【十七】自己紹介と書類
そのようにして、GWあけが訪れた。制服の首元を正しながら、僕は鏡の前に立つ。
今日から王道転入生の夏埜苑君は、僕と同じS組に転入してくる。本日、僕と二階堂は観察をすべく、敢えて授業に出ると決めていた。今後はさらにαの陥落者も増えるだろうと予測できるし、場合によっては夏埜苑君にも注意を促す必要がある。
自室を出てリビングへと向かうと、恢斗が眠そうな顔でソファに座っていた。片手にはカップを持っている。珈琲の良い匂いが漂っている。
「おはよう、恢斗」
「ああ、もう出るのか?」
「うん」
少し早いが教室で待機しながら二階堂と打ち合わせをする予定だ。
「先に行くね」
「分かった。明日は一緒に出られるといいな」
そんなやりとりをしてから、僕は微笑を返して、寮を出てから真っ直ぐに校舎を目指した。そして教室に到着すると、まだまばらな室内に、既に二階堂の姿があった。席についた僕に、二階堂が振り返る。
「運び込まれている机の位置的に、夏埜苑の席は紫樹の隣の隣の隣だな」
「そうみたいだね」
「バ会長と比較的近距離だな……注意は促したか?」
「恢斗は大丈夫だって話していたけど、生徒会はちょっと大変みたい」
「そうか」
僕達はそんなやりとりをしてから、打ち合わせを始めた。そうしている内に同級生が次々と登校してきた。恢斗は生徒会室に直行するようで、姿がない。だが本日は、副会長や会計、書記や庶務の姿があった。それを確認していると、予鈴が鳴った。少しすると、担任の先生が扉を開けて入ってきた。
「おはよう。今日は転入生を紹介する」
その言葉に、僕は扉の方を凝視した。すると――本当にマリモとしかいえないカツラ姿の生徒が一人入ってきた。
「転入生の夏埜苑だ。夏埜苑、自己紹介をしてくれ」
今日の一時間目はHRである。朝のSHRからそのまま継続するみたいだ。
「夏埜苑春瀬だ……です」
下手くそな敬語を生で聞いて、僕は萌え転がりそうになった。これだよ、これ。僕はこれが見たかったんだ。やっぱり族潰しだった過去などがあるのだろうか? 二つ名とか持っているのだろうか?
「夏埜苑は空いている席に座ってくれ。そうしたら、一人ずつ自己紹介をしてもらう」
こうして自己紹介が始まった。二階堂の順番がきた時、立ち上がった二階堂は顔を引き締めて夏埜苑くんの方を見ていた。顔が融解しないように気を付けているんだと思う。
「二階堂相、風紀委員長だ。風紀を乱さないように気を付けて行動してくれ。以上だ」
凛とした声で二階堂が言うと、夏埜苑くんが不思議そうに首を傾げた。幸いカツラはずれなかった。さて、続いて僕の番がきた。
「深凪紫樹です。よろしくお願いします」
僕はそれだけ告げて、着席した。すると視線を感じた。夏埜苑くん以外も僕を見ているのが分かる。授業中にさされた場合なども、大抵はこのように視線を感じたものである。まだまだ僕の存在も、珍しいのかもしれない。
さて――僕はその後、二階堂との打ち合わせ通り、教室の中をひっそりと観察した。するとトロンとした瞳に変わったαの生徒が非常に多かった。特にαで、僕の癒しの中にも存在するα×ΩのCPの場合、一気に不安そうな表情や心配そうな顔、嫉妬する眼差しに変わったΩが沢山いた。僕が着席してからは、僕に向かっていた視線も全て夏埜苑くんへと戻っている。確かにこれは、荒れそうだ……。
その後は自習となり、担任の先生は出ていった。すると二階堂が僕に振り返った。
「まずい状況だな」
「うん、そんな気がする」
「親衛隊だけでなく腐的な二人にも亀裂が入りかけている……」
「僕、それは見たくなかった……」
「俺はメリバもバッドエンドもいける口だが、やはりハッピーエンドはたまらない」
「僕は基本的にはハッピーエンドが好きだよ……そこに到達するまでは不憫もたまらないけど……」
「分かる」
小声で僕達はそんな話をしていた。すると時間はあっという間に過ぎ去った。二時間目からは風紀委員会室に戻り、副委員長にも情報を共有する事になっていたので、僕達はそろって教室を出た。
風紀委員会室に入ると、副委員長が書類を積み上げていた。僕と二階堂は、それを見てほぼ同時に動きを止めた。
「親衛隊の制裁が始まってる。動きが無いのは、会長親衛隊のみだよ。多分宝灘が陥落してないからだとは思うけど」
副委員長が遠い眼をしながら静かに語った。二階堂は書類の山に歩み寄ると、パラパラとそれを捲り、非常に険しい表情に変わった。僕も歩み寄って確認すると、夏埜苑くんの下駄箱に起きた異変や、昨日までに発生していたのが今日明らかになった呼び出し行為などが綴られていた。たとえば生徒会書記親衛隊は、不良の集うEクラスの生徒をけしかけて、夏埜苑くんを取り囲ませたらしい。その時の夏埜苑くんの対応は、走って逃げたとある。武力があるのかないのかは、これでは分からないが、別段沸点が低いわけではなさそうだなという印象を受けた。逃げる方が効率も良い。
「夏埜苑自体は、何か問題行動を起こしたか?」
書類を次々確認しながら、二階堂が副委員長に尋ねる。すると副委員長は腕を組んだ。
「それこそ廊下を走ったくらいだよ。ただし取り囲まれて逃げての事だから、危機回避の一環だし注意するような事では無いね」
「そうか、その点はまだ救いだな」
「あ、でも、何度か生徒会室に、部外者なのに入ってる。これは校則違反だけど、強引に連れて行ったのは生徒会役員達だし、まだ入学したばかりで校則を知らない可能性もあるから、そう厳しく罰しなくても口頭注意が妥当かもしれない。ほかには、食堂の二階の特別席にも一度行ってる。けどこれも、連れて行ったのは生徒会役員だし、夏埜苑くんの同室者も一緒だったみたいだね」
副委員長の説明に、二階堂は眉を顰めて嘆息した。
僕は首を傾げる。まだ性格が見えてこない。だが、王道転入生であるのは、間違いないと思う。アンチか、非王道か、真の王道か。そこが問題だろう。
「僕はちょっと見回りに行ってきます。書類は頼んだよ、委員長。それに紫樹くん」
副委員長はそう言って微笑すると、風紀委員会室から出ていった。
残された僕達は、書類と向き合う事になったのだった。