【序-E】そして腐男子へ
――開眼したのである。
なんでも俺様生徒会長・腹黒副会長・チャラ男会計・寡黙ワンコ書記・双子の庶務などが在籍する生徒会や、風紀委員会が存在し、親衛隊がある学園を、王道学園と呼ぶようだ。細部の判断は人によって違うようではあったが、大体の場合、そんな感じだった。
『北藤峰学園は、リアル王道学園!』
という文章を読んで以降、僕は気づくと王道学園について読みあさっていて、気づいたら北藤峰が抜け、単純に王道学園モノのBL小説を読みふけっていた。BLは、奥が深い。一言で語るならば、男同士の恋愛小説なのだろうが、違う。そこには、萌えが詰まっていた。僕のような人間を、俗に腐男子と呼ぶようだった。
「いいなぁ……僕も王道学園で生BLが見たいなぁ……」
ブツブツと呟きながら、僕はこの日もスマホで小説を読みふけっていた。この検索のおかげで、少しずつ僕はアプリ操作に慣れてきて、前よりは恢斗に返事を送るようにもなっていた。何より、小説を見ていると、メッセージが届いた事に気づきやすいのが良い。
しかし恋心から一転し、僕は完全に腐の道に進んでしまった。誰にも言っていない隠れ腐男子であるが、どんどん僕の中にBL王道学園の知識が溜まっていく。
多分、自分が学校に行っていないというのもあって、より憧れが強くなっていったのではないかとも思う。
この年の春休み、一瞬だけ帰ってきた恢斗と、僕は一度だけ食事をした。恢斗は僕の顔を見るでもなく、ひたすらに宿題をしていた。僕は座ってそれを眺めながら、お茶を飲み干し、邪魔をしては悪いので帰った。
やはりどこにも甘いムードなどない。やっぱり勘違いとリップサービスだったに違いない。しかしもう、僕は寂しくない。僕には、BLがある。僕はその後も、暇を見つけては、王道学園小説を読みあさった。この年の夏は、受験があると言って、恢斗は帰ってすら来なかった。なお――この頃になると、僕の願望は極まってきた。
やっぱりどうしても、王道学園をこの目で見てみたい。
思いつくのは、北藤峰学園だ。つまり、恢斗の学校である。最近僕は、トークアプリで腐語りをする友人が出来たのだが、奇しくも、彼もまた北藤峰の生徒だった。熱い実況が送られてくると、僕は羨ましくてたまらなくなる。
しかもこの友達、実に美味しいポジションにいる。中等部の風紀委員なのだという。そして、犬猿の仲の相手は、俺様生徒会役員! 個人情報は言わない主義らしく、名前などは聞いていないが、まさに今回の生徒会は、王道学園そっくりなのだという。歴代を見ても間違いないらしい。羨ましい!
これまで言われるがままに生きてきて、趣味の一つも無かった僕の、初めての趣味であり、趣味友達である。王道学園も見たいが、この人物にも会ってみたい。という事で、『高等部から編入したい』と漏らしてしまった――ら、予想外の食いつきを受けた。
『家柄と学費さえOKならば、悪く言えば誰でも入学出来る。風紀委員は慢性的な人手不足だ。一緒にやらないか?(BL観察を、見回りをしながら)』
と、返ってきた。その言葉に、僕は激しく狼狽えた。これほどまでに強い衝動を、僕は過去に感じた事がほとんどない。どうしても、王道学園に行きたいし、安全圏の風紀委員にもなってみたい。世の中には腐男子受け・攻めもあるそうだが、僕は一応許婚がいるので、それは困る。
こうしてこの年の秋、僕は父に言ってみた。
「お父様」
「どうかしたのか? 破談か?」
「――いえ、あの……僕も、見識を深めるために、高等部からはきちんと通学したいと考えております。そこで、恢斗さんが在籍されている北藤峰学園の資料を見てみたのですが、桐緋堂家の人間が通うにも申し分が無いように感じまして……それで、高等部から、僕も北藤峰学園へと……」
僕が話し始めると、どんどん父の顔が険しくなっていった。すると隣にいた母が小さく息を吐いた。
「北藤峰学園でしたら、私(わたくし)の叔父が理事の一人をしております」
「お母様……」
「確かに格式のある学園ですが……もう少し花嫁修業が可能な学園の方が良いのではありませんか? 北藤峰学園は、卒業後に財界や政界のあとを継ぐ者が多く、桐緋堂ほどの家格はない者が多数と聞きますし」
「しょ、将来的に、宝灘財閥の人間となるのであれば、ビジネス場面での会話を今後、僕は少し覚えておく方が良いように思っていて、そのためには、最適なカリキュラムだと考えております」
僕の交渉相手は母に代わった。僕は必死で理由をひねり出した。すると母は、比較的すぐに納得してくれた。それから改めて僕は、父を見た。父は唸っている。
「まさか、宝灘の若造を追いかけていくわけではないだろうな?」
「断言して違います!」
「――そうか。では、在学中の破談を願う。浮気でもさせてしまえ」
我が父ながら、なんて事を言うのだろうかと思ったが、僕は曖昧に笑って濁しておいた。
その後僕は受験をした。と言っても、久しぶりに母方の親戚と食事をしただけである。また、この時僕は――『桐緋堂という名だと目立つので』という理由をつけて、特別に、母の旧姓である『深凪(ふかなぎ)』という姓を名乗って良いと決まった。この国では、旧華族制度がまだ根付いているため、一部で普及している制度である。特に学校関係では、家格を気にしない事を歌う校風だと、仮の苗字で在学が許される事が多い。
この年は、冬も恢斗が帰ってこなかったので、その代わりなのか、僕は宝灘総帥に呼び出された。父はいい顔をしなかったが、断ることもなかったので、僕は迎えの車に乗り込んだ。総帥が僕を連れて行ってくれたレストランで、明るい笑顔で話しかけられた。
「そういえば、紫樹くんは、高等部はどこに進むんだね?」
「あの、実は――」
そこで僕は、北藤峰学園の高等部である事を告げた。すると驚いた顔をした後、楽しそうに総帥が笑った。
「それは良い。そうだ、恢斗には内緒にしておこう。サプライズだ。驚かせてやろう」
「きっと僕には気づかないんじゃないでしょうか。苗字も変えますし」
「そうだとすれば、それは恢斗の目が節穴だという事になる。捨ててしまえ――と、言いたいが、祖父としては、ぜひ紫樹くんも私の孫になってくれたら嬉しいからねぇ。親しくやりなさい」
「有難うございます」
そんなやりとりをした夜があった。
こうして――僕は、北藤峰学園へと進学する事に決まった。
しかし、サプライズか。僕も、恢斗への切り出し方を考えていたので、丁度良いとも言える。総帥の提案に従ったふりをして、言わなければ良いのだ。なおこの年は、夏・冬に続いて、春休みも、恢斗は帰ってこなかった。
北藤峰学園は中高一貫教育のほか、生徒会や委員会も共通しているらしい。そして高三からは受験勉強や家業補助で忙しくなるため、高等部の一年生・二年生が、代々、生徒会や委員会、部活の長を務めるという暗黙のルールがあるのだそうだ。
恢斗はなんらかの長になったのだろう。そういえば、前にも、学校の仕事があると話していた。普通の学校にも仕事があるのかは不明だが、王道学園にはあるようだ。リアル王道学園である北藤峰にもあるという。
「恢斗なら、親衛隊もありそう……」
僕は心の中で、ずっと恢斗と呼び捨てているが、まだ直接、『恢斗さん』以外で呼んだ事は無い。呼ぶ日が来るかも不明だ。しかし一時は盛り上がったものの、すぐにしぼんだ恋心なので、どちらでも構わない。僕は北藤峰学園で、趣味友と一緒に、風紀委員となるのだ! そう決意しながら、僕は荷造りを行った。