1:学知システム





昔ながらの古き良き喫茶店カフェが無くなって久しい。
”カフェイン”は触法飲食類に指定されているから、氷珈琲アイスコーヒーは、電気信号コードの提供する、細胞定型食品バイオイーストに代わった。

2071年、夏。
僕はカフェで同僚を待ちながら、ストローを銜えている。
茶色い水が、コーヒー味になった世の中だ。

「待たせたな」

目の前の椅子が引かれる。ガタリと音がした。この音も、効果音エフェクトだ。

「また現場に先に行ってきたんですか?」
「それが俺の流儀だからなぁ」
学知機構ガクチシステムの提示案に沿った行動のほうが、合理的で迅速だと思いますけど」
「学知システムは、お前にコーヒーを飲んで涼んでろって言ったわけだ」

僕は言葉に詰まるしかなかった。
正面に座った黒いスーツ姿の同僚を見据える。
三年先輩、巻無良亮二まきむらりょうじ
今この、集合知国家コミュニティには、僕と彼しか、”分析官”は存在しない。


今から約25年前、資本主義社会の終焉とともに、国境ある国家はなくなった。
僕らは皆、いずれかの”集合知国家コミュニティ”に属し、骨音光触UI”STATION”を左手に移植して、各コミュニティの”集合知性ナレッジマザー”に繋がっている。
僕の属するコミュニティは、”合法現実”の、範囲エリア東京だ。

現在、コミュニティに属さない人間は、公的には存在しない。
その存在しない対象を追跡し、”非合法”か否かを判定するのが、各コミュニティに属する分析官の仕事だ。

別に僕は、好きで分析官になったわけじゃない。
学知システムに、この仕事を、提案プロポーズされたから就いた。

学知システムは、ある4月2日から翌年4月1日までの”年代ジェネレーター”に、平等な義務教育を行う、根源的集合知だ。
どのコミュニティに所属していても、それは変わらず、据付インストールされる。
学知システムにより、教育・道徳・体動などなどが、僕らにはINPUTされる。
しかしOUTPUTするのは、人間だ。

この世には、同じ内容をINPUTし、それを正しくOUTPUTできるとしても、”適正”が無い者が存在する。
例えば任意科目も含めて8072全ての教科をINPUTし、習得点数スコアが全国でTOPの僕など、笑いの種だ。
OUTPUT適正――0科目。
学知システム評価最下位。
ただINPUT数だけが多いスコア上位者。それが僕だ。

僕は、脳に直接INPUTしてあるから、医学も法学も体術も何でもできる。
ただし、どれにも向いていない。

――世の中には、僕と同じスコアを持つ人間もいる。僕の唯一の友人だ。ただしその友人は、”全て”に適正がある。向いているのだ。
僕は、菅原ゆうじんと、最後にSTATIONで話した時のことを思い出した。
あれは、所属するコミュニティが決定される、十五分前のことだった。

『ねぇ、咲間さくま
「良いね。こんなときでも、骨伝通話チャットをする余裕があって」
『僕はね、傲慢にも考えもしなかったんだ。僕と同じスコアを出す人間がいるなんて』
「一卵性双生児でもかぶらないことが多いからね」
『僕は君とSTATIONを介した学知システムを経由して会わなければ、君を殺すか、”飾って”いたと思うんだ』
「飾る?」
『君は、皮膚の裏側を見たことはある?』
菅原すがわらは、質問に質問を返してる」
『それの何が悪いの?』

僕たちは18歳だった。きっと何にも悪くは無い。ただ僕は、菅原を大切な有人だと思っていたから、人生の岐路に立たされたその瞬間には、もっと現実的な話をしたいと思っていた。

なんとなく僕は、もうすぐ菅原に会える気がしていた。
直感なんていう電気信号は存在しないのに。

「ねぇ菅原。僕らは決定されたコミュニティで会えるかな?」
『少なくとも、咲間が期待しているような関係にはなれないかもしれないね。咲間儚さくまはかな君。僕は君を親しく、”儚君”と呼ぶ日は来ない気がするんだ』
「他の恋愛相好人とうまくいってるんだ?」
『僕の恋バナに興味があるなんて、咲間にも下世話なところがあるんだね。安心した』

恋愛相好人とは、学知システムが提案する結婚相手の候補だ。
この世界では、同性婚が認められている。人間が排泄行為から解放されたからだと習った。現在では、腸内細菌を飼う事で、御手洗トイレもほとんど見かけなくなった。
独身者もほとんどいない。
学知システムが、適した相手を、紹介レコメンドしてくれるからだ。
子供がいない夫婦もいない。一定期間できない・作らない・同性婚の場合には、子供が届けられる。

人間とは、試験管の中で生まれ、最後には、水槽の中で溶けて死ぬ。

――僕が菅原と、恋愛相好関係にあるとわかったのは、気まぐれに愛称診断をしてみた時の事だった。
別に僕は菅原に恋をしているわけじゃなかったけど、僕の中で菅原は特別だった。

「ねぇ菅原は、奇跡って信じる?」
『君と同じだよ』

それが最後だった。



そして僕は、学知システムに唯一提案された職業である、分析官になった。
分析官の基準は不明、詳細も不明、だから僕は、実際に仕事に就くまで、何もINPUTできなかった。

「いつも言ってるだろ。分析官は、直感が命だって」
「そんな信号コードありませんよ」
「公的には、な。だけど存在するから、俺たちがいる」

巻無良まきむらさんが、アイスココアを頼んだ。

「資料は見たな?」
「デコレーションケーキのイチゴの部分が人間の頭部になっていました」

一種の、一昔前の猟奇殺人に近い。
一言で表すなら、なんて表現すれば良いのか。
――グロテスク?

「何なんですか、アレは」

僕は、どうせ一言でなど返っては来ないだろうと思いながら聞いた。
しかしその予想は、良い意味で裏切られた。

「ケーキだろ」

――これが、僕が分析官になってからの、三度目の事例ケースだった。