【5】宰相閣下からの手紙




「クロス侯爵家――宰相閣下から手紙が届いているよ」

 食卓へとついた時、朝の挨拶が終わってすぐに、叔父が俺に言った。本日、母の姿は無い。朝から茶会に招かれて出かけているとの事だった。レノンは乳母のもとに座っている。本日も愛くるしい――と、現実逃避のために異父弟の天使のような外見を見て聞かなかった事にしようとしたが、俺は失敗した。

 宰相閣下から、手紙、だと?
 まさかの休日出勤の要請か? いいや、それならば、国王陛下が直接伝令を寄越すはずであるし、過去に宰相閣下から仕事の手紙が届いた記憶は無い。

「俺宛ですか?」

 侯爵家から侯爵家への、当主同士の挨拶文であるならば、叔父宛に届くはずだ。念のため俺が確認すると、微笑した叔父は頷いてから、俺に一通の手紙を差し出した。使用人が一度受け取り、俺の元へと運んできてくれた。

 手に取って確認すると、封蝋には確かにクロス侯爵家の家紋が印されていた。宰相閣下の蝋印とは異なるから、やはり侯爵家からの手紙のようだが、だとすれば尚更俺に届いた理由が不明だ。何せ現在のレンドリアバーツ侯爵は叔父である。

 使用人が渡してくれたナイフで開封し、俺は中に入っていた羊皮紙を取り出した。最近この国では、魔術製紙が盛んであるから、あまり羊皮紙は見かけないのだが、正式な場合に限っては今も高位貴族は羊皮紙を用いる事が多い――という知識が俺にはある。

「食事がしたい……?」

 挨拶文をすっとばして、俺は用件らしい部分を口に出してみた。季節が云々といった決まり文句のチョイスも洒落ていたが、俺が知りたいのは用件だったので、読み飛ばしてしまった。

「どうして俺と……? 義父上の方が良いのでは?」
「食事のお招きだったのかね?」
「はい」
「クロス侯爵家からのお招きを断るわけにはいかないね。いつをご希望なんだい?」
「今日か明日って書いてあります」
「日時未定なのかな? それは……少し変わった形式だね。一般的にそれは、普通の交友関係上で気軽に食事をしたいという意味合いではないのかね?」
「親しくないですし」
「え」
「え?」
「えっ……え?」

 首を傾げた俺を見て、叔父が目を見開いた。口もポカンと開けている。そして俺をじっくりと見ると、滝のように汗をかき始めた。

「し、親しいんじゃないのかい?」
「いえ?」

 昨日ファーストキスを奪われたわけであるが、親しい記憶はない。そもそも職場が同じだけで、宰相閣下など雲の上の人物である。

「てっきり……私は、リュクスが宰相閣下と、その……」
「へ?」
「宮廷中の噂で……え? え!? え!? プロポーズされたのでは無かったのかい?」
「ああ、まぁ、何度か冗談で」
「冗談!? では、リュクスにはその気は微塵もないのかい!?」
「何がですか?」

 話が見えず、俺がゆっくりと首を捻ると、叔父が真っ青になった。

「……今からでも、爵位はリュクスに継承願いを出すべきかな……」
「はい?」
「……てっきり結婚するから家を継ぐのに乗り気でないのだとばかり……うわぁ……いいや、違うな。国王陛下が私を推したのは、宰相閣下の応援をしているからに違いない」
「何のお話ですか?」
「――可愛い甥っ子……今では義理とはいえ最愛の息子を、私はうっかり悪魔に差し出す所だったと気づいたという話だよ」
「さっぱり意味が分からないんですが」
「とにかく私にも急用が出来た。この後出かけてくる。宰相閣下に関しては……そ、その、ほ、本気で微塵も欠片も何の気もないなら、無視して良い。断り文は私が責任をもって用意する! た、ただ、ただね? 少しでも気になる部分があるのならば、行ってみるように」

 そう言うと、ガタリと立ち上がり、朝食にはほとんど手をつけずに叔父は食堂から出て行ってしまった。残された俺は、手紙をしまってからスープを飲む事に決めた。

 しかし……気になる部分、か。そりゃあ……ファーストキス!
 あれは俺に昨夜、睡眠不足をもたらしたほどに気になる。

「……」

 なんであんな事をしたのか、直接聞いてみるというのは良いだろうか? それともキスしてしまった相手と食事をするなんて気まずいだろうか?

 いいや。悶々と悩んでいるよりは、聞いてすっきりしてしまった方が、建設的だろう。そう考えて、俺はフェルナードを見た。

「午後、クロス侯爵家へと出かける事にするから、先方に連絡を。義父上にもそのように」
「畏まりました」

 無表情でフェルナードは頷いた。本当に一切、表情は変わらない。だが、俺のもとに歩み寄ってきたフェルナードは、珍しくその場で動きを止め、じっと俺を見た。

「どうかしたか?」
「……いいえ」

 何か言いたそうに見えたが、フェルナードが何かを言う事は、いつもの通り特に無かった。食後は、俺は外出準備の傍ら、竜族語の文献をずっと読んでいた。そして宰相閣下から何時に来ても良いという返事があったと報告を受けたので、お茶の時間に伺う事に決定した。

 馬車に揺られながら、俺は窓の外を見る。既に夏が終わりつつある。夜は寒いほどだ。それでも日中はまだまだ暑い。手土産は、無難にチョコレートの詰め合わせを購入した。最近、国交が樹立したミナリスタ王国の名産品らしく、この王都でも人気の品だ。

 到着したクロス侯爵家は、立派な佇まいをしていて、多くの使用人達が俺を出迎えてくれた。宰相閣下は、自室で仕事をしているとの事で、俺は応接間兼執務室だという二階の一室へと案内された。ノックをして扉を開けると、宰相閣下が書類仕事をしている最中だった。

「すまない、すぐに終わらせる」
「いえいえ、ごゆっくり」
「――終わらせる。というよりも、終わらせている予定だった」
「出直しますか?」
「絶対に帰らないでくれ、こんなチャンス、二度と無いかもしれないからな」

 いざ話してみると、ファーストキスの衝撃は特になく、宰相閣下は非常にいつも通りに思えた。