【二】







「――……中子、おい! 雲中子!」
「ン……」

 次に瞼を開けた時、雲中子は自分を覗き込んでいる道徳を見つけた。目が合う。

「……何? というより、どうして私の寝室に、勝手に入ってるんだい?」

 上半身を起こしながら雲中子が尋ねると、寝台のそばで一歩後ろに下がりながら、道徳が嘆息した。

「何度連絡しても、連絡が取れないから、心配してたんだ。それで見に来たんだ」

 道徳の声を聞きながら、雲中子は時計を見る。まだ睡眠を取り始めてから、二時間も経っていなかった。

「ここの所、手が離せない実験があってね。やっと終わったんだけれど。そちらに集中していたから、外界との接触機会を設けるのを失念していたよ」
「ええと……つまり、ただ忙しかったって事か?」

 簡潔に要点を繰り返した道徳を見て、雲中子は頷く。
 道徳は決して暗愚では無いし、どちらかと言えば聡いのだろう。
 しかしそれが鼻につくことはない。

「簡単に言えばね。それより、連絡を試みたというのは、何か私に用件があったのかい?」

 眠気を欠伸をして逃しながら、雲中子は聞いた。
 すると思い出したようで、道徳が両頬を持ち上げると、大きく頷いた。

「ああ、そうだった! 玉虚宮で、宴をする事になったんだ。十二仙とか、公主とか、まぁ、みんなが来る。弟子達は留守番だけどな。基本は無礼講。その誘いだ。雲中子もどうだ?」

 ――どうだ、とは言いつつも、道徳は雲中子が来るのを疑っていない眼差しだ。それを見て雲中子は、半眼になると、細く長く吐息した。

「せっかくだけど、不参加で」
「えっ? どうしてだ? 手が離せない研究は、終わったんだろう?」
「……まぁね。だから、少し休もうと思ってねぇ」
「それなら、気分転換をするのにも、飲み会は最高だろ?」

 明るい道徳の声に、雲中子は瞳を揺らした。

 道徳に悪意がない事は、雲中子にも良く分かる。己にために、こうして声をかけ、誘ってくれている。それは一方的な偽善では無い。道徳が生まれ持った明るさや、ポジティブさがなせるわざだと、雲中子は感じている。善人――それが、雲中子の抱く、道徳への印象だった。

「宴会はいつなの?」

 雲中子は、日程を聞く事にした。その日は都合が悪いと言えば、角を立てずに断る事が可能だと判断したからにほかならない。

「今日だ。だから直接、呼びにきたんだ!」

 その場に響いた道徳の返答は、雲中子からすると完全に予想外の言葉だった。

「随分と、急だねぇ……」
「二日前から連絡をしていたんだけどな」
「……なるほど」

 納得したため頷いた雲中子を見て、道徳は参加だと判断したらしい。

「よし、少し早いけど、行くか? 黄巾力士で来ているから、乗せていくし」

 道徳の申し出に対し、言葉を思案するように雲中子が、長めの瞬きをした。それから、ゆっくりと道徳を見る。道徳に浮かんでいるのは、笑顔だ。そこには、悪意も何も感じられない。純然たる、ただの笑顔だ。

 ありきたりな感想なのだろうが、雲中子は道徳を見ると、いつこも太陽を連想してしまう。道徳は、明るく強い。特に強さは、武力という意味合いだけでは無い。芯の強さが滲み出ている。だが決してそれは、周囲の不快感を喚起したりはしない。見る者の気持ちまで、陽光じみた優しさで、明るく染めてしまう部類のものだからだ。

 ――それが、眩しくてならない。
 ――そうではない己と、比較してしまう時がある。
 ――だから、少しだけ羨ましい。

 ーーそして、そんな道徳が好きだ。

 雲中子は、そんな風に考えながら、寝台から床に降りた。そしてクローゼットの前まで歩き、音を立てて扉を開ける。中に並ぶ道服は、皆白だ。留め具の色がいくつか違う他は、どの服にも大差は無い。

「少し待ってて」

 そういうと、雲中子は自身の襟元に手をかけた。そしてあっさりと首元をはだけさせる。

「な」

 雲中子の白いうなじと鎖骨があらわになった瞬間、道徳が声を上げた。その様子に、雲中子が視線を向ける。

「どうかしたの?」
「お、お前な! 着替えるなら、そう言えよ!」

 道徳の声を耳にしながらも、雲中子は胸元の留め具に手をかけた。すると道徳が焦るように顔を背ける。

「だ、だから、あーっ、もう良い! 終わったら言ってくれ!」

 動揺したように言葉を続けてから、道徳が踵を返し、くるりと壁の方を向いた。着替えを続けながら、雲中子はそれを見ていた。男の着替えなど見ていても楽しく無いのだろうと、適当に考える。そのようにして、新しい道服を身に纏った。

「終わったよ」
「お、おう――……」

  すると改めて雲中子を見た道徳が、大きく目を見開いた。

「何?」
「いや……良い匂いがするから」
「好んで使っている特定の洗剤は、無いけどねぇ」
「何だろうな、雲中子の匂いがする」

 道徳の声に、雲中子が首を傾げる。自分では気づくことが困難な香りがかるのかもしれないと考えた。

「よ、よし! 行こう!」

 その時、仕切り直すように道徳が言い、二人は洞府を出る事になった。
 結局雲中子は、好きな相手の誘いを断れなかったとも言える。