【一】
暗い夜空は、未だ白に透けない。
朝焼けが世界を染めるのまでには、幾ばくかの時間がある。
現在、朝の五時。
まだ太陽は昇らない。
もしも洞府の外に出たならば、吐く息はきっと白い。
――しかし、空調で一定の温度に保たれている雲中子の研究室は、夏であっても、現在のように寒い日であっても、常に快適だ。
「そろそろ寝ないと危険なんだけどねぇ」
呟きながら、雲中子はカップを持ち上げた。
中には、珈琲が入っている。
カップを傾け、褐色の熱で体を癒しながら、雲中子は現在取り組んでいる研究について考えた。
もうすぐ完成する。
簡単な医薬品の合成であったから、二日あれば事足りた――が、その間、雲中子は一睡もしていない。無論、珈琲の過剰摂取が理由ではない。
定期的に状態の確認が必要だから、眠らず己の仕事をこなしている……これが、まず一点だ。もう一点は、もう少しで新薬が完成すると思うと、眠気が自然と遠のいていき、一気に完成させてしまいたくなるのである。
実験に焦りは禁物だ。ただし、それを頭で理解してはいても、雲中子は時に実験物の完成と結果の確認を急ぎたくなる。
例えば、バイオキシンと言う名の……ある種の薬が代表例か。
現在はバイオキシンCを作成中だ。
それにしても……時間だけが過ぎていく。
あと数度の確認で、実験自体は終わる。
そう考えたからなのか、雲中子は体が睡魔に絡め取られていることを理解していた。だが、目と頭は冴えているものだから困ってしまう。
人間――……仙人といえど、睡眠は重要だ。時に不眠を訴える仙道に治療薬を処方する事もある雲中子は、当然その事実をよく知っている。
だが、時に研究が波に乗り調子が良い時、あるいは実験が佳境に入った際、雲中子はついつい朝になるまで、夜通し研究室で過ごしてしまう。
――その時、実験用の計器が音を立てた。
「良かった、無事に完成したみたいだ」
雲中子の思考が、一気に新薬のことで埋め尽くされる。
今回、彼が創り出した医薬品は、新しい傷薬だ。
目の前にある完成物が入っているアンプルを、雲中子は見据えた。
「……そもそも怪我人が出るような修行を行わないようにして、あるいは危ない事件……妖怪仙人とのいざこざでも無ければ、それが一番の薬なんだろうけれどねぇ」
一人静かにそう口にしてから、雲中子は研究室を後にした。
「午後まで眠ろうかな」
寝室へと向かって歩く内に、雲中子は体だけでなく、久方ぶりに意識も睡魔に絡め取られ始めた。扉を開ける頃には、そのまま寝台に体を投げ出したいと言う欲求ばかりが強くなっていたほどだ。
こうして雲中子は、ベッドに横になった。
その時丁度、窓の向こうで朝日が顔を出したが、目を伏せすでに寝息を立てていた雲中子は、朝の訪れに気付く事は無かった。