【五】
フワリと、医薬品の匂いが香る。
簡素な寝台に押し倒された燃燈は、雲中子を見上げた。白衣を脱ぎ捨てる雲中子の姿を見て、少し気圧される。再会してもなお、燃燈は雲中子には余裕があるように感じていたが、今正面にある顔は獰猛で、ギシリと雲中子が手を燃燈の顔の横に置いた瞬間には、見ていられなくなり思わず顔を背けた。
明確に欲しいと請われた燃燈は、黒い雲中子の瞳に射すくめられた気分のまま、首の筋を指先でなぞられた瞬間に、ピクンと背を撓らせた。反射的に抵抗しかかった燃燈は、思い直して腕を下ろそうとする。その手首を雲中子が軽く握って、そうして手の甲に口づけた。
「ずっと触れたかったんだよねぇ」
「触れれば良かったものを」
「――そうだねぇ。何度も、そうすれば良かったと思っていたよ」
「ン」
雲中子が燃燈の唇を唇で塞ぐ。その後キスは深くなり、二人は互いの舌を絡め合った。透明な唾液が線を引く頃、顔を話した二人はお互いを見つめ合う。
双方、相手を欲していた。
性行為をする事を、互いに想像した事があった。その時、雲中子は燃燈を優しく抱きたいと思っていたはずで、燃燈は燃燈で雲中子はきっと淡泊で飄々と実験でもするかのように抱くのだろうと夢想していた。
だが――現実は全く異なり、雲中子には余裕など無く、荒々しく性急ですらある。受け入れる燃燈は、雲中子の新しい表情を知った心地で、それを苦痛だとは感じない。
それでも人体を熟知している雲中子は、燃燈に負担が少ないようにと骨張った長い指先で内部を解し、そうして、燃燈の前立腺を探り当てた。
「っ……」
声を出す事が気恥ずかしくて、燃燈が息を詰める。その瞳が僅かに潤んだのを見て、雲中子はより一層黒い瞳に肉食獣じみた光を宿した。もう、止まらない。
「……ぁ、ア」
燃燈が堪えきれずにそれまでよりも大きな声を零したのは、長い雲中子の陰茎が挿ってきた時の事だった。押し広げられる感覚と、前立腺を擦り上げられるような刺激に、喉が震える。
容赦なく根元まで挿入した雲中子は、そこで動きを止めると荒く吐息した。締まる燃燈の中が酷く熱くて、もっていかれそうになる。
「あ、ああ……っ……ッッ、は」
瞼を閉じた燃燈の眦から、生理的な涙が垂れる。それを見て取り、雲中子が再度深く息を吐いた。
「辛いかい?」
「平気だ……好きに、その……」
「そうだねぇ、好きにさせてもらうとしようかねぇ」
「あ、あああ!」
直後燃燈が声を上げた。雲中子の動きが唐突に激しく変化したからだ。その上、最奥まで満杯だと感じていたにも関わらず、より深くを貫かれたのだと理解する。
「っ、あ、雲中子! 待っ――」
「好きにして良いんだろう?」
「……、あ……ああァ!」
確かにそう伝えたのは己であったし、気持ちが通じた雲中子に少しでも気持ちよいと感じて欲しいという思いもあったが、与えられる刺激が強すぎて、喘がずにはいられない。
「やめ」
「ここまで来て、それは無理な相談だ」
「違、萎えるだろう?」
「――へ?」
燃燈が不意に言ったものだから、雲中子は一瞬だけ我に返った。
「どういう意味だい? 私にされると嫌って事……?」
「やはりお前は鈍いでは無いか! 私の声を聞いても、その、だから……」
「……ほう。君の声を聞いたら、私が萎えると?」
「……違うのか?」
あんまりにも可愛い事を言われた心地になり、やはり燃燈は無自覚過ぎると、雲中子は言いたくなったが、それは止めた。代わりに、動きを再開しながらニヤリと笑う。
「もっと燃燈の声が聞きたいし、いつまでも聞いていたいけれどねぇ」
それを聞いて燃燈は、驚いて目を丸くしたが、すぐに雲中子が再び抽挿を激しくした為、思考が真っ白に染まって返す言葉を失った。震える喉から響いてくるのは、甘い嬌声ばかりとなる。
「あ、ァ……っ、う……ンん!!」
「燃燈、気持ち良いかい?」
「あ、ああ……お前は?」
「そんなもの、決まっているじゃ無いか」
答えつつ、やはり可愛い事を聞いてくるから、だから余裕が無くなるのだと雲中子は叫びたい心地になったが、それも堪える。しかし体はもう抑制できなくなっていたので、一際激しく燃燈の最奥を貫いた。
「ああああ」
あんまりにも深く、感じる場所を押し上げるように突き上げられて、燃燈は思いっきり声を上げてしまった。羞恥を感じる余裕がかき消えていた。そのまま内部を刺激されて燃燈は放ち、ほぼ同時に雲中子も吐精した。
――事後。
雲中子の香りがする白衣が、己の体にかけられている事に燃燈は気付いた。
そうだった、実験室で交わって、それで……と、つらつらと回想した燃燈は、ハッとして飛び起きる。想いが繋がり、性急だったが体を重ねた現在。自分の痴態を思えば頬が熱くなったが、気を取り直して、視線で雲中子の姿を探す。
「やぁ、目が覚めたかい?」
雲中子は、黒い椅子に腰掛けて、長い膝を組んでいた。
横には、沸騰中の珈琲が入るビーカーがある。
先程までの荒々しさが嘘のように、燃燈から見ると『いつも』の通りの飄々とした表情に戻った雲中子が、そこで煙草を銜えていた。
「お前が吸っている所を初めて見た」
「性衝動を解消した後にしか吸いたくならないから、当然だろうねぇ。何せ私達は初めて寝たんだから」
「それは私に嫉妬しろと暗に言っているのか?」
燃燈が片眉だけを顰めると、雲中子が苦笑してから嬉しそうな目をした。
「残念ながら、君一筋の私の相手は、自分の手という悲しい結果だったけどねぇ」
「事実か?」
「嘘だと思うのかい?」
「確かめさせろ」
それを聞いて、雲中子はどうやってこの事実を信じてもらおうかと思案したが、煙草をもみ消し立ち上がり、代わりに口づけて燃燈の言葉を封じる事に決める。
「不安なら、ずっと燃燈が私の相手をしてくれれば良いじゃ無いか」
「当然だ。そしてお前もまた私以外を相手にする事は許さないからな?」
「だから燃燈一筋だって言ってるだろう?」
燃燈を抱きしめた雲中子は、幸せを噛みしめる。燃燈はその温度が心地良いなと感じながら、優しく笑った。内心では、雲中子を信じている。
その後の日々。
二人の日常は平穏で、毎日が幸せで。
けれど終わりは迎えず、刻が優しく流れていった。
【END】