虚ろからの脱出





 どうしてこんな事になってしまったんだろう。

 僕はたまたま、隣の席だっただけなのだけど、三か月前に転入してきた赤阪くんが昼食に困っていたから、学食があると伝えたら、一緒に行く事になって……それからずっと、何をする時も、連れまわされている。周囲も赤阪くんを誘いたい時に、「ついで」だったり、僕が行けば赤阪くんも来ると考えて、僕を連れて行こうとする。

 赤阪くんは、親衛隊持ちと呼ばれる学園の人気者や生徒会役員の皆様に、大人気だ。本来僕のような平々凡々なタイプは、近づいちゃいけない人々だというのに、赤阪くんはそういうのを気にしないらしい。

 そんな赤阪くんは、みんなに守られている。その人々に嫌われたくないから、各親衛隊の人々が直接的に赤阪くんに制裁をする事は、今ではなくなってきた。

 ……代わりに、僕が制裁をされている。

 これが一つ、とても辛い。

 僕は生卵が入っている上履きを見て泣きそうになりながら、こんな日々が続いているから毎日持参している別の靴を履いた。そして向かった先は、生徒会室だ。本来、一般生徒は入っちゃダメなのに、僕は赤阪くんのついでに、一緒に生徒会庶務に任命された。結果、誰も仕事をしないし、真面目に授業に出ているそうで、やり方もおぼつかない僕が一人で、生徒会の仕事をする事になってしまった。

 これが二つ目の辛い事柄だ。

 今日も僕は、虚ろな目をしている自信がある。

 必死で仕事をしたら、すぐに放課後になっていた。

 疲れきってしまった僕は、生徒会の鍵を閉めて、トボトボと歩く。そして階段に差し掛かった時――眩暈がして、足を踏み外しそうになった。

「危ない!」

 だが、直前で後ろに抱き寄せられた。僕は目を見開く。驚きながら振り返れば、そこには険しい顔をしている風紀委員長の加賀見先輩の姿があった。

「大丈夫か?」
「あ……は、はい。す、すみません!」
「具合が悪いのか? 顔色が悪い」
「ちょっと眩暈がして」
「確か、1年の長野だったな?」
「は、はい!」
「生徒会庶務に任命されたという報告は受けている。だが、この生徒会と風紀委員会しか存在しない特別棟の直近の入退室履歴を見ると、お前しか生徒会の仕事をしていない様子だが?」
「……、……それは、その……」
「他の役員どもは、仕事を放棄しているんだろう?」
「……」
「リコールの手続きを進めている。お前も無理をする事はない」
「え! ほ、本当ですか!?」
「ああ」

 僕は風紀委員長の腕に収まったままである事も忘れて、その報告を聞いて、目を真ん丸にしていた。すると不意に、風紀委員長の両腕に力がこもった。

「無理をしているんだろう? 俺でよければ、いつでも相談に乗る」

 その優しい声を耳にした瞬間、僕の涙腺が緩んだ。

 僕はそのままポロリと涙をこぼし、暫くの間、泣いていた。風紀委員長は何も言わずに、僕のことを抱きしめていた。

 ――この日、僕は風紀委員長に恋をした。



 生徒会がリコールされたのは、秋の事だった。僕もまた、解放された。赤阪くんは、転校していった。それから少しして、やっと学園は落ち着きを取り戻し始めた。僕には普通の……平凡な日々が、戻ってきた。

 それは即ち、人気者と関わったりしないという事でもある。

 風紀委員長も学園では絶大な人気を誇っている。関わる場合なんて、基本的に注意を受ける時だけだ。つまり、僕はまた、遠くから眺めることが精いっぱいの、関わらない状態になったという事で、たった一回話したあの日に恋をしたものの、片思いを胸の内に押し殺しているだけになっている。

「はぁ……」

 少しでいいから、顔が見たいと思って、僕は風紀委員長が見回りをする時間帯に、何気なく廊下に出てみた。話したいとまではいわない。お顔を見れたら十分だ。そう思ってキョロキョロしていた。

「何か探しているのか?」
「!」

 すると後ろから肩を叩かれて、僕の耳に大好きな声が入ってきた。

「あ……その」
「久しぶりだな、長野。その後はどうだ?」
「は、はい! 最近、落ち着いていて」
「それはよかった。お前のために奔走した甲斐もある」

 振り返った僕の前で、風紀委員長が奇麗に笑った。端正なその顔に、思わず惹き付けられる。

「僕のため?」
「――ああ。あの日泣いていたお前に、胸が掴まれてな。あれ以来、ずっとお前のことを考えていた。一刻も早く、長野を楽にしてやりたかったんだ。だから、本当によかった」
「あ、ありがとうございます!」

 風紀委員長は、人格者だ。なんて優しいんだろう。

「気にするな。ただの下心だ。好きな相手を救いたいと思ったのは本音だが、好きな相手が害されているのを見逃すほど、俺は優しくない。ただどちらにしろ動機は、ただの恋だ。長野、俺はお前が好きだぞ」

 さらりと告げられた言葉の意味を、最初僕は理解できなかった。

 理解した瞬間、顔から火が出るかと思った。僕は真っ赤になって震えてしまった。自然と目が潤んでくる。

「俺と付き合ってくれないか?」
「ぼ、僕なんかで……え? え? 本当に?」
「お前がいいんだ。同意と取るが、きちんと聞きたい。最近俺を目で追っていたようだから、脈があると思っていたが」

 気づかれていたと理解し、僕は唇を震わせる。だが、勇気を出した。

「ぼ、僕も好きで、だ、だから、見ちゃって」
「そうか」
「好きです、風紀委員長の事が」
「名前でいい」
「加賀見先輩……」
「祐平でいい」
「! あ……祐平先輩……」
「ああ。俺も忍と呼ばせてもらう」

 こうして、僕と風紀委員長は恋人同士になった。虚ろな目をした日々の先には、幸せが待っていた。その後僕は、風紀委員長の溺愛に溺れた。