【11】心の準備時間(☆)




「リュクス」

 宰相閣下は一度俺から腕を離すと、右手で俺の顎を持ち上げた。見上げる形になった俺は、紫闇色の宰相閣下の瞳を見て、思わず唾液を嚥下する。見ていると、どんどん端正な形の唇が近づいてくる。俺は、何故なのか動けなかった。近づいてきた唇が、触れてしまいそうなほどの距離で止まる。

「キスをしても良いか?」
「ダメ――っ、ぁ」

 ダメだと言おうとした。雰囲気に完全にのまれかけていたが、それでもダメだと言おうと思った。だが、次の瞬間にはキスされていた……。聞いた意味、全くないじゃないか!

 お茶会の時にも思ったが、思いのほか柔らかな宰相閣下の唇が、長い間、俺の口に触れていた。それが……困った事に、嫌ではない。別に困る事は、無いのかもしれないが。なにせ現在の俺達は、婚約者なのだからな……。

「ッ……」

 宰相閣下の舌が、俺の口腔に忍び込んできた。酸素を求めて口を開いた俺が悪いのか、強引な宰相閣下が悪いのかは不明だ。片腕で俺の腰を強く抱き寄せながら、宰相閣下はどんどん口づけを深くしていく。

 舌を舌で絡め取られ、どんどん追い詰められていく。気づくと俺の体からは力が抜けていた。思わず両手で宰相閣下の胸元の服にしがみつく。ようやく唇が離れた時、俺は肩で息をしていた。

「大丈夫か?」
「刺激が強すぎる! ダメって言おうとした!」
「言われる前にキスをしたんだ。断られる前にな」

 宰相閣下は横暴だ……。
 俺は抗議しようと彼を睨もうと思ったのだが、怒りではなく羞恥から真っ赤になってしまい、唇も震えるだけでうまく言葉が出てこない。

「もっとリュクスが欲しい――」
「ダメだ!」
「――から、貰う」

 今度は間髪入れずに俺は拒否したというのに、宰相閣下の言葉は途切れなかった。

「俺は、自分の望みは叶えて生きてきた。その俺が、今どうしようもなく欲しているのは、ただお前の事のみだ」
「え」
「欲しいものは手に入れる。それが俺だ」
「俺の気持ちは!? 心の準備がまだ出来てない!」
「――? 俺が欲しいのはお前の気持ちという意味だったが、心の準備?」

 その時、宰相閣下が小さく吹き出した。そして俺の事を再び抱きしめた。

「当然体も欲しいが、今すぐ寄越せと言ったつもりは無かった。しかし心の準備をしてくれているというのであれば、いくらでも待とう」

 宰相閣下、紛らわしすぎる! 俺は再び真っ赤になった。俺の純情を返せという気分だ。この流れだったら当然、寝台にいってもっと欲しいといった意味合いだと誰だって思うと俺は断言したい!

「いつ準備は終わる?」
「そんなの不明だ……バカ……宰相閣下のバカ……!」
「俺はあまり暗愚だとは言われない人生を送ってきたが?」
「俺の純情を弄んでいる!」
「それは否定しない」
「してくれ!」

 今度こそ俺が睨むと、宰相閣下が楽しそうに笑った。それから今度は両手で俺の頬を挟んだ。そして俺を覗き込むと、再び真剣な面持ちになった。

「あんまりにも可愛い事を言っていると、本当に押し倒すぞ?」
「!」
「これでも自制しているんだ」
「……三十分くらい」
「ん?」
「三十分くらいあったら、心の準備が今より出来るはずだ!」
「――何だって?」

 俺の言葉に、宰相閣下が虚を突かれたような顔をした。それを見て、俺は気をよくした。

「というのは冗談だ。俺も、やり返す事を覚えた。イルゼを驚かせる事に成功した」
「――、……三十分くらい、か」
「ん? あ、冗談だか――!」

 だから、と言おうとした時、再び唇を塞がれた。

「冗談だとは言わせない。煽ったお前が完全に悪い。驚くというより、俺の自制心が切れた。来い」

 宰相閣下はそう言うと、俺の手首を強引に引っ張って、寝台の上に軽く突き飛ばすようにした。

「うわ!」

 慌てて手をついた俺を、宰相閣下が押し倒した。

「心の準備が整うまでの間、じっくり体を昂めてやる」
「え……え!?」

 宰相閣下が俺のガウンの紐を解いた。唖然としている内に、どんどん俺は服を乱されていった。狼狽えた俺は、宰相閣下を見上げているしか出来ない。

「イルゼ……あ、あの……ン」

 ガチガチに緊張してきた俺は、何か言うべく口を開こうとした。しかし直後、鎖骨の少し上に口づけられて、思わず息を詰めた。ツキンと甘く疼いて、その箇所にキスマークをつけられたのが分かる。

「あ!」

 その時、右手で優しく陰茎を握りこまれた。俺が声を上げると、宰相閣下が喉で笑う。そして緩やかに扱かれた。初めて他者から与えられる感覚に、俺は目を見開く。

「ま、待ってくれ」
「三十分くらいは待とう」
「待ってない、手が動いてる!」
「お前に触れているだけで我慢するという意味だ」
「え!?」

 俺にとってはこの未知の刺激は、既に行為の開始に等しい。これが、心の準備時間に含まれるとは、到底思えない。

 宰相閣下は長い指先で俺の筋をなぞると、今度はカリ首を刺激した。そうされるだけで、すぐに俺の体は反応を見せた。ゾクゾクと背筋に快楽が這い上がってくる。

「ぁ」

 その状態で、左胸の突起に吸い付かれた。唇で乳頭を挟まれて、チロチロと刺激されると、胸への刺激と陰茎への快楽が直結した気がした。

「ァ……ぁ、ッ……ん」

 すぐに俺のものはガチガチに固くなり、出してしまいたい感覚に陥る。
 宰相閣下は口を離すと、舌で俺の肌を舐めてから、今度は両手を俺の陰茎に添えた。
 そして口に俺の肉茎を含む。

「!」

 こうして宰相閣下が、俺のものを口淫し始めた。ねっとりと舐めあげては、舌で鈴口を時折強めに刺激する。そうされると、どんどん俺の体が熱を帯びていった。

「あ、ア!」

 このままでは出てしまう。そう思った時、宰相閣下が片手を寝台のそばの机に伸ばした。そして香水瓶のようなものを手繰り寄せた。半泣きで俺はそれを見ていた。蓋を開けた宰相閣下は、中から液体を指にまぶす。俺はそこで初めて、それが香油だと気がついた。

「残り二十分を切っているからな。どこまで慣らせるか」
「!」

 宰相閣下が口を離すと、少し意地悪く見える笑みを浮かべた。そうして俺の中へとぬめる指を一本挿入したのだった。