僕は、他の術を思いつかない。




 街を出ようと歩き出して、すぐ――僕から見ると、”一般人”に等しい賞金稼ぎが、歩み寄ってきた。林檎売りのフリをしているその人物に、事前注意を僕が促していた事もあり、ニコはすぐに気がついたらしい。

 あからさまに緊張した顔で、ど素人の賞金稼ぎを見ている。
 僕は適当にあしらいながら、周囲を警戒した。
 恐れていたのは、無論ヒルトとの遭遇だったが――既にこの街には、彼の気配は無い。

 それに安堵しつつ、二番目の脅威について考える。

 大半の賞金稼ぎは、僕にとっては道行く蟻よりも殺しやすい相手であるのだが、時にはそれなりに功績を挙げているような、敵に回すと厄介な相手もいる。だがそう言う人物の多くは、金で身を引いてくれる。

 ニコの一歩後ろに立っている僕は、チラリと左を一瞥した。

 そこには、喫煙所があり、一人の青年が、さも街の住民であるような顔をして、タバコの煙を吐き出している。本当には、吸い込んでいないと分かる。ふかしているだけだ。僕達がここを通ると予想して、小道具を手に観察している――賞金稼ぎ。

 あの青年が、今この街にいる”一般人”の中では、最も腕が立ちそうだ。
 僕はその青年の名前を知っていた。
 ――レオナルド・フォールという名前だったと記憶している。

 それが本名か否かは知らないが、彼のその名は賞金稼ぎの中では高名だ。
 目が合う。
 だが、するりと視線を逸らされた。

 幸いな事に、いま事を荒立てるつもりは無いらしい。
 ならば無視するに限る。
 そう考えて、僕はニコを促し、街を出た。

 この先に続くのは、船旅だ。船着場で二人分のチケットを購入しながら、傍らの大河を眺める。すると、目を丸くしているニコが視界に入った。

「どうかしたの?」
「すごいな。こんなに水があるのか……船って、沈没しないよな? それ以前に、落っこちないよな? 俺が、船から」

 困ったようなニコの声に、僕は微笑ましくなってしまった。

「ニコは、街で水泳訓練をしたと思うけど、違った?」

 そう言って、歩み寄ってから、僕はニコの髪を撫でるように叩いた。
 すると、大きく何度もニコが頷いた。
 まぁ、この河に落ちたら、浮き輪なしに生還するのは、ニコには難しいだろう。

 ただ、僕がいる。僕がいる限り、ニコを船から落下させたりはしない。それこそ不慮の沈没事故でもない限り、ニコの安全は、僕が守る。

 それから船に乗り込み、これから三日間ほど過ごす事になる部屋へと向かった。
 僕はニコに部屋から出ないようにと言い聞かせてから、客室を出る。
 船全体の防衛監視面を確認構築したかったからだ。

 姿を変化させ、各地を歩き回り、一通り――罠も仕掛け終える。
 特に敵もいないようだし、これで比較的安全だ。
 そう考えながら、僕はデッキに出た。

「……」

 そして、落下防止用の柵の上に、両腕を預けた。すると――僕の隣に立ち、僕と同じように河へと誰かが視線を向けたのが分かった。気配は無い。だが、僕は彼がこの船にいる事は察していた。歩きながら、確認をしたからだ。

「やぁ、ラーゼ君。まだ、元気そうだね」
「バジルさんの声を聞いて、今、気分が急降下しましたけど」

 正面を見たまま僕がそう告げると、バジルさんが小さく吹き出した。

「もう一度言いますけど」
「なんだね?」
「――ニコの亡命を、手伝ってもらえませんか?」

 周囲には、バジルさんも僕も、傍受防止用の魔導を展開している。
 だから、率直に僕は言った。

「断るよ」

 きっぱりとしたバジルさんの声に、僕は視線を向ける。
 彼もまた僕を見て、うっすらと笑みを浮かべた。
 面白がっている顔つきだ。苛立った僕は、思わず半眼になった。

「どうしたら、その結論は、変わります?」
「今の所、この最適解が変化する予定はないね」
「ああ、そうですか。じゃあもういいや。帰って下さい」

 水面に視線を戻しながら、僕は告げる。普段、平常心を心がけている僕を、不愉快にさせる技術という意味では、バジルさんの右に出る者は存在しないかもしれない。

「……随分な言いぐさだね」
「役に立たない知人で、敵にいつ寝返るかも不明な人物は、僕にとってただの不審者です。声も聞きたくない。同じ船にいると思うだけで、正直吐き気が」
「船酔いかい?」
「黙ってもらっていいですか?」

 再びバジルさんを見て、僕はあからさまに睨んだ。すると小馬鹿にするように、バジルさんが笑っていた。この表情がまた、僕の心をささくれ立たせるのである。

「この私が、大切な友人のラーゼ君を裏切る事など、ありえないだろう?」
「バジルさんには、『大切な友人』という名前をした、ただの顔見知りが大勢いそうだよね。僕は、友達のハードル、バジルさんよりは高いから」
「――言い直そう。私が、『大切な情人』を見捨てると思うかね?」
「僕、別にバジルさんをセフレだとすら思ってないです。たまに地上でばったり不幸にも顔を合わせてしまう、出来れば二度と会いたくない他人だと思ってる。これ、本音だから」

 僕の言葉に、バジルさんがひきつった顔をした。自慢の笑みが崩れかけている。いいざまだ。

「ラーゼ君、かねがね思っていたんだが、君は私に、一体何と言って欲しいんだね?」
「ニコの亡命を手助けする、と。ぜひ」
「――それは出来ない」
「もう分かりました。だからさっさといなくなって。僕側には、もう、バジルさんに用件は無いから」
「いいや、君は全く理解していない。この私の気持ちと優しさを」
「僕にとっての優しいと、バジルさんにとっての優しいは、同じ言葉であってもだいぶ乖離があるので、話す事すら無意味に思えます」

 断言した僕の隣で、不意にバジルさんが笑みを消した。
 一瞬だけ、殺気が漏れたように思う。僕ですら、背筋がゾクリとする眼をしていた。

「好き好んで、愛しい相手が死ににいくのを見送る――というのは、私に限らず一般論として、ありえない事だと考えているが、どうだね?」
「愛しい相手なら、客観的に考えてそうかもしれないけど……例えば、僕の場合なら、それはニコで、このままだとそうなる可能性もあるから、僕は今、バジルさんとこうして無駄な会話をしつつ、一縷の望みにかけている。その部分では、一致しているんじゃない?」
「どうやら、私の愛とラーゼ君が言う愛も、似て異なるようだね」

 僕の言葉に、バジルさんが呆れたように吐息した。

「そんなにニコ君が大切なのかい?」
「うん」
「念のため確認するが、それは肉欲を伴う愛情かね?」
「まさか。そんなはずがないだろう。ああ、なるほど。バジルさんの愛って、つまり性欲の事なんだ。随分と即物的だね。人間らしい――じゃあ、僕がこの船でバジルさんと寝たら、愛の一形態として、愛する相手である僕の願いを叶えるという形で、ニコを逃がしてくれたりする?」
「嬉しいお誘い出し、それは期待しているが、今回に限っては、体が報酬であっても、私は飲めない」
「だったら差し出すわけがないよね? もう良いってば。消えてくれ。バジルさんって、僕から見ると、意味不明すぎるんだよ」

 僕はそう告げたが、内心では、何とかして説得しなければと考えてもいた。
 彼の協力無しには、特に帝国の最後の街を抜けるのが厳しい。
 あるいは、バジルさんの協力があってですら、困難かもしれない。

「――3020号室だ」
「バジルさんの部屋?」
「いかにも。今夜は予定を入れずに、ラーゼ君を待っているよ」
「用件も必要性すらもないのに、僕が行くわけないでしょう?」
「じっくり話せば、もしかしたら、非常に少ない可能性ではあるが、私の考え――最適解が変化するかもしれない。ラーゼ君は、絶対に来る。予言しよう」

 そう口にすると、一度口笛を吹いてから、バジルさんが踵を返して歩き始めた。
 僕はそれを見送りながら――悔しいが、その予言は当たると考えてしまう。
 他に、手が無いからだ。