【第一話】ひた隠す







 この私立嶺北学園には、蝶が多い。
 あるいは蛾なのかもしれないが、それは蜘蛛である俺には見分けがつかない。

「ねぇ、綾埼会長の歓迎会の挨拶、本当に素敵だったよね」
「うん。会長親衛隊に入って、本当に良かった」

 今も蝶あるいは蛾なのかはわからないが、どちらかの生徒が二人で、廊下の窓際に立ち、談笑している。

 二人とも高等部からの外部編入生だが、一見して、この学園でいうところのチワワだとわかる。

 華奢で低めの身長をしており、まるで女の子のように可憐だ。

 風紀委員会で把握している限り、入学式の演説で惚れ込んだ様子で、二人とも即座に会長親衛隊に加入していた。

 会長親衛隊は、中でも蝶あるいは蛾が多い。

 それ以外の一般的な人間の容姿も、ほとんどがチワワだ。

 一般人は、蝶・蛾・蜘蛛・蜂という四つのダイナミクスの存在を、基本的に都市伝説だと考えている。

 だが、存在を知っている者の内、特に蝶は、『蜘蛛に喰べられないために』として自警団じみた防衛組織を作っている事が多い。

 会長親衛隊には、そうした側面もある。

 ――俺は、蜘蛛だ。

 だから普通の人間の他に、四つの存在がいる事を、知っている。

 無論、蜘蛛は蝶を美味だと感じるから、眺めていれば喰べたいという衝動を抱く事もある。

 しかし俺は、蝶を喰べた事はない。

 混じっている蛾を喰べれば猛毒で死ぬ事になるし、蝶を喰べた場合も、俺が蜘蛛だとほかの誰かに気づかれる可能性がある。

 俺は自分が蜘蛛である事を、人生で誰にも口外した事はない。

 普通の人間の素振りで、四つのダイナミクスなど都市伝説と考えている顔で、日常的に生きている。

 だから、蜂に見つかる事もないだろう。

 蜂は蜘蛛を捕まえては、繁殖のために苗床にする存在だ。

 俺はそのような末路を辿りたくはない。

 理由は簡単だ。

 俺の父もまた、蜘蛛だった。

 しかし父は普通の人間として暮らし、普通の人間である母との間に俺を儲けた。

 母は優しかったが、俺が幼い頃になくなった。

 そして俺は男手一つで、父に育てられた。

 父は心優しい人であり、蝶を喰べる事がなかったのは、単純に誰かを殺めたくないという考えの持ち主だったからだ。俺のように利己的な理由ではなく、父は優しい人間だった。

 だが――俺が小学六年生の時、父は蜂に卵を産み付けられ、肉体も思考も全て操作され、廃人のようにかわり、蜂の子を産んで死んだ。蜂はその子を抱きながら、残された俺を見て、何を思ったのか全寮制のこの学園に入学させたのである。父を繁殖用の装置としてしか見ていなかった様子だが、人間の法制度の中で生きていくことを考えて、俺の処遇を行ったのかもしれない。

 50近かった男の父が、子を孕む異常。

 幼いながらに、俺は怖かった。俺は、ああはなりたくないと思っていた。

 しかし現実は残酷で、中等部に入学してすぐ、俺は、俺自身もまた蜘蛛である事を直感的に理解した。

 俺は蜂に見つかって、孕ませられるなどごめんだ。

 それもあって蝶を食べたようとは思わない。

 蛾の存在も怖いが、俺は蜂の方が嫌いだ。まだ蛾の猛毒で死ぬ方が、どんなに楽なのだろうかとすら考える。

「ねぇ、そういえば、バタフライバースっていう都市伝説を知ってる?」

 前方から聞こえてきた声で、俺は我に返った。

 まだ眼前の二人は、お喋りをしている。

 どうやら蝶あるいは蛾であるのに、チワワの二人は、まだその自覚がない様子だ。

「そこ。ここは廊下だ。お喋りをする場ではないし、通行に支障が出る。別の場所に移動するように」

 俺が注意すると、二人がビクりとした。

 そして慌てて頷き、去っていった。

 それを見て、俺は嘆息する。

 俺は現在、見回りの最中だ。風紀委員会規定の見回りだ。

 高等部二年生になった現在、俺は風紀委員長をしている。

 卒業後の進路に迷いながらも、俺はこんな日々が、続いていくのだろうと、漠然と考えている。

 なるべく平穏に、この学園を卒業したい。

 そんな事を考えながら、俺はこの日も見回りを続けた。