握りしめた。ついに、アルコール分解作用のある仙丹の開発に成功したと確信したからだ。契機は、先日の飲みの席。道徳宅で振る舞われた酒や仙桃を皆で囲んだ結果、酔い潰れる者が多数で――人前では控えて飲んでいる雲中子は、容赦なく介抱要因とされた為、『絶対に生みだそう!』と決意した代物である。
「あとは人体実験のみだ」
非常に良い笑顔で雲中子は、目を輝かせる。さて誰を実験台にしようかと時計を見て――午前零時十五分、非常に微妙な時間帯だと気付いた。今から呼び出して酒を飲もうと誘える相手は限られている。その限られた相手である、道徳は早寝であるし、太乙は最近新作宝貝の研究に打ち込んでいるらしいので躊躇われた。しかし酒好きの多い崑崙山、一日待てば誰か見つかるだろうとは思いつつも……。
「……折角完成したんだから、早く効果の検証がしたいねぇ」
雲中子は気付くとそう呟いていた。
そこで右の掌に仙丹を乗せる。左手では、水道からコップに水を注いだ。
そのまま――ポイッと雲中子は仙丹を口に放り込んだ。自分で実験する事に決めた為だ。
実験室からキッチンを経由して、玉柱洞のリビングへと場所を移す。片手には酒瓶、その中身はとても純度が高く実験にすら使える焼酎が入っている。もう一方の手には、ロックアイスを詰め込んだ容器と、そこにかぶせてビーカーがある。量を正確に計る為なので、酒盃のような風情はゼロだが、雲中子は満足していた。
「そろそろ効いてきているはずだ」
自信満々で良い笑顔を浮かべながら、雲中子はビーカーに氷を入れ、ドボドボと焼酎を注いだ。ロックだ。本当はストレートで試したい所ではあったが、さすがにそれでは強すぎるだろうと僅かに理性も働いていた。
「よし、飲むとしようかねぇ」
骨張った長い指先で、ビーカーを握り、グイッと雲中子は口に含む。人前で自制する時のように、舌でアルコールを飛ばすような事は一切しない。何せ、薬を服用済みなのだから――と、意気揚々と酒を飲む。
……十分後。
「う……」
雲中子は苦い顔をした。既に、ビーカー三杯……100mlずつ飲み干している。カッと頬が熱くなっているのが自分でも分かった。天井が少しだけ歪んで見えた。雲中子は決して酒に弱いわけでは無いが、こういった無茶な飲み方をする事が無いので、回るのが早かった。その上、考えてみると仙丹作りのせいで、ここ丸二日、ろくに寝ていない。
「いいや……そんな馬鹿な」
薄々雲中子も理解しつつあった。認めたくない現実を――……失敗だ。
「こんな事なら、誰かに盛れば良かった……!!」
思わず口走りつつ、認めたくないので、内心では『これから効くのかもしれない』と思考する。もうこの時点で、相当酔っ払っていた。だが酔っている時は、不思議と酔っているとは思わないものでもあり、雲中子は四杯目を一気に飲み干す。その後、五杯、七杯、九杯……気付いた頃には酒瓶の三分の二が空いていた。
雲中子の元々白い肌は紅潮し、失敗に対する悔しさから瞳は若干潤んでいる。
天井がぐるぐると回り歪んで見える下で、雲中子はギュッと目を閉じる。
――どう考えても失敗だ。
――悲しい。
純然たる切なさが、雲中子に襲いかかってくる。その辛さを誤魔化すかのように、雲中子は更に酒を注いだ。そして一口飲んだ時、ついに眦から涙が伝った。
「雲中子、勝手に入らせてもら――!?」
その時、幸か不幸か、たまたま白鶴も黒鶴も不在の為、玉虚宮からの実験依頼を携えて直接訪ねてきた燃燈が顔を出し、一人辛そうに泣いている雲中子を見て硬直した。あの雲中子がやけ酒? 泣きながら? と、大混乱した燃燈は、直後鋼の理性で自分を制する。
「その……なんだ? 何か辛い事でもあったのか?」
根本的に、燃燈は善良である。
「はぁ?」
雲中子はこの時既に泥酔していたし、涙がボロボロと零れてくる為、燃燈の顔がまともに認識出来なかった。
「だっ……い、て」
だって、頭も痛いし、天井は回ってるし――と、雲中子は言いたかった。だが、言葉すら呂律が回っていない。焦ったのは燃燈だ。
「は?」
――抱いて?
確かに雲中子は変人だと名高いが、突然誘われたと感じて、燃燈はいよいよ混乱した。そうして改めて雲中子を見る。……色っぽい。無駄に色っぽく見える。しかしここでも鋼の理性を総動員させる。
「酒に逃げ、肉欲に溺れて、悲痛な出来事を解消するなど、軟弱者のする事だ」
ドきっぱりと燃燈が言い放った時、ぐらりと雲中子の体が揺れた。
慌てて燃燈は駆け寄って、雲中子を抱き留める。
そして気付いた。雲中子から寝息が聞こえる事に。
「……おい」
色々と言いたい事はあったが、燃燈はそのまま、雲中子の体をリビングのソファに横たわらせた。
「……」
その後、チラリと酒瓶を見た。焼酎は既に空だ。なお、氷はほとんど減っていない。相当早いペースで飲んでいたのだろうと考える。
「まさか酔うと誰でも誘うのか? 泣き上戸か? 酒癖が悪いのか? いいや、そんな印象は……しかし……」
結果、雲中子のあどけない寝顔を見ながら、朝まで燃燈は悩み抜いた。
――翌朝。
「ん? あれ? 燃燈?」
起き上がった雲中子は、ガンガンと頭が痛い事を不思議に思いながら、自分を覗き込んでいる顔を見た。片手を額に当て、そして実験に失敗した事を思い出す。
「雲中子、昨日の話だが」
「昨日?」
そもそも何故燃燈がここにいるのか、雲中子はさっぱり分からなかった。記憶が完全に飛んでいた。アルコールの分解作用は全く無かったのだと思い知らされる。逆に健忘薬でも作れるのでは無いかとすら思った。
「私としては、やはりそういった行為は恋人同士が行うべきだと考える」
「……、……?」
「そこで、付き合おう」
「は?」
一晩かけて燃燈が導出した結論は、『恐らく雲中子は誰彼構わず誘ったりはしないはずだ』『ならば何故誘ったのか』『きっと好意があったからだ』というものだった。甚だしい勘違いだが、とても道徳的ではあるのかもしれない。
「今日からよろしく頼む、ではまた。夜顔を出す」
「……? え?」
このようにして、二人のすれ違いからの恋人関係が始まる事となった。
懐かしい記憶である。
―― 終 ――