釣り合うわけがなかった!




 僕は、兄曰く――王道学園に通っている。

 俺様生徒会長、王子様っぽい副会長、寡黙な書記、良い意味でチャラ男会計、双子の生徒会庶務がいる。しかし俺に接点はない。最近、編入生が来て、学園が大混乱しているが、違う学年・クラス(3B)で違う委員会(図書)で違う部活(料理)の僕に隙はなかった。

 僕は親衛隊にも入っていない。何でそんなに美味しい環境にいて何にもないんだよと、よく兄に責められるが仕方がない。僕の兄は、腐男子だ。そして僕の周囲には、同性同士の恋愛が溢れかえっている。

 勿論僕の好きな相手も男だ。

 僕の好きな相手は、放送部部長だ。新聞委員会の委員長も兼ねている。

 最近彼が忙しそうに、編入生を追いかけているため、ようやく僕も編入生が来たと知ったレベルだ。彼の報道は全てチェックしている。ちなみにあちらは僕のことを知らないだろう。僕の完全なる片思いだ。

 昼休みの放送でパーソナリティを務めている学園報道番組を見るだけで満足している。後一年もしないうちに卒業するから、会えなくなるのは寂しいが、僕も彼――相葉醒(あいばせい)も、持ち上がりで進学するから今後もすれ違うことくらいはあるだろう。あ、放送が始まった。

「はい! 今日の編入生速報のはじまりでーす」
「部長! それ違う。学園速報だから!」

 僕は吹き抜けの放送室前で、硝子越しに生で放送を見ながらお弁当を食べるのが日課だ。
 黒く染めている相葉の髪と、青いカラコン入りの猫のような瞳を一瞥しながら、箸を持つ。相葉と一緒にパーソナリティを務めているのは、次期部長の須藤だ。

「まーた、編入生の話題かよ。俺、おこだよ。もっと祐理先輩のニュースみたいのに」

 隣で、料理部の後輩である新形が呟いた。祐理というのは、茶道部部長のことで、新形が親衛隊長を努めている富永祐理だ。ちなみに僕と新形が毎回昼間にここにいる理由はきちんとある。我らが料理部は、昼の報道時に即席料理を披露しているのだ。勿論部長の坂田がお菓子を作ったりなんだりしているだけなので、一般的な部員の僕はただ眺めているだけである。

「白木先輩は、好きな人とかいないんすか? 親衛隊入ったりとか」

 新形が僕を見た。ちょっと砂糖を入れすぎたなと、厚焼き卵を食べながらふと思う。
 嫌だから目の前に好きな人はいるのだ。しかし僕は振られるのが嫌だ。

「いないなぁ」
「翠は、本当噂聞かないな」

 部長が僕を見た。白木翠(しらきすい)が僕の名前だ。実家は、可もなく不可もない中小企業――お弁当配送会社のシラキ。この金持ち学園では、貧乏な方かも知れない。

 たこさんウインナーを食べながら、僕は部長へと視線だけで振り返った。

「部長は、万里さんとどうなんだ?」
「……幸せだ」

 何よりである。思い出し幸せをしている風の部長を、僕は生暖かく見守った。
 高岡万里は、部長の恋人だ。弓道部の副部長である。
 それはそうと、僕は視線を戻した。

 するとバチンと、相葉と正面から視線があった。狼狽えてはならない。こういう事は時折ある。相葉はそれからニッと笑うと、こちらに手を振った。僕の周囲から黄色い声援があがる。

 僕は理由をきちんと作ってこの場にいるが、彼の親衛隊や一般の観覧生徒が大半だ。
 ――相葉は僕を見たわけではないのだ。会場を見回したのである。
 彼のファンは多い。相葉は何より、気さくだ。

 そんなことを考えている内に料理コーナーが始まり、部長が放送スペースへと歩いていった。今日も一日代わり映えはしないが、目と耳が幸せなので良いとしよう。

「――ということでぇ、今週もお付き合い頂きありでした! 週末は、みんなデートだとかデートだとかデートだとか楽しんじゃってよ! じゃ、終わりでーす、また!」

 放送が終わった。と、同時に相葉が立ち上がり、こちらに手を振る。

「付き合ってくれて有難うございました! また来週もよろしくな」

 わーっと歓声が上がる。
 しかしすごいテンションだ。相葉のテンションは高い。僕はどちらかと言えば低めで時にノリにノってしまうタイプなので、あまり合うとは言えないだろう。

 さて、昼休みも終わりだ。
 僕は食べ終えたお弁当をしまいながら、立ち上がった。午後は数学だ。だるい。

 この学園は、Sは文武両道スペシャルクラス、Aが特進クラス、Bが理数、Cが文系、Dが普通、Eが言葉は悪いが不良クラスだ。僕は理数系なのである。だが数学は嫌いだ。それ以上に古典が嫌いだっただけである。僕は勉強が得意ではない。

「料理部長ー!」

 その時ごく近い所で、相葉の声がした。
 見れば、僕の正面の作業台の所で後かたづけをしている部長に話しかけていた。

「週末お菓子作り手伝って」
「無理だ。万里と約束がある」
「えー。友情と愛情どっち取るのー?」
「愛情に決まってるだろ」

 部長はそう言ってから、僕と新形に振り返った。

「無理すよ。俺、週末は親衛隊でお茶会あるんで」

 新形が即答した。僕はその言葉を待ってから首を振る。

「僕はお菓子は作れないから無理」

 というか料理部で、実家はお弁当屋さんだが、僕はさほど料理も得意ではない。ただ部の取り決めで昼食にお弁当を作っているだけだ。

「料理部冷たすぎ!」
「あー、で、何でお菓子?」
「聞いてよ料理部長。哀ちゃんがお菓子食べたいらしいんだよー」

 哀ちゃんというのは、日堂哀、編入生だ。

「それで、プレゼントして、かぶをあげたい的な」
「動機が不純だ」

 部長と相葉がそんなやりとりをしているのを、僕は眺める。新形はさっさと帰ってしまった。僕も帰ろう。相葉の事は好きだが、だからこそ、緊張するためあまり近くで話したくはないのだ。見ているだけで十分だ。

 そしてそれとなく、立ち去るべく僕が一歩踏み出した時だった。ガシ、と手首を掴まれた。反射的に視線を向けると、僕の手を相葉が掴んでいた。

「白木君、お願い!」

 驚いたことに、相葉は僕の名前を知っていた。虚をつかれて息を飲むと、ずいと詰め寄られた。

「絶対作れるっしょ! お菓子は測量が命って言うし、白木くんその辺理数系だからばっちりでしょ!」
「いや、ずぼらだし」
「そんなこと無いって! そのぴしっとしたYシャツを見れば分かる! 俺には分かる! 本当お菓子なら何でも良いから!」
「ポテトチップスでも?」
「全然良い!」
「とりあえず離してくれ、相葉」
「い・や・だ! 言質を取るまでは!」

 手首から伝わってくる彼の体温に、僕の心臓が煩い。赤面しそうで困る。
 しかも僕のことを相葉が知っていたというのが地味に嬉しい。

「じゃ、白木君。明日二時に俺の部屋ね。俺楓寮だから、寮の前来てくれたら迎え行くからー、あ、連絡先教えてー!」
「あ、」
「料理部長に聞いとくわー! じゃねー! 授業授業」

 こうして怒濤の勢いで、僕の週末の予定は決まってしまった。
 呆然としている前で、相葉が授業へと向かっていく。すると部長が隣に立った。

「まぁ適当に付き合ってやってくれ。悪い奴じゃないんだ」
「まあ、うん」
「テンションは高いけどな。無理に合わせる必要もない」
「……分かった」

 しかし僕の心臓は、この週末の間、もつのだろうかと不安になった。


 翌日、一時半。
 少し早すぎるだろうかとも思ったが、僕は楓寮へと向かった。
 すると玄関に――……驚いたことに、初めて見る無表情の相葉の姿があった。

 俯き、柱に背を預けて、冷めた顔をしている。
 僕が硬直していると、不意に相葉が顔を上げた。視線があった瞬間、ゾクリとした。
 向こうも僕の来訪に息を飲んでいるのが分かる。

「あ、あー! 来てくれたんだ! 良かった! ありがとー!」

 そして相葉は、いつもの通りの明るい表情に変わった。
 正直安堵したのだが、先ほどの表情が気にかかる。あれだろうか。
 先ほどの静かな表情が……素? なんだか見ていて心配になってしまう。

「こっち、こっち! 本当ありがとーねー!」

 しかし変わらず相葉のテンションは高い。なんだか真正面を芸能人が歩いている気分だ。どうしよう、親衛隊に制裁されたら。いや、彼の親衛隊は皆明るいから大丈夫か……。

 通された部屋は四人部屋の僕の部屋とは大違いの、巨大な一人部屋だった。
 僕が足を踏み入れることは一生無いだろうと考えていた楓寮は、人気者に宛われた専用の寮である。

「エプロンこれでいいー?」
「あ、持ってきた」
「さすが料理部!」

 照れくさくなった。深呼吸しながら視線を彷徨わせる。部屋全体が、良い匂いがする。
 すごいなぁ。

「これで哀ちゃんに喜んでもらえるよー!」
「助けになるか分からないけど」
「白木君のポテチなら絶対美味しいって。俺、一人で完食しちゃうかも知れない!」
「いやいや」

 さすがは相葉、口が上手い。
 それにしてもと思いながら、僕はジャガイモを手に取った。
 やはり相葉は、編入生のことが好きなのだろうか。

「やっぱりお菓子ってポイント高いよねー」
「そうか? 編入生の好みは知らないけど、僕だったらフライドチキンでも持ってきてもらった方が嬉しいけどな」
「そういうもん? 俺さ、好きな人がいるんだけど」

 さらりと相葉が言った。動作を止めて視線を向ける。

「編入生?」
「や、料理部。ちょっと焦っちゃってさー。もう俺達一年もないから、一緒にいられる時間」

 と言うことは三年だ。今日も誘っていたし、部長か。部長は外部進学すると言っていたし。

「白木君は好きな人いる?」
「まぁ」
「え」
「何?」
「いるの?」

 相葉の声が少し低くなった。なんだか萎縮して、僕は顔を背けた。
 別に僕に好きな人がいようがいまいが、相葉には関係ないだろうに。
 あれか、まさか、あれか。

「はは、相葉の好きな人ってまさか僕?」

 勿論冗談で僕は聞いた。すぐに否定が返ってくるだろうと考えながら、無理に僕は笑った。

「うん」
「――……え?」
「そーだよー。何で分かったの?」
「え、え?」

 僕は焦ってジャガイモを取り落とした。危ないのでスライサーを台の端に寄せる。

「俺と付き合ってよー」

 思わず無言になって、僕はじっと相葉を見た。相葉はいつも通りに笑っている。
 いや、瞳は笑っていなかった。本気で言っている気がしてきて困る。

 どうせからかわれているのだろう。だが……ちょっと冗談でも良いから付き合ってみたいと思っている僕がいた。僕は、相葉のことが好きなのだ。しかし冗談だったら確実に傷つく。長く瞬きをしながら、僕は迷った。そして、決意した。冗談だったら、だよなーって言って笑えばいいのだ。駄目で元々。うん、そうだ。勇気を出そう。

「いいよ」
「……それ、ノリ?」
「相葉こそ」
「いや、俺は本気」
「信じられないけど……またどうして僕のことを? いつから僕のことを知ってたの? 僕のどこが良いんだ?」

 思わず矢継ぎ早に聞いていた。動揺を押し殺そうと、ジャガイモを再び手に取る。

「入学式から知ってたよ。隣の席だったじゃん」

 果たしてそうだっただろうか。その記憶は僕にはない。席順は成績順だった。

「それから、去年くらいから毎年昼に見に来てくれる所みつけて、気になりだした。顔見たくて、俺が図書館に通ってたの分かってた?」

 残念ながら、僕は委員会の作業時に、相葉を見た記憶がなかった。

「白木君こそ何で俺と付き合ってくれるのー?」
「それは」
「俺のこと、もしかして好き?」
「まぁ……」
「両思いじゃないかなって思ってた」
「へ?」
「よく目が合うから。って、自意識過剰だよなー! でも俺、ついつい白木君のこと見ちゃって」

 相葉が笑う。僕は油の準備をした。でんぷんの処理の工程だとかを緊張のあまりすっ飛ばした。相葉は幸い気づかない。どうしよう水もきるんだっけ、頭が真っ白になって忘れてしまった。

「翠って呼んで良い?」
「ああ」
「俺のことも醒って呼んで」

 駄目だ、このやりとりくすぐったい。僕は思わず目を伏せた。やはり信じられない。からかわれている気がしてならない。だが相葉はそんなことをするような性格ではないよね。そこは信じたい。

 それから作ったポテトチップスは激まずだった。


 二人で焦げたポテチを前に、ソファに座っている現在。
 無意味に隣に座っている。正面に座れば良かったと若干後悔中だ。

「抱きしめて良いー?」
「え」

 ギュッとその時腕を回されて、俺は思わず両手で顔を覆った。恥ずかしい。すごく恥ずかしい。照れるなと言う方が無理で、頬が火照ってくる。

「俺、ヤバイ幸せかも」
「……そっか」
「うん、そう。かもじゃなくて幸せだ。好きだよ、翠」

 名前を呼ばれた。奇妙な照れくささで僕は悶えそうになった。
 幸せなのは僕の方だ。
 しかし良いのだろうか。僕のような平々凡々な一般生徒が、こんな人気者の腕の中にいて。でも、だけど、うあ、嬉しい。

「続き、していい?」
「続き……っていうと?」
「チュウしたい。その先もしたい。もしかして俺展開早い?」
「早い」
「でも帰ってからやっぱり無しって考え直されるの怖いんだ」
「そんな」
「一回だけでも良いから、思い出にするから、ヤらせて」
「え」

 そのまま体重をかけられ、ソファの上に押し倒された。
 額がソファに激突した。痛みはなかったが衝撃に息が凍った時、下衣を降ろされた。
 背中に相葉の重みがして(醒とは恥ずかしくてまだ胸中でも呼べない)、肌がひんやりとする。身動きが、取れない。

「あ……」

 それからあっという間にローションで解され、挿入された。逆らう暇がなかった。
 繋がっている部分が熱い。
 じわりじわりとそこから甘い疼きが広がっていき、手で陰茎を握られると、すぐに反り返ってしまった。グチュグチュと音がする。それがまた恥ずかしい。だけど次第にそんなことが考えられないくらい、体が熱くなっていく。息苦しい。

「翠、エロ」
「あ、ああっ……フ……ん」
「動くよ」
「あああ!! や、アっ、ン――!」

 僕は思いっきり声を上げてしまった。反射的に片手をソファにつき、もう一方の手で口を塞ごうとした。すると両手の手首を掴まれ、後ろに引っ張られた。すると角度的に、体がおかしくなってしまう場所に、相葉の陰茎があたった。

 その後どうなったのかは分からないが、気がつくと僕は、ぐったりとソファに体を預けていた。相葉がシャワーから出てきたのはそれから少ししてのことである。

 いつもの通り笑っているのかと思ったら――……その瞳は冷たかった。

「思ったより良かったわ。俺達相性良いかも?」
「……うん」
「まぁ、でも」

 相葉が口角を持ち上げた。そこには、冷淡な笑みが浮かんでいた。
 初めて見る表情に、強い違和を覚える。嫌な予感がした。胸がざわつく。

「俺、チョロいん嫌いなんだよねー」
「……」
「翠チョロすぎ」
「……」
「俺さ、イメージ悪くなるから親衛隊に手、出したくないんだよねー。でも? 溜まるし? セフレ欲しかったんだよー、固定で口方そうな奴。翠なら丁度良いなって」
「……ようするにヤりたかったって事?」
「うん、そ。俺のこと好きなら良いでしょ?」
「……僕のこと好きだって言うのは嘘か」
「あたりまえでしょー。翠みたいな平凡興味ないし、釣り合うと思ってんのー?」
「……」
「何泣きそうになってんのー?」

 正直泣きそうだった。だけど。現実なんてこんなものかなと思う。
 確かに僕と相葉では釣り合わないだろう。胸は痛いが、すとんと来る。そう考えれば自然と笑みが浮かんできた。

「別に。僕も溜まるし、丁度良いよ」
「っ」
「相葉上手いし。他と比較できないから、よく分からないけど」
「――じゃ、セフレとしてよろしくねー。俺が呼び出したら来てよ?」
「約束は出来ない」
「コレ」

 僕の言葉に、相葉が携帯を取りだした。そこにはいつの間に取ったのか、僕の痴態が映っていた。もしも学園でコレが流れたら致命的だ。僕の通う学園では、下が緩いという評判が立てば、風紀委員でも仕事が追いつかないほど、後ろを狙われる。強姦被害に遭う可能性が一気にあがる。それくらいは僕だって知っている、学園の常識だ。

「勿論俺達の付き合いは内緒で。まぁいっても誰も信じないだろうし、俺は否定するけど」
「分かった」
「結構物わかり良いねー。そんなに俺のこと好きだった?」
「別に」

 心の中が冷たくなってくる。ただ……失恋したとは不思議と思わなかった。
 これで、相葉の側にいられるだなんて、この期に及んでまだ思った。
 多分僕は馬鹿だ。


 その日と翌日の日曜日は、散々相葉と体を重ね、僕は気怠くて月曜日は休んだ。
 こうして僕らの付き合いは始まった。




「あ、ハ……っ、うう」
「苦しいー?」
「や、あン」

 現在、人気のない第二放送室。後ろから貫かれ、僕は必死で声を抑えた。

「そこのボタン弄ったら、全校生徒に声、聞こえるねー」
「!」
「まぁ俺のことまでばれたら困るから、今日はスイッチ入れないけどー」

 泣きそうになった。僕は、あの日以来、完全に相葉に玩具扱いされている。
 相葉は酷いことばかり言うし、特別笑いもしない。
 だけど、そんな相葉を見ていても、違う一面を知ることが出来た気がしていちいち嬉しくなる僕がいた。

「何か最近、白木先輩雰囲気変わった?」

 僕が久しぶりに部室に行くと、新形にそんなことを言われた。
 ここのところ僕は、めっきり昼食時には放送スペースに行かなくなっていたし、お弁当を作っていないことを指摘されるのが嫌だったので、部室にも顔を出していなかったのだ。

「そう?」

 なにもないけど、と僕は続けた。
 今日の放課後は、ハンバーグを作ることになっている。
 僕はソースを作りながら曖昧に笑った。味見をしてみる。美味しい。

「おい、ソースついたぞ」

 部長の声が飛んできたので、口元をぬぐう。

「違う、逆だ」
「ん」
「ココ」

 そう言って部長が僕の唇に手を伸ばした時、部室の扉が開いた。
 入ってきたのは、カメラを持った相葉達だった。ハンバーグ作りは、放送部によって撮影される予定だったのだ。ふと思い出していると、相葉がこちらを見て目を細めた。口元にはいつも通りの笑みが浮かんでいるが、どこか怖い。

「うん、味は良いな」

 僕の唇を再度ぬぐってから、その指を部長が舐めた。

「何いちゃついてんの?」

 そこに、底冷えのする相葉の声が響いてきた。二人きりではないのに、こんな様子は珍しい。すると部長が、不意にニヤリと笑った。

「羨ましいか?」
「あたりまえー。とか言うわけ無いでしょ。料理部長頭わいたー?」
「ほう」

 そして僕を急に部長が抱きしめた。何事だ。

「……万里ちゃんに怒られるんじゃないー?」
「アイツは心が広いからな」
「……へぇ」
「白木、少し痩せたか?」
「……料理部長ー。離した方が良いと思うよー」
「どうして?」
「俺、キレるから」

 相葉の声に、部長が僕を離した。よく分からないでいると、新形に肩を叩かれた。

「もしかして、相葉先輩と何かあったんすか?」
「なにも」

 反射的に僕は答えた。ばれては困るのだ。相葉も、僕も。
 すると舌打ちが聞こえた。本当に何事かと思っていると、相葉が実に不機嫌そうな顔でこちらに歩み寄ってきた。そして僕の耳元に唇を寄せる。他人の目があるというのに。

「俺、自分のモノ触られるの嫌いなんだよねー」
「……別にそこまで僕に興味ないだろ」

 思わず言い返すと、短く相葉が息を飲んだ。何をそんなに驚いた顔をしているのだ。
 僕へのここ暫くの扱いを見ていれば分かる。僕は相葉のセフレだけど、相葉にとってそれは特別な意味を持たないだろう。相葉は体に絆されたりしないと思う。

「……そうでもないかもー?」
「?」
「待って。そっちは俺のこと好きなんだよね?」
「まぁ。でも別に、だからといってこれ以上どうこうなりたいって言うのもないから安心して良い」
「……っ」

 相葉はよく分からないな。
 そう考えていると、パンパンと部長が手を叩いた。

「お前ら意味深な密談を部室の中央でするな。聞こえそうで聞こえないのがもどかしいだろう」

「うっさいよ料理部長ー。今口説いてるんだからー」

 その時相葉がいつも通りの表情に戻った。口調も明るい。
 首を傾げつつも、僕はソース作りを再開した。




「あああああああ!! や、あぁあああああ!!」
「声大きすぎ」
「ひ、ぅああ、あ、あ、んぅ、うう、やぁああああ」

 ハンバーグ作りが終わった後。
 僕は相葉に呼び出されて、第二放送室へと着いていった。

 するといきなり椅子に縛り付けられて、バイブを突っ込まれたのだ。
 その上真正面にはビデオカメラがある。相葉はと言えば、放送用のスイッチに手をかけていた。

「映像と音声、どっち先に流して欲しい?」
「やめっ、ああああああ! あ、ああああ!!」

 振動がガクガクと骨を伝って全身に響いてくる。僕は泣き叫んだ。
 気持ち良くておかしくなってしまいそうだったが、残った理性が、スイッチを入れられたら困ると叫んでいた。

「なんで、こんな、うああ」
「イラっとしたから」
「ひ、ぅああ、やぁああ、なんで、なんで、ひああア」
「料理部長と仲良いよねー。だけど料理部長は恋人いるよー」
「あ、あっ……やぁああ」
「翠はさぁ、誰のモノー?」
「僕、は、あ、……恋人なんていな――!!!!!!」

 言いかけた時、バイブの振動が強くなった。そちらのリモコンを持って、相葉が歩み寄ってくる。非常に冷たい顔で、僕を見下ろしていた。

「付き合ってあげても良いけど?」
「やあああああああああああああああああ」
「ね、聞いてる?」

 僕の意識はそこで途切れた。
 目を覚ますと、僕は床の上に寝ていた。気怠い体をおずおずと起こすと、相葉が椅子に座って足を組んでいた。回転椅子が僕に向かってくるりと回る。

「随分気持ちよさそうだったねー。こういうの好きなのー?」
「……っく、あ……」

 否定しようと思ったのだが、声が掠れて上手く出ない。
 掛けられていたシャツを握りながら、僕は頭の痛みに何度か瞬きをした。

「所で俺の話、聞いてた?」
「話……?」
「……だからさ、その、付き合ってあげても――」

 相葉が何事か言いかけた時、放送室をノックする音が響いてきた。

「醒、いるか?」

 僕でも聞いたことのある生徒会長の声だった。

「大至急来て欲しいんだ。セフレと遊んでる場合か、馬鹿。哀が大変なんだよ!」
「あー……何? 何があったのー?」
「親衛隊と正面からやり合ってるんだ。撮ってくれ。放送部が一番公平なジャッジをするだろ」
「……風紀委員長はー?」
「アイツがいればそもそもこんな事態になってねぇよ。交換留学で今朝からいないんだよ!」
「……今こっちも取り込み中なんだよねー」

 扉越しの二人の会話に、僕は腕を組んだ。よく話しはみえないが、とりあえず何かあったのだろう。

「相葉、行った方が良い」
「は?」
「別に取り込んでないし」
「……いや、やっぱりすごい取り込んでるでしょ、コレ」
「?」
「俺さぁ、ちょっと自信なくて、翠の事試したんだよねー。今また自信消えそうなんだけどさー」
「え?」
「普通に俺も好きだから。セフレだとか思って無いし、俺そう言うの嫌い。寧ろ同意した翠にちょっと幻滅したー。ただそれも俺のことが好きだからだと思えば嬉しかったけど……なんか本当に俺の体目的なのー?」
「僕は違うけど……ええと?」
「だーかーらー」

 相葉が椅子を降りると、僕の前に膝をついた。そして不意に目を伏せ、唇を重ねてきた。驚いて目を見開くと、後頭部に手が回り、角度を変えてさらに強く貪られる。

「ン」
「とりあえず俺、確かに行かないとヤバイかもだから行くけどー……俺の部屋で待ってて」

 そう言うと相葉は出て行った。とりあえず混乱した状態で俺は残された。
 しかし一つ明瞭に分かっているのは、部屋に呼び出されたと言うことだ。
 制服を着直して、僕は緩慢に立ち上がった。

 今日はこれ以上するのは無理だ。だが部屋に呼び出されたというのは、そう言うことだと思う。セフレではないと相葉は言ったが、どうせ関係が始まった時と同じリップサービスという奴だろう。多分、冷静に考えると、僕の気持ちが離れそうだとでも思って、引き留めにかかったのだろう。くしくも相葉が言ったとおり、相葉と僕では釣り合わない。

 ただ、確かにセフレだなんて、本当は駄目だよなと思った。
 ここら辺で終わりにしておいた方が、お互いに良いのかも知れない。
 それは即ち僕達の関係の終わりだけど、まぁしかたないだろう。不覚にも泣けてきた。

 もしも僕が、相葉に釣り合うような人間だったら、こんな事は思わないのだろうか。
 どうすれば釣り合うのだろう?
 無理だと、諦めてしまうのは簡単だ。

 相葉は大手新聞社の代表取締役の息子で、随分と資産家だ。まず家が違う。こんな時代であっても、家柄というのは、この学園では重視されている。次ぎに容姿が違う。相葉は時折モデルまでやっている。僕は平凡中の平凡だ。良くも悪くもごく普通。努力した結果普通なので、これ以上良くも悪くもならない。

 その上性格。最近相葉は、本当は根暗かも知れないと思うが、僕の方がネガティブだろう。自信があったら、相葉みたいな言動をする人間などお断りしていると思う。それでも良いと思っている僕は、流されやすく推しに弱く情にほだされやすい人間じゃないのだろうか。よく言えば、優しいのだ。だが悪く言ってしまえば、駄目だ。それから能力が違う。

 僕はさして運動は得意じゃないし、勉強もめだっては出来ない。相葉はSクラス。どちらも万能だ。

 人間は中身だと言うが、僕に中身はない。だが努力するとすれば、中身を磨くしかないだろう。だが、中身って何だ? どうすれば相葉と釣り合うような中身になるんだろう。

「やっぱり、無理かな」

 一人呟いてから、僕は放送室を後にした。

 そして自分の部屋へと帰った。その日は結局相葉の部屋には行かなかったし、かといって相葉が僕に連絡を寄越すこともなかった。


 これで、いいのかもしれない。

 その日以来連絡が途切れた僕ら。
 たまに廊下ですれ違うが、目を合わせることもない。
 以前の通りだ。

 若干胸は痛いが、これが普通なのだと思う。
 たまに、本当に相葉が僕のことを好きだったら、とも思うが、僕はそこまで夢見がちにもなれない。


 それから数ヶ月が経った。
 僕はその間に料理部は辞めた。勉強を理由に帰宅部に入り直したのだ。

 すっぱり学園のことを忘れたくなったので、やはり外部の大学に進学することに決めたのだ。無事に推薦で決まった。だから今は、日々が過ぎるのを待っている。

 相葉と二人きりになったのは、文化祭の頃だった。

 空き教室で段ボールにガムテープを貼っていると、相葉が入ってきたのだ。
 驚いて視線を向けると、向こうも息を飲んでいた。

「……久しぶりー」

 相葉はそう言うと後ろ手に扉を閉めた。
 僕も手を止め、小さく頷く。

「ねぇ、翠ー、ずっと聞きたかったんだけどさー」
「何?」
「俺さぁ、重かった?」
「へ?」
「……なるべく軽くしてるつもりなんだけどねー。重いって言われるー」
「寧ろ軽かった」
「本当? じゃあなんであの日、部屋に来てくれなかったの?」
「疲れてたから」
「その後連絡くれなかったのはどうしてー?」
「そっちこそ」
「俺は振られたと思ったから」
「……僕は……」

 率直に言うならば。

「用がなかったから」
「……うん。そっか」
「別に、遠くから相葉のこと見て好きだなぁって思ってるのなんて、長いし。相葉から連絡がないんなら、まぁそれで良いかなって」
「え、本当に好き?」
「うん。だけど、だからといって、僕もよく考えたけどセフレって不健全だと思うから、またどうにかなりたいとは思わないけど」
「じゃあ今度こそ本当に付き合ってよ」
「いや、今更? さすがに信じられないよ。そんな事言っても、もう僕は――」
「もう試したりしない。俺、真剣だから」
「いやいやいや、僕と相葉じゃ釣り合わないし」
「……嫌味やめてもらえるー? 地味に胸を抉られるんだけどー。確かに言ったけどさ……」
「本当の事だし」

 僕は結局今でも中身を磨くことは出来ないでいる。

「俺、どうすればいい?」
「え?」
「どうしたら信じてもらえるー? どうしたらちゃんと好きだって伝わるー? 出来ることなら何でもするよー」
「なんだそれ」
「俺さ、おかしくなりそー」
「相葉?」
「だから、っ、好きなんだよ」

 相葉が叫ぶように言うと、僕を抱きしめた。あんまりにも強い力にポカンとしてしまう。
 そのまま首筋に、噛みつくようにキスをされた。チリリと痛みが走り、痕をつけられたことが分かる。この位置では、丸見えだ。僕は絆創膏など持っていない。

「信じてくれるまで、何もしないからさぁ、一緒にいてよー」
「相葉」
「醒って呼んでよ」
「ええと……」
「一緒に帰ろ。あ、本当、別に変なことしたりしないから」

 そう口にすると、相葉が僕の手を握った。俗に言う、恋人つなぎというものである。
 そのまま引っ張られるようにして、教室から出た。

「あ、相葉。手! 手、離――」
「なんで?」
「なんでって……いや、おかしいから。僕と相葉が手を繋いでるなんて」
「そ?」
「しかも鞄教室だし、玄関方向逆だし」
「いーんだよー。俺達の仲をアピるために校舎グルグルするだけだからー」
「は?」

 そうして俺は方々を、手を繋がれたまま連れ回された。
 周囲の視線が痛かった。皆が不審そうに僕らを見ている気がした。
 何度も唾液を飲み込みながら、僕は必死で顔を背け続けた。

 散々歩き回ったすえ、ようやく玄関へとたどり着いたのは鍵がかかる寸前だった。

「送ってくよー」
「いや、別に良い……」
「送らせてー」
「……」
「俺に送られるの嫌? なんか怖いんだけどー、そう思われてたら」
「別に嫌じゃない」

 それから僕は送ってもらった。



 そして翌日学園へ行って、さらに呆気にとられた。
 学園新聞の号外が出ていたのだが、そこに相葉と僕の写真が大々的に出ていて、熱愛発覚、と書いてあったのだ。僕は胃が痛くなった。何が熱愛だ。

 クラスメイトから、いつから付き合ってるの? だとか、なんて告白したの? とか、様々な声が響いてくる。完全に僕が告白した風に聞かれた。別に僕は告白したつもりはない……いや、したのかもしれないけど。そして付き合っているわけでもない。困っていると、教室の扉が開いた。

「おはよー、翠」
「相葉……」
「固い固い固いってー。いつも醒で良いって言ってるじゃん」

 いつも? いつだ? 正直動揺していると、歩み寄ってきた相葉に抱きしめられた。公衆の面前で。そして小声で呟かれた。

「俺、外堀から埋めることにしたわ」
「な……」
「もう重くてもいいし。吹っ切れた。やっぱ好きだわー」

 ぎゅーぎゅー抱きしめられた上に、そんなことを言われたものだから、赤面するなと言う方が無理だった。体を重ねるより余程恥ずかしかった。


 そこから、俺と相葉の恋人関係(?)は始まった。