【003】欲求不満観察
こうして結局は生徒会の提案が採用された状況で、勧誘期間が訪れた。
新しい風紀委員の勧誘も同時に行われるのだが、風紀委員は中等部からの持ち上がりが多いため、あまり新しい人材は増えない。新入生と編入生は、まだ学園の制度になれていないため、どちらかと言えば守られる側だ。また本当に腕が立つ生徒は運動部も目をつけているため、中々有望な新人が見つからないというのが実情だ。
そんな事を考えながら、俺は勧誘前の全体説明を終え、漸く本日の仕事は一段落した。それから各ブースで勧誘が始まったのを確認しつつ、音響機材の前に移動して、ミネラルウォーターのキャップを捻った。冷たい水が喉を癒やしてくれる。
「よぉ」
すると後ろから声が掛かった。
反射的に振り返れば、そこには征永が立っていた。俺は目を据わらせた。先日の転化の一件を思い出してしまう。出来れば忘れたい記憶なのだが。
「なにか用か?」
「――いや、その」
「煮え切らないバ会長というのも珍しいな」
「うるせぇ。少し話を――」
と、征永が何かを言いかけた時だった。
「わぁ、珍しいセットだな!」
バシャリとシャッターを切る音とフラッシュがその場に響いた。俺達が揃って顔を向けると、そこには報道部部長の|伊佐隼斗《いさはやと》が立っていた。
「なになに密談すか?」
「違う。俺は休息中だ」
「チっ……――まぁ。密談を始めようとしたところにお前が来たって事だなぁァ」
舌打ちした征永の声に、俺は首を傾げて視線を向けた。
「あ、お邪魔しましたーっ!」
すると伊佐が帰っていった。それを見送っていると、征永が咳払いした。
「話がある、ついてこい」
「俺には特にないが。ここでは困難な話なのか? それならば、会議室の予約を今から取る」
「プ、プラベートな話だ。俺よりお前の方が困難な流れになるんじゃねぇかと俺は思うがそれはお前次第だ。なんの話か分からないほど鈍いとは思わないぞ」
それを聞いて、俺は何度か瞬きをした。
心当たりなど、それこそ転化した一件以外にはない。
だが――だったらなおさら、その話はしたくはない。実はあの一件以来、俺は気を抜くと、Subとして過ごしてしまっているからである。これまでは無かったというのに、むくむくと支配されたいという欲求が浮かんできてしまい、気づくとSubになっているからだ。この状況で征永と一対一になったりしたら、俺は自分がどうなるか分からないので正直回避したい。
「今、俺とお前がここを退座したらまずいだろうが」
「逆に俺達の仕事が一段落したのは今であり、寧ろ今から一時間程度が今週の中では僅かに取れる貴重なプライベート時間と俺は踏んだ」
「……まぁ、それは一理あるな。帰寮後も時間はあまりないしな。どこかの誰かの急な提案変更のせいで、後処理のラッシュで残業三昧だ」
俺が思わず辟易しながらそう言うと、征永が俺を睨んだ。
「まどろっこしいな。とにかくお前は、ついてくればいいんだよ。命令すんぞ、おら」
「やってみろ。そしてどうするつもりだ? 俺は別にSwitchだという事は隠していない。寧ろ公衆の面前で下らない事のためにCommandを放った汚名をお前に刻んでやれる機会が来るとすら俺は思うが」
「この減らず口が。大体そんな事をして、てめぇをどうにかしようとするDomが出てきたらどうするんだこの馬鹿が」
「俺を? 俺がその辺のDomに従うと思っているのか?」
「つまり俺様はその辺のDomとは違うって事だな。ああ、気分が良いな」
征永が口角を持ち上げて笑ったので、俺はイラッとした。
「……言ってろ。分かった、短時間で良ければ時間を作る。何処へ行くんだ?」
「横の旧校舎の保健室に行くぞ。あそこなら内鍵がある」
「外からも鍵が掛かってるだろ」
「俺様は鍵を持ってる」
「校則違反だすぐに提出しろ」
「いいからつべこべ言わずについてこい」
そのまま征永が歩きはじめたので、俺は呆れた思いで溜息をついてから、しかたがないのでその後に従うことにした。こうと決めたら征永は譲らない性格であるから、それならばさっさと話を終わらせた方がいいのではないかと思った結果でもある。
中庭を無言で通り抜けて、俺は右手でペットボトルを持ったままで、征永の後に続いて旧校舎へと入った。そして一回奥の今は使われていない古い保健室の前に立つと、本当に鍵を持っていた征永がドアを開けた。
「入れ」
「本当に後でその鍵については事情を聞かせてもらうからな」
そう言いながら俺が中へと入ると、征永がドアの鍵を閉めた。
俺は室内を見回してから、そばにあった白いベッドに座って膝を組む。
征永は、そばの机の前の回転椅子へと座った。そして腕を組むとまじまじと俺を見た。
「緋砂」
「なんだ?」
「お前は卑怯だ」
「は?」
突然の言葉に俺は、軽く征永を睨みながら問い返す。
「見回り中のDomっぷりは、正直前から屈服させたかったんだよ」
「いいご趣味だな」
「俺より強いDomは目障りで気になる主義でな」
「さぞや生きにくそうだな」
「黙れ。それで俺は、前々からお前を気にしていた。この俺様が、だ。お前には絶対に負けたくないと思い、ありとあらゆる方面でお前を敗北させたいと常々思っていた。なのにテストの一回ですらお前は俺の下にならないな。出席番号以外では」
つらつらと語っている征永を見て、そのように思われていたのかと俺は驚いた。
俺だってそれなりに征永の存在は意識していたつもりだが、このようにライバル視されていると考えた事は無かった。なにせいくら順位がどうであれ、存在感という意味で征永に勝てる人間などどこにもいないと俺は思う。征永の横に立つというのは非常に困難で、そばにいると霞むのは明らかだ。そういう意味で、日常的に横にいる生徒会役員というのは、一歩抜きん出た存在だと俺は思っている。
「だが、それがここ数日はなんなんだ? あ?」
「どういう意味だ?」
「週末寮の学食で見た時も、準備中に遠目に見た限りでも、お前、最近は普段はSubになってんだろうが」
「……」
まさか気づかれているとは思わなくて、俺は純粋に驚いた。まず見られていたことにも気づいていなかったので、そちらにも驚いた。かつ外見からはダイナミクスは分からない以上、よほど俺が物欲しそうだったか、征永の観察眼が鋭かったと言うことになる。
「見てれば分かる。いつもキリッとしてるお前が、ぽやっとしてるんだからな」
「抽象的すぎて分からないんだが、それは征永以外にも伝わっていたと思うか?」
「いいや、それは今のところはよほど鋭くなけりゃ無ぇだろ。前から宿敵のお前をじっくりと観察してきた俺様が、ここ数日、前にいきなり偶発的とはいえ無理にPLAYさせたからと、この俺様がわざわざ気遣ってじっくり身体的不調がないか見ていてやった結果からの導出だからな」
「お前は俺のストーカーかなにかだったのか? 全く気づかなかった」
「茶化すな。とにかく今のお前は、気を抜いてる時に、顔が物欲しそうに蕩けている。こんなんじゃ気づかれるのは時間の問題だ。いくらお前が強かろうとも、ダイナミクスのもたらす欲求は本能だ。欲求不満の時じゃ、SランクがEランクの命令に反応することすら在るのは分かってんだろ。お前、抑制剤は飲んでんのか?」
征永は俺の声を遮ると、真面目な表情をした。一応俺を気遣う言葉が並べられているため、俺は意外に思った。
「過去にSubとして欲求不満による不安症になった事は一度も無いから持っていない。薬にも消費期限があるからな。ただ、幸いこの学園の保健室には保健医の先生が常駐しているし、薬局も学内にある」
「じゃ、今も欲求不満では無いと言うことでいいのか? 気づいていないだけじゃなく」
実際には、現時点でも欲求不満で、胸が若干ざわついている俺は言葉に窮した。
だが軽く首を振って誤魔化すことにした。
「プライベートなそういった事情をお前に話す必要性を感じない」
「だからプライベートな話だと最初に断っただろうが」
「……っ」
「俺は、お前を心配してやってるんだ。これでもな、一応。この俺様が。俺が誰かをここまで心配してやるなんて貴重なんだぞ、分かってんだろうな?」
「確かに天変地異でも起こるのかと思うくらい、手厚い|Care《ケア》を受けている気分だ」
不服そうな征永を見て、純粋に俺は驚いていたので目を丸くして頷いた。
征永にこのような優しさがあるとは、ついぞ考えた事も無かった。
というより、何者も支配下に置くような俺様の征永が、こうして他者を心配する心を持ち合わせていたり、ライバルとして気にしたりするような人間味があった事が意外すぎた。しかもその対象が自分だと思うと不思議な心地になる。
「次に、フェアじゃねぇから先に伝えておくが、俺は欲求不満になった。俺の場合は、元からだが。俺様はSランクの中でもDom性が強くて、常に支配欲はある。今、パートナー契約をしているSubはいないが、定期的にPLAYはしてる。それでも欲求抑制剤を飲もうとも、実際にきっちりPLAYをしない限り欲求が強くなるし、PLAYがないと衝動を外にぶつけそうになるくらいには本能的だ。だから元々お前を見るとDom同士屈服させたくなっていたのが、お前がSubだと分かった途端に、それが支配欲求に結びついて、もうごちゃごちゃだ。俺はお前を支配したい。俺様のCommandをぶつけてぇ」
すると真面目くさった顔で征永が呆気にとられるようなことを言った。真面目に語られているが、面と向かって支配されたいなどと言われたのは初めてで、俺は反応に困り、硬直した。
「俺から見た限り、お前は欲求不満だろ? そして正確に自分の状態を把握できる俺様は欲求不満だ。そこで提案する。お互いのためにPLAYをしないか?」
「征永……お前自分がなにを言っているのか分かっているのか?」
「欲求不満な俺様を満たすために、てめぇも欲求不満なんだから、大人しく俺に支配されろ――というのを丁寧に換言して、わざわざ俺様らしくもなく提案という形で伺っている」
「最低な本音だな。言う必要は無かっただろうが……そこは……」
気が抜けて俺は肩を落とした。それから腕を組み、小さく首を傾げた。
「そんなに俺は欲求不満そうなのか?」
「俺にはそう見えたが、正直俺の側がかなりお前を見ているとDom性が刺激されて、支配したいという感覚以外が消えかかるから自信は無い。そこで直接聞いてやったんだよ」
「……まぁ、実際俺も気を抜くとSubになるほどなのだから、Sub性に目覚めたのかも知れないとは思ってる。ただな? 別段お前にお相手願わずとも――」
俺が言いかけると、その場にGlareが溢れた。
「それが気にくわない。一番気にくわねぇ。緋砂が俺以外に支配される可能性を考えると、俺は気が狂いそうになる」
征永の声が低くなった。
瞬間、俺はGlareに飲まれかけた。ぞくりと背筋に震えが走る。思わず俺が怯えると、ハッとしたように征永がGlareを消して顔を背けた。
「……ま、そういう事だ。だから、提案してやったんだよ。お前も欲求不満そうだが、どちらかと言えば、俺様のために」
「……」
「お前のため、じゃねぇ。あくまでも俺が俺自身を思っての提案だ」
「……そ、そうか」
声が出るようになるまで数秒かかった。本当に征永のGlareは強すぎる。
「どうする? |Claim《契約》しろという話じゃねぇ。あくまでも、学園にいる時、お互いに無理だとなるまで、PLAYする関係……そういう意味でのパートナーにならねぇかという話だ。俺様以外とするなという意味は含むが」
征永が顔を背けたままでそう言った。気配に飲まれたままだった俺は、思わず素直に頷いた。
「ああ……分かった」
「!」
「っ、その……し、仕方ないからな。俺だって自分の欲望を認められないほど子供じゃない。それに率先して相手を探す気も無かった。だったら、そこまで本音を換言して下さったバ会長様の熱意に答えてやらないことも無いというだけだ」
俺が慌てて取り繕うと、こちらに顔を向けた征永がまじまじと俺を見てから――不意にふわりと微笑した。その顔に惹き付けられて、俺は目が離せなくなった。過去、ニヤリというような絶対的な俺様らしい笑顔しか見た事が無かったせいで、他人を威圧するようなものとは質が違う柔らかな笑みを見た瞬間、胸がギュッと締め付けられた。
「じゃ、これからはそういう事で決まりだな。俺様もお前も多忙……風紀が多忙なのも俺様は本当は知ってる。だから、あー、その……スマホのメッセアプリの個人的な連絡先のID聞いても良いか?」
「それは構わないが……」
「空いてる時間はそちらでこれからは打ち合わせしよう」
「わ、分かった」
征永がスマホを取り出したので、俺も取り出した。そして連絡先の交換を終えて、俺はつい数日前まで本当に敵対的だった相手とこのように穏やかに話しているのが不思議な気分になった。征永が思いのほか俺様ではない事に一番驚いている。
「よし」
「ああ」
「早速、少しシねぇか?」
「……PLAYか?」
「おう。他に何があるっていうんだよ」
「それはそうだが、あまり長時間俺達が場をあけるわけには……」
「だから『少し』だ。欲求不満の解消には、少しだけ小まめにでもCommandは効果はある」
真面目くさった顔で征永が言ったので、俺は瞳を揺らしてから小さく頷いた。
「同意でいいな?」
「……ああ」
俺が間を置いてから頷くと、征永が唇の両端を持ち上げて立ち上がった。
それから俺の正面に立った。
「≪Switch≫」
それを耳にした瞬間、カチリとした感覚があって、俺は自分のSub性が顔を出したのを自覚した。
そして征永が俺の口の前に、そっと手を差し出した。
「≪|Lick《舐めろ》≫」
力のこもるCommandを耳にした瞬間、俺は綺麗な長い征永の指に目が釘付けになった。息が詰まるような間隔が一瞬だけし、命令されたことだけで、全身が歓喜したことが分かった。それは、ここ数日待ち望んでいた求めていた感覚だった。
そっと俺は顔を近づける。そして指先に唇が触れそうな距離で、舌を出した。
そのまま征永の人差し指の側面へと舌を這わせる。
ゆっくりと一度舐めると、征永が喉で笑う気配がした。視線だけで、上目遣いに俺は征永を見る。するとそこには、先程の微笑よりも、さらに嬉しそうな笑顔があり、その満面の笑みに俺の胸が射貫かれた。
「≪Good≫」
「ッ」
褒められた瞬間、俺の中の幸福感が人生で初めて感じるほどに膨れ上がった。
嬉しさに体が震える。もっと、もっと。褒められたい。もっと褒められた。
それしか考えられなくなり、俺は、二度、三度とゆっくりと征永の指を舐めた。
「≪よく出来た≫。さすがだな、緋砂」
「……っ、なんだかぞわぞわする」
「嬉しくてか?」
「それもあるが、お前に褒められると違和感もあってな……たまに理性が、なんでお前に褒められて喜んでるんだと俺に囁くんだ」
「素直に喜んでいたらいいだろうが」
苦笑した征永は、一歩前に出ると、右手で俺の顎を持ち上げた。そして屈むと正面から俺を覗きこんだ。綺麗な瞳と、正面から目が合う。俺の顔が、ソコに映り込んでいるような錯覚に陥る。
「――≪Kiss≫」
そう言って征永が、俺の唇の前に唇を近づけた。
すると頭がぼんやりした俺は、引き寄せられるように顔を近づけ、瞼を伏せて、征永の唇に己の唇を押しつけていた。柔らかな感触に顔を離そうとした時、俺の後頭部に征永の大きな掌がまわる。驚いて何か言おうと口を開けると、そこから征永の舌が忍び込んできた。突然のことに驚いていると、俺の舌を征永の舌が絡め取る。ねっとりと絡め取られ、追い詰められ、口腔を嬲られる。それから舌を引き摺り出されて甘く噛まれると、俺の体がピクンと跳ねた。それと征永にベッドの上に押し倒されたのは同時の事だった。
征永は俺を押し倒したまま、じっと俺を見ている。
俺はそれをただ見上げて、視線を返すしか出来ない。言葉もなにも見つからない。
与えられたCommandも嬉しければ、与えられたキスもまたこれまでに知らなかったほどに濃密で気持ちが良かったからだ。征永に全てを任せ、身を委ね、支配し尽くして欲しくなった。
征永が顔を近づけて、俺のシャツのボタンを少し外し、鎖骨の少し上に口づけた。ツキンと疼き、俺はキスマークをつけられたのだと理解した。しかしぼんやりしている思考では、抵抗する気にならない。まるでこれまで求めていたものが全て与えられているかのような幸せな感覚に、ただ全身を支配されていた。
「……もっと目立つとこにつけてやりてぇけど、見回りがお仕事のてめぇがキスマークつけて歩いてたら大騒ぎになる上、俺様のライバルが増えそうで、蹴散らす労力を考えた結果、隠せるシャツの下につけたんだ。ありがたく思えよ本当」
はぁ、と、溜息をついた征永は、それから俺のシャツのボタンを直すと、体を起こした。そして征永は、俺を抱き起こした。
「時間、無ぇんだったな」
「それはそうだが」
ここまで煽られたら、さらに欲しくなるのが分からないのだろうかと、俺は苦笑しそうになった。だから征永の制服のネクタイを掴み、顔を引き寄せると、耳元に口を近づけ囁くように告げる。
「お前の支配はその程度という事か」
「な」
「全く足りないな。期待外れだ、今のままならば」
「っ」
「今夜。空けておいてやる、部屋で待っている。俺の部屋番号くらいは、生徒会長様なら分かるだろうな?」
俺がそう言って笑うと、チラリとこちらを見て征永が目を瞠ってから、実に可愛らしいことに、両頬に朱を差した。
「こっちが折角慣れない配慮をしてやってるって言うのに」
「俺も慣れない積極性を働かせて誘ってやった」
「へぇ、そうか。風紀委員長自ら風紀を乱すのかと俺様はある種感動した。わかった、行ってやるよ俺様から。八時に行く。鍵を開ける準備をしておけ」
「いいだろう」
「≪Kiss≫」
「ン」
征永の命令に、俺は征永の唇を再び奪う。今度は触れるだけの口づけの後、俺達は暫しの間視線を合わせて見つめ合っていた。それから気づくとどちらともなく微苦笑していた。
このようにして、俺と征永の関係は始まった。
保健室の鍵の件は、俺は意識して忘れる事にした。