【十九】涼鹿との約束
本日も朝はいつも通りに起床して、稽古に励んだ。
額の汗を拭い、タオルで拭いてから、俺はシャワーを浴びる。頭から温水を被りつつ、正面の鏡を見た。
「昼の約束、覚えてるよな?」
ゲームの中で知る限りにおいて、スズカは約束を破る性格では無い。だが、学園の評判として、俺様であり唯我独尊だという。
「俺は、俺が見た方を信じるが」
そう呟きつつも、いかようにして待ち合わせをするのか考えていた。
入浴を終えてから、髪を乾かして、俺は水を飲みつつソファに座った。本日のログインボーナスを貰うことに決めてアプリを起動すると、【タイムクロスクロノス】のポストに手紙が届いていた。
「あ」
差出人は、【スズカ】である。タップして中身を即座に確認した。
『今日の昼、風紀委員会室に迎えに行く』
その一言に、俺の気分は浮上した。
『何時頃を予定してる?』
返信は無くても構わないと思いつつ、フレリスでログイン中であることを確認したので俺は手紙を返した。するとチャットが飛んできた。
『十二時はどうだ?』
『混むだろう』
『二階席は空いてるだろうが。俺様と一緒に入るのが気まずいとでも言うのか?』
『いいや? 嬉しいよ』
『素直か!』
『俺はカンストしたし、食事中はスマホを触らないから、本日のレベル上げは見物させて貰っていいか?』
『早いな!? さすがとしか言えない……本当に……なぁ』
『なんだ?』
『本当に少しは嬉しいか?』
チャットは文字なので、どのような声のトーンなのかは分からなかったが、俺は顔がにやけた。俺達が揃ったら密談だと勘ぐられるのは、並んで歩いているだけでも明らかだったのだから、専用席で食事となれば、確かに皆が騒ぐだろう。きっと、それも、大騒ぎだ。ただ、俺と涼鹿の場合、舞戸と青波のような勘ぐられ方は悲しいがされないだろう。どのような罵詈雑言の口舌戦が繰り広げられているのかに、周囲は興味を持ちそうだ。全くもって幻想に過ぎないが。
『黙るなよ……切ないだろ!』
『悪い、にやけていた』
『は?』
『正午を楽しみにしている。そろそろ出る。また後で』
俺は実際にやけながら、そうチャットを送って、ログアウトした。
――涼鹿とのデート……デートでいいのだろうか、デートとしよう、デートは実現しそうである。
「今日だけは事件が起きてくれるなよ」
俺は祈るような気持ちでネクタイを締め直し、学園の校舎へと向かった。
本日は最後の制服チェックがあるため、校門に立つ。
服装は自由なのだが、あまりにも逸脱している場合は指導をしなければならない。
だが俺からすれば皆、似たり寄ったりだ。素通りしてくれて、ありがたい限りだとも言える。ただたまに、注意されたいという変態がいるのが困る程度だ。
そんなこんなで予鈴が鳴るまではチェックを行い、俺は風紀委員会室へと向かった。早く昼食時がこないものかとそわそわしながら、時々素知らぬふりで時計を見る。本来は昨日も今日も、教室での答案の返却はあった。しかし俺の場合は日程が詰まっていたので、それも含めて免除されている。生徒会も同様のはずだ。
さて、昼食では何を話そうか。ここはやはり、レベル上げに最適なMobの話題しかないだろう。昨日キャラレベルをカンストさせた経験者の俺に、怖いものなどない。いつもよりも早く食べ終えたら、無論朝はあのようには言ったが、レベル上げは手伝う所存だ。二人で一緒に、強くなりたい。相棒と、これからも呼ばれたいものだ。
「委員長」
すると舞戸に声をかけられた。
「なんだ?」
「さっきから難しい顔をしてるけど、どうかしたの?」
「あ、いや……」
――聖窟エルフィネアと魔湖ダークネアのどちらの方がレベル上げがやりやすいか考えていただけである。説明が難しい。困難だ。
「もしかして、林間学校の見回り案に、不備でもあったの?」
「無い」
「だよね。委員長、そういうところ、しっかりしてるもんね」
そんなやりとりをしていると、すぐに正午が訪れた。
俺はチラチラと秒針を見る。十一時五十九分が過ぎ去り、一秒。
ガラガラと扉の音がしたのはその時だった。風紀委員会室の中の者の視線が、反射的に扉へと向く。俺も同じ素振りでそちらを見ると、扉を勢いよく開けた涼鹿の姿があった。ニヤリと口角を持ち上げている。
「珠碕、来てやったぞ」
その声に、今度は俺に視線が集中した。
「ああ、行くか」
俺が立ち上がると、舞戸がぎょっとしたような顔をして、息を詰めていた。そちらを一瞥して俺はなんでもないのだと示すべく軽く首を振ってから、入り口へと向かう。横に並ぶと、さすがに涼鹿の身長は大きい。
「何を食べるか決めたか?」
俺が歩き始めると、隣に追いついてきた鈴鹿に聞かれた。
「俺はいつもメニューを見て決めている。ただ、そうだな、今日の気分は寿司だな」
「寿司?」
「江戸のファストフードというだけあって、すぐに食べられる」
「それはすぐに帰るという宣言か?」
「違う。涼鹿のレベル上げを手伝うという話だ」
「っ……あ、ああ。そ、そうだな。そうだったな。お前はゲームのために、俺がお前を呼び出したと確信しているんだよな?」
「? 違うのか?」
「俺はテストの話がしたい」
「えっ……興味が微塵もわかない……どうせ明日、成績表がはり出されるのだから、どうでもよくないか?」
「好きな相手とは勉強の話でもしたらどうだと、一体珠碕はどの口で言ったんだ……」
「そうだ、好きな相手。それは重大な問題だ。結局誰なんだ?」
「やっぱり珠碕は鈍すぎるだろう……」
「俺が? 鈍い? 何故?」
そんなやりとりをしつつ、二人でエレベーターへと乗り込む。開閉ボタンを押してから、下降する箱の中で、俺はじっと涼鹿を見上げた。涼鹿は複雑そうな顔をしている。だが本日は、【タイムクロスクロノス】に限らない話題も、今までよりは続いている気がする。これは少し、進展したと評しても良いのでは無いだろうか。
「なぁ、涼鹿? 俺のどこが鈍いと言うんだ?」
一階に到着したので、俺は扉を開けながら改めて問いかけた。すると先に降りた涼鹿が、肩を落とした。
「……とりあえず俺は、昼食の時間は可能な限り長引かせたいから、調理時間が長いことに定評があるフルコースを頼む」
「そ、そうか? そんなにゲーム時間を取りたいのか?」
「……お前と話す時間を、とりたい」
「ああ。いくらでも攻略情報なら渡せる!」
「なんで伝わらないんだ。俺様はもう半分程度、気持ちがバレてもいいと思いながら喋ってやってんだぞ? あ?」
「皆まで言うな。気持ち、察しよう。今日中に、カンストだな!」
「違う!」
俺は首を捻りつつも足を動かす。そんなやりとりをしながら、俺達は食堂へと到着した。すると給仕の人が扉を開けてくれた。
結果――シンっと、その場に静寂が降りた。
いつも舞戸と来ると声が凄いのだが、その場の時が停止しているような状況に放り込まれた感があった。
「……え?」
「何事?」
「眼福だけどあり得ないセット!?」
「天変地異の前触れ!?」
「生徒会長と風紀委員長がおそろいで?」
「密談?」
「「「「「「「「なにごとー!?」」」」」」」
直後、絶叫が響き渡った。最早聞き取れない。その中央を、臆することなく涼鹿は歩いて行くので、俺も堂々と隣を歩いた。涼鹿の隣と言うだけで緩みそうになる顔は引き締める。無言で二人、二階席への階段を上った。そして、窓際の一角に陣取る。
水を持ってきた給仕の担当者に、涼鹿が寿司とフレンチのフルコースを注文した。
本当に頼むのだなと思いながら、俺はポケットからスマホを取り出す。
食事中は見ないが、待ち時間に涼鹿を手伝う用意があるのは本当だ。
「それで? どこでレベルを上げる? 俺は叡銃士で範囲殲滅をするつもりだが?」
「……スマホはしまえ」
「え?」
「お、俺様は、だ、だから、そ、その……珠碕を会話で楽しませてやるって言ってるんだ。【タイムクロスクロノス】じゃなく、俺様自身で、今日の昼は持たせる」
「ん? 俺達の共通の話題は、基本的に……――あ」
そこで俺は、先ほどの舞戸の言葉を思い出した。
「まさか、林間学校の見回り案に不備を見つけたというのか? ここで密やかに指摘してくれるつもりか?」
「そうじゃねぇ!」
「なんだ、焦っただろうが。じゃあ、何を話すと言うんだ? 俺はせっかく……」
レベル上げ場所を検討してきたというのに。脳裏でピックアップしてきたモンスター達の姿を、必死に打ち消す。これでも俺は、涼鹿の力になるために、必死に午前中に熟考してきたのだが、無駄に終わった。
「そ、そういえば、林間学校では、一緒にキャンプファイヤーを並んで見ると、その……」
「ああ、伝承があるな。それはどうでもいいが、林間学校で思い出した。涼鹿」
俺は顔を上げて、まっすぐに涼鹿を見た。
「アニバはいつ回す? お前の別荘にはいつ行けばいい?」
そうだった。俺は、押していかなければならないのだった。
「あ、っ……八月の半ばはどうだ? 林間学校の少し後の日程で」
「ああ、俺は構わないが。その時期は、日本はお盆だろう?」
「日本は? まぁ、そうだな。アズ……、あ、いや、珠碕は、帰省の日程は?」
「特に決めていないし、帰らない年も多い。俺は涼鹿に合わせるぞ」
「そうか」
そこから俺達は、涼鹿の別荘へと遊びに行くプランの打ち合わせを始めた。気を利かせた給仕の人々が、フルコースと寿司を一緒に運んでくるまであと少し。