<0>ヤりたい。
ヤりたい。一言で言うなら、ヤりたい。
童貞を捨てたいというよりも――俺は、処女を捨てたい。
アナニーにハマってしまった、十五の秋。
最初は出来心だった。オープン腐男子の兄が、リビングに置き去りにしていたBL漫画を興味本位でパラっと開き、あんまりにも気持ちよさそうだったから、ちょっと弄ってみたのだ。そうしたら……――気持ちよすぎた! 気持ち良すぎたのが悪いんだ! バカヤロー!
もうじき高校受験だというのに、さっぱり手につかない。
今は、軟膏を塗った指を恐る恐る入れて弄っているのだが、贅沢を言うなら、ローションをつけたバイブを突っ込んでみたい……! もっと気持ちよくなりたい! もどかしいのだ!
俺は同性愛者じゃないと思うのだが、はっきり言って最近、誰かに突っ込まれたいとすら思う。頭の中が、それ一色だ。
「はぁ……」
思わずため息をつきながら、帰宅して、俺はリビングに入った。
すると大学生の兄がバイトに行く前らしく、そこで煙草を吸っていた。
「どうした、千颯(ちはや)。なんか暗いぞ」
「ちょ、ちょっとな」
「受験のことか? まだ志望校決まっていないって聞いたぞ」
「あ、ああ……」
俺は、そういうことにしておこうと決めた。
実の兄、でなくとも他者に、「ヤりたくてヤりたくて死にそう」なんて、俺は恥ずかしくて言えない。
「俺がお前なら、虹津ヶ丘(にじつがおか)学園一択なんだけどなぁ」
「虹津ヶ丘? 聞いたことがないな」
「だろうな。俺が、リアルBL学園が存在しないかと日本国中を調べ尽くして見つけた、知る人ぞ知る全寮制の男子校だからな」
「――へ?」
「あそこだったら生BLが見放題だったはずだと今、非常に後悔している。来年の教員採用試験の後、俺は教師として絶対に赴任してやるつもりだよ」
「生BL……?」
「前にお兄ちゃん教えてあげただろう、だから、BLというのは、『純愛★』だ」
「ホシって……」
「引くな弟よ。真面目でお堅いお前にも、そろそろ、少しはエロスへの目覚めがあっても良いと俺は思うよ」
俺は顔を背けた。兄に限らずなぜなのか周囲は、俺は性的な事柄に一切興味のない真面目な人物だと思っているらしいのだ。頭の中逆なのに!
「ああ、千颯! もし、特に学校にこだわりがないんなら、ぜひ虹津ヶ丘を受験して、内部レポートをしてくれ! 我が家の資産状況なら、隠れ選考基準の家柄は十分満たされるし! 一応難関校だけど、千颯の成績なら絶対合格する! 滑り止めでもいいから! 受けるだけ受けてくれ!」
「……」
「そして俺に、めくるめく生BLの話を聞かせてくれ!」
兄・千草(ちぐさ)は、そう言うと俺に学園案内の入った封筒を手渡したのだった。
それを受け取り、俺は部屋へと戻った。
――生BL……それは、つまり……――俺に突っ込んでくれる奴と出会えるということか!? 俺は勢いよくパンフレットを取り出して、熟読した。なんでも中高一貫制の学園らしく、高等部からの外部入学は狭き門であるように思えた(定員人数的に)――が、出願はまだ間に合う。
さらに全寮制……相部屋らしいのだが、勉強に集中できるようにと、勉強部屋兼寝室として、一人ひと部屋が約束されているらしい。イメージで言うと2Lや4Lのマンションのような寮になるようなのだ。つまり――実家である現在よりも、アナニーしやすい。施錠できるから、誰も来ない……これだけでも、俺には利点だった。今は、いつ誰かが入ってきたらどうしようかと怯える。
「受験だけでもしてみるか……」
俺は、一人そう決意したのだった。
――そして、幸か不幸か、俺は、虹津ヶ丘以外の高校に落ちた。理由はわかっている、欲求不満で勉強が手につかなかったのだ。そして虹津ヶ丘は、受験内容が書類選考と面接のみだったため、なんとか乗り切ることに成功したのである。
兄が大歓喜した。男手一つで俺を育ててくれている父は、「まぁ受かった学校があって良かったね。気を落とすことはない。きっとそこがあっていたんだよ」と、のほほんとしていた。
卒業式では、「風紀委員長、たまには戻ってきてくださいね!」と、後輩達に泣かれた。
そう、俺は中学で、風紀委員長をしていたのである。
それも真面目なイメージに拍車をかけていたのかもしれない。
こうして入学が決まり、俺は入学式の数日前に、入寮する事になった。
実家から国内なのに移動に丸一日もかかる、ある山間部に、私立虹津ヶ丘学園は存在した。
果たして――俺の欲求不満は、満たされるのだろうか……。
期待と不安を抱えながら、俺は校門の前に立った。
引越しの荷物は既に宅配便で送ってあったので、俺はスポーツバックを2つ横にかけて学園の門をくぐった。そしてすぐそばの守衛さんに挨拶をして、寮への道を教えてもらった。事前に封書で部屋番号や地図などは届いていたのだが、それを見せたら色々と教えてくれたのである。
なんでも、虹津ヶ丘学園には、7つの寮があるらしい。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色の寮が存在するそうだ。
色により、教職員寮などと決まっているらしい。
俺は推薦入試により奨学生となったので、基本的に奨学生が入寮する紫寮を宛てがわれたそうだった。まだ春休みのせいか、人気のない校庭を歩き、俺は西の敷地にある紫寮を目指した。
紫寮は――……たどり着いて二度見する程度に、西洋風の城の外観をしていた。
エントランス前でしばらく見上げてから、俺は中へと入った。
そして紺野さんというコンシェルジュさんから、ルームキーを受け取った。
302号室が俺の部屋だ。
落ち着いたら、寮監の生徒に挨拶すると良いと教えてもらった。
頷いてから、俺はエレベーターに乗った。
302号室は、2LDKで、勉強部屋兼寝室が、2つある。
リビング直通の、廊下と接したエントランスの扉の左右に名前が書かれた札がついていて、右側には既に『小暮葉澄』という名前があった。俺のルームメイトだろう。この名前の位置が、内部の部屋の位置でもあるとコンシェルジュさんに聞いた。
少し緊張しながら呼び鈴を押したが、誰かが出てくる気配もなく、鍵もかかっていたので中へと入った。人気がなく、ルームメイトは不在のようだった。そしてやはり右側の部屋は埋まっていて、左側の部屋の前に俺の荷物が積んであったので、そちらの部屋に向かうことにした。
中は、八畳ほどの部屋で、白を基調としていた。
ワンルームマンションみたいだった。
これから俺はここで暮らすのか。誰か――突っ込んでくれるだろうか……。
早速浮かんできた邪な思いを俺は打ち消した。