【十六】王道転入生について
帰寮した日はゆっくりと体を休めて、翌日僕と恢斗は揃って部屋を出た。
恢斗は生徒会室へ、僕は風紀委員会室へと向かう。
僕の興味の対象は、勿論――王道転入生についてだ。朝、二階堂からも、その件で話がしたいとメッセージがきていた。生徒玄関で恢斗と別れて、僕はまっすぐに風紀委員会室へと向かった。階段をのぼりながら、僕は期待で胸を膨らませる。だって、なにせ、本物だ! 足早に向かい、風紀委員会室の扉の前で、僕は深呼吸をした。それから扉を開ける。
ガラガラという音を聞きながら、僕は中に入って扉を閉めた。
すると窓際の風紀委員長席に一人で座っていた二階堂が顔をあげた。
「紫樹、朝から呼び出して悪いな」
「ううん。呼ばれなくても来た自信しかないよ」
なにせ、なにせ、なにせ、王道転入生である。期待の星ではないか。二階堂はそんな僕を見ると、小さく二度頷いた。
「副会長とのキスイベントはあったんだよね?」
「ああ、ばっちりと目撃して、画像も撮っておいた」
「さすがすぎる。後で見せてね」
「勿論だ。俺達は腐レンドだからな」
「うん。それで? 食堂イベントもあったの?」
「――お前の前でいうのもなんだが、会長不在のイベントで少し残念だったが、きちんとあった。最初の時点で陥落した副会長が、他の役員をひきつれて、食堂へと来た。王道転入生の、夏埜苑春瀬(なつのぞのはるせ)は、その時、寮の同室者の一匹狼である、砺波悠雅(となみゆうが)を連れて食堂にいた。その部分はほぼパーフェクトだった。会長でなく、ここでも副会長がキスをし、会計と書記も言葉を交わし、双子はクルクルと回ってきちんと見分けられていた。勿論俺は、ひそやかに動画を撮影した。わざわざ一階席に座って、最高の角度から撮影した」
「さすがすぎるよ二階堂!」
僕は全力で拍手をしたくなったが、それは堪えた。内心で喝采を送っていた。
「ただ陥落した理由は、風紀委員としては、少し問題でな」
二階堂の声が、少し静かなものに変わった。僕は固唾をのむ。
「アンチ的な王道くんだったの?」
「まだそれは分からない。非王道なのか、本物の王道なのかも区別は難しい。とりあえず現在は理事長室であいさつ時に受け取った様子の変装を開始し、マリモ風のカツラの、分厚い牛乳瓶の底のような眼鏡を装着してはいるが、それでも陥落者は後を絶たない。だがその理由は性格などではない。まだ性格は不明で、俺も掴んでいない」
「何が理由なの?」
「王道転入生は、Ωなんだ。それも、特殊で非常に強力なフェロモンを持っている。先天的なものらしい。ヒート抑制剤の作用の一つのフェロモンを抑える効果も、服用してはいるようだが、ほとんど効果を発していない様子だ。俺も強力なラット抑制剤を服用しているが、それですら甘い匂いを嗅ぎとれた。ヒートが来たら、俺も少しは揺らいでしまうかもしれないと不安になったほどだ」
はぁと溜息をついてから、二階堂が腕を組んだ。
「生徒会役員は全員がαだったし、昨日食堂にいたαの大半も香りに飲まれて陥落したんだ。動機はフェロモンだ」
「な、なるほど……」
「王道転入生がアンチか否かはともかく、確実に親衛隊は荒れるし、そうでなくとも転入生自体の貞操も危ないと考えられる。学園が混乱するのは必然だろうな……」
「風紀委員会的には宜しくないけど、腐的には最高だね……」
「完全に同じ意見だ……」
二階堂はそれから、疲れたように書類を見た。
「既にいくつかの騒動は起きている。GWが怖いな」
「うん」
「俺達は見回りの他に、親衛隊の動向を探る事としよう」
「分かった」
「それと、実家の寺院関連で手に入れたかなり強力なラット抑制剤を俺は用いているから大丈夫だとは思うが、念のためバ会長にも注意を促してくれ」
「うん。恢斗にも伝えておくね」
こうして僕は、二階堂と暫く話してから、副会長のキス画像や、食堂での騒動の動画を見せてもらった。今後は大変かもしれないけれど、僕は生の王道転入生の姿を見て、思わず頬を紅潮させた。嬉しい。転入生の夏埜苑くんは、素顔は金髪碧眼の美形で、食堂では本当にマリモだった。最高すぎる。身長は低めだが、食堂で副会長を殴り飛ばしていたので、腕力はあると分かる。実際に目にする日が楽しみだと思いながら、僕はこの日、風紀委員会室を後にした。
そして寮に戻ると、恢斗も既に帰っていた。ただ珍しい事に沢山の書類がテーブルにある。恢斗は仕事を持ち帰らないので、珍しい。
「おかえり」
僕に気づいた恢斗に言われ、僕は頷いた。恢斗に注意を促さなければと思い出す。
「そうだ、恢斗。あのね、王ど……ええと、転入生が来たみたいんだんだけど」
切り出した僕に対して、片目だけを細くした恢斗が非常に嫌そうな顔をした。露骨に嫌悪が顔に出ている。
「ああ。夏埜苑だろ?」
「知ってるの? 生徒会にも通達が行っていたから?」
「いいや。うちの副会長をはじめとした俺以外の役員が、部外者立ち入り禁止が原則なのに、生徒会室に引っ張り込んでいたから知った。夏埜苑のせいで、というのかは分からないが、あいつのフェロモンが原因なのか、俺以外の全員が理性を飛ばしているかのように仕事を放棄していた。球技大会の仕事はほとんど終わっていたのが幸いだけどな、残作業は俺がやるしかないらしい」
辟易したような恢斗の声に、僕は目を丸くする。
「恢斗は夏埜苑くんのフェロモンは大丈夫そうなの?」
「宝灘のラット抑制剤の前では、あの程度の匂いは問題にならない。ただそうであっても、俺も久しぶりに紫樹以外から香りは感じた。が、紫樹の匂いになれている俺にとっては、どうという事もないし、既に運命のお前のうなじを噛んでいるから、仮に夏埜苑がヒートを起こしても、俺はそこまで影響を受けない」
確かに番になっている場合、αは他のΩのヒートに遭遇しても一定の抑制が出来るという話は聞いた事がある。僕は恢斗の言葉に、肩から力が抜けた。もしかしたら恢斗も、と、どこかで動揺や焦りがあったのかもしれない。ホッとしてしまった。
「生徒会室じゃ、仕事にならねぇ。だから持ち帰りたくは無かったが、落ち着くまで俺はここで仕事をする。悪いな」
「ううん。頑張って。僕に出来る事があったら言ってね」
「紫樹がいてくれると、それだけで心が休まる」
そんなやりとりをしてから、僕は紅茶を淹れる事にした。