<7>風紀委員長の恋活!!



 その後――なかなか鏑屋と会う機会はなかった。せいぜい見回りの途中に見かけるだけだ。鏑屋が俺の部屋に来ない限り、話すことはないのだと、改めて実感した。だけど、どうして急に来なくなったのか。普通に考えれば飽きたのだろうと思う。だが、生徒会室で俺のことを愛していると言っていた。あれは冗談か? 無論その可能性も高い。

 そう考えると憂鬱になってくる俺がいた。

 最近の俺は、鏑屋の事ばかりを考えているのだ。本当に末期だ。むしろ終わっている。
 体が疼くというのももちろんあるし、いじめられたいとも思うのだ。

 今も遠くでチワワに囲まれニヤリと格好良く笑っている鏑屋を見て、イラっとしている。
 本音では鏑屋だって、ああいう可愛い系男子がいいのだろうか。どうせ俺はいかつい。

 ――ああ、鏑屋の視界に、俺は入っていないんだろうな。

 結局今日も話せないままで、俺は仕事終了後、寮の部屋へと帰った。

 俺は奨学生なので、節約しながら暮らしている。今日はカレーうどんでも作ろうか。
 なんだかやる気がおきなくて、冷蔵庫を開けたまま、ボケっと俺は立っていた。電気代がもったいないので、普段ならば絶対にやらないが……なんというか、ドMだとかドSだとかを超えた次元で意識しているのだが。中に入っている食材のどれを見ても、なんだかどうでもよく思えた。鏑屋家の食事、美味しかったなぁ。

 というよりも、俺は、一人ではない食事というものを初等科以来したことがなかったのだ。中等科からはずっと風紀委員会に所属していたから、見回り終了後に一人でお弁当を食べていたし、風紀委員長になってからは、風紀委員長室で食べていた。だから鏑屋と二人で食べたという記憶が、なんだか神々しいのだ。

 一人ではないというのは、思いのほか暖かかった。考えてみれば、基本的に俺は一人なのだ。初等科時代は無口であまり友達などできなかった。そもそも初等科から奨学金をもらっている生徒はごく少数だったから、貧乏人には近寄るなという風潮で、周囲は話しかけてこなかった。風紀委員会に所属してからは、怖がられて誰も近寄ってこない。せいぜい委員会のメンバーくらいなのだ、話すのは。そう考えると、俺は我ながら寂しい生活を送ってきたのだと思う。

「やっぱり……恋活だな……」

 鏑屋のことが気になっているのはもう認めるしかない事実だが、それよりも、やっぱりそろそろお一人様は嫌だと思った。

「なんだって?」
「!?」

 そこへ唐突に声をかけられて、俺は硬直した。ぎくしゃくとしながら緩慢に振り返ると、なぜなのか俺のソファに堂々と足を組んだ鏑屋が座っていた。何故だ? いつからいた? というかどうやって入った? なんでここにいるんだよ!

「高河ァ、今なんて言った? あ?」
「……どうやって入ったんだ?」

 ひとつずつ聞こうとした俺の前で、鏑屋は金色のカードキーを手で弄んだ。俺でも見たことがある。あれは、風紀委員会や寮長などに渡されている、全ての部屋の合鍵だ。だが生徒会が持っているとは聞いたことがないぞ。どうやって手に入れたんだ……。管理責任で大問題だ。明日の仕事が増えてしまった。

「い、いつからそこに?」
「お前が帰ってきた時には既にいた。ぼけっとしてんじゃねぇよ、気づけ。無用心な風紀委員長様だなァ、あ? そんなんじゃ、自分が襲われんじゃねぇのか? まぁもう俺様に襲われてるのか」

 楽しそうに鏑屋が喉で笑う。その声がすごく耳に心地よくて、俺は思わず笑ってしまいそうになったがこらえた。どうしよう。どうすればいい? と、とりあえずコーヒーでも出すか?

「こっちに来い」
「……コーヒーを淹れてから行く」
「いるか。さっさとしろ」
「……」

 ダメだ。好きかもしれないと考え出している現在では、いちいちその低い声に、体がこわばってしまう。俺は完全に鏑屋のことを意識していた。心臓がバクバクいいだして、胸が苦しい。そうか、この感覚が、俗に言う、恋は苦しいというものなのかも知れない……!

 しかし緊張しすぎていてダメだ、本当ダメだ。俺は冷蔵庫こそ閉めたが、緊張で歩けない。すると苛立つように鏑屋が立ち上がって、歩み寄ってきた。そして俺の手首を掴むと、強引に引いた。

 鏑屋の胸の中に倒れこんだ俺は、もうその厚い胸板の感触だけで……実に情けないことに勃ちそうになってしまった。鏑屋の鼓動の音が聞こえるほどの至近距離だなんて心臓に悪すぎる。

「で? なんだって?」
「なにがだ?」
「俺様の耳には恋活と聞こえたぞ」
「!」

 そうだ、聞かれていたのだ。俺は羞恥で頬が真っ赤になってしまった。だから俯いて誤魔化した。今だけは絶対に鏑屋と目を合わせられない。

「恋活ってあれだろ? 婚活の恋愛バージョン」
「……」

 そうそれだ。鏑屋は良くご存知でいらっしゃる。ちなみに俺は今年こそ、いっそ学外で恋人を探そうかと考えていて、Webサイトやらアプリやらに登録して、出会いを求めようかとすら考えている。

「高河ァ、お前恋人が欲しいのか? ん?」
「……」
「お前まだ自分が誰のものかわかってねぇのか?」
「――え?」

 驚いて顔を上げると、鏑屋が苛立つような目をしていた。しかし口角だけは持ち上げられている。なんだか怖い。それこそ獰猛な肉食獣といった感じだった。ゾクリと悪寒が背筋を駆け上がる。怖いので、俺は鏑屋の腕の中から逃げ出そうとした。だがそうした瞬間、強く強く抱きしめられた。そして耳元で囁かれた。

「言えよ、高河。お前、誰が好きなんだ?」
「……」
「恋活なんかしなくても、お前にはもう好きな相手がいんだろ?」

 思わず息を飲んだ。ま、まさかだ。俺の気持ちがバレているのだろうか? いいや、それはない。なにせドM妄想を隠すために、俺の表情筋は鍛え上げられているのだから。では何故だ? 身が竦んだ。

 それにしても好きな相手にこんなふうに抱きしめられて、好きな人を聞かれたら、胸がギュッと辛くなる。もうこの気持ちを吐露してしまいたい。そうして楽になってしまいたかった。だがなんだか敗北感がある。どうしよう、本当どうしよう。

「高河。俺は気が短い」

 低い声で、耳元で言われた。再びゾクゾクして俺は震えた。恐る恐る鏑屋を見上げると、スッと目を細め、俺をじっと見ていた。氷のように視線は冷たい。凍死してしまいそうだ。この目は獲物を狩る目だ。俺が何をしたというのだ。どうしてこんなふうに怖い思いをしなければならないというのだ。俺が悪いのか? 俺がドMだから悪いのか?

 しかし――……こうして改めて鏑屋の体温に触れて思う。やっぱり俺は、鏑屋のことが好きなんだと思う。両思いかも知れないし、ここは勇気を出そうか、俺……。どのみち恋活をするとなれば、自分から押していかなければならないのだろうしな!

「――俺は、鏑屋の事が好きだ」

 声の震えを押し殺したが、結果として呟くような大変小さな声になってしまった。果たしてちゃんと聞こえただろうか。そんな不安と、鏑屋の反応が怖くて、俺は恐る恐る鏑屋の表情をうかがう。すると――鼻で笑われた。

「は? 俺様と恋人になりてぇのか? 俺様がお前みたいなドMを好きになるわけねぇだろ」

 グサっときた。

 俺は涙がこみ上げてきたものだから、俯いた。まずい、本気泣きしてしまいそうだ。
 恋って、こんなに辛いものだったのか。
 しかも失恋した。

 そうだよな……本当、考えてみれば、鏑屋ほどの全てを手に入れている人間が俺を好きになるわけがないよな。ちょっと俺は夢見がちだったのだろう。優しくされて舞い上がってしまったのだろう。唇を噛み締めて、必死で嗚咽をこらえる。まずい、俺、号泣しそう。

「――って、言ったほうがお前は喜ぶか?」
「……?」

 しかし苦笑するように続いた声に、俺は思わず首を傾げた。すると再び腕に力がこもり、ギュッと抱きしめられた。

「ただこればっかりは嘘がつけねぇ。俺様はお前のことが好きだ。ずっと好きだったんだよ。お前、全く気付かなかったけどなァ。俺様は、誰よりも気高くて、俺様に屈せず対等な、そんなお前のことがどうしようもなく好きなんだよ」
「っ」

 息を飲んだ。信じられない思いで顔を上げようとすると、顎を掴まれた。そして結果的に、強制的に上を向かせられた。

「な」

 恥ずかしくなって顔をそらそうとしたのだが、鏑屋の手がそれを許してはくれない。
 必死で否定しようとすると、吹き出すように笑われた。

「もうわかってる。お前はドMだ。ただまァ、俺様のSっぷりにはかなわないだろうな」
「は?」
「これからはもっとじっくり俺様が開発してやる――恋人としてな」
「!」

 驚いて目を見開いた時、不意に唇を塞がれた。キスなどしたのは、人生で初めてだ。動揺して僅かに唇を開くと、中に舌が入り込んでくる。口の中を舌でなぞられ、それから舌で舌を絡め取られ、強く吸われた。息苦しくなってきた時、甘噛みされて俺の肩がピクンと跳ねる。水音が響いてくる。官能的な口づけに、クラクラしてくる。

 例えば性器を触られたわけでもなければ、玩具を使われているわけでもないのに、俺はこれまでの人生で経験したことのないほどの歓喜で体が震えるのを止められなかった。何よりも気持ちがいい気がした。俺は鏑屋のキスが好きらしい。

 その後も角度を変え、何度も貪られた。時折唾液が線を引く。ようやく唇が離れた時には、すっかり俺の体からは力が抜けきっていた。

「高河ァ、お前な、いちいち色っぽい顔すんじゃねぇよ。そんなんだから俺様の理性が持たねぇんだよ」
「お、俺は別にドMじゃ……」
「……まぁ、ここまでドMだとは思ってなかったけどな」

 なんだか理不尽なことを言われた気がした。決して俺のせいではないだろう、寧ろ鏑屋のせいに違いない。しかし、俺は色っぽいのだろうか? どこが?

「……それにしても、鏑屋はどうして俺の部屋に……?」
「バカか。今日はお前の誕生日だろうが」
「……――!!」

 そういえばそうだった。俺は誰かに祝ってもらったことなどないので、すっかり忘れていた。しかし俺自身でさえ忘れていた誕生日を何故鏑屋が知っているというのだ。

「ケーキを作らせて持ってきてやったんだよ。ありがたく思え」
「あ、ああ……鏑屋は……なんで俺の誕生日を知って……?」

 というか思えば服のサイズから何から、全て知られている気がする。どういうことだ?

「俺様は、好きな相手のことは調べ尽くすんだよ。確実に手に入れるためにな。それに、だ。ずっとお前のことを見てきたんだ」

 なんだかちょっとだけ嬉しかった。いや、本当はすごく嬉しいのかもしれない。
 しかしこれは……ストーカーっぽいような気もする……。ま、まぁいいか。

「さァて。ここのところ、ご無沙汰だったから、いい感じに溜まってんだろ?」
「は?」
「日に日に色っぽくなってくお前の顔を見てるのも楽しかったが、それも今日のためだ。存分にプレゼントしてやるよ。この俺様を」
「!」
「今夜は眠れると思うな。覚悟しておけ」

 ――このようにして。
 誕生日の夜を俺は、初めて恋人と過ごし、朝まで啼かされた。久しぶりの鏑屋の熱の暴力に体を翻弄されたのは、俺にとっては確かに最高の誕生日プレゼントだったようにも思う。

 以来、俺と鏑屋は、恋人同士となった。

 しかしちょっと困ったこともある。今日も俺は校舎の見回りをしているのだが――……俺の肩に手を置き、腰を鏑屋が抱き寄せてくるのだ。最近では学校の中でも、堂々とベタベタ俺に触ってくるのだ。

 そんな俺に、果たして他者を注意する権利があるというのだろうか? 本当に困ってしまった。

「崇介、いい加減に離してくれ。仕事中だ」
「嬉しいんだろ、なァ雪野?」
「……」

 別の変化はといえば、俺たちは、下の名前で呼び合うようになった。
 気恥ずかしいものがある。その上、副委員長だとか副会長だとか会計だとかにさんざん揶揄されつつも祝福された。会長親衛隊の報復を覚悟したが、それもなかった。

 まぁとりあえず俺には、そんなこんなで恋人ができたのである。
 だから俺の恋活は終了だ。
 なんとなく――俺は幸せである。日々、体を開発されることも含めて。

 なんだかんだで、やっぱり俺はドMである。それだけは、恋人ができても変わらない。

「とにかく離せ」
「お前から俺様にキスの一つでもして見せてくれたなら、離してやる」

 俺は……意を決して目を伏せたのだった。