【十六】始祖王について色々と学んで聖なる剣を手に入れる。
遺跡の視察、当日になった。
王都から少し離れた谷の洞窟の奥に、地下へと通じる遺跡の扉があった。
石の扉を横にずらして開けると、中からは魔術の光が漏れてくる。
壁には、永遠に燃え続ける蝋燭が点々と並んでいた。
ところどころ砂になってはこぼれていく石段を降りながら、確かに非常に古い遺跡だろうと俺は判断していた。始祖王は一応王家の始祖とされるので、墓を発掘する際には、王宮の者の立ち合いが必要となる。今回は現王族の立会が俺、国政関係者の代表として立ち会うのが宰相のユーリスである。俺の左をユーリスが歩いていて、右にはラクラスがいる。ラクラスは大抵俺の右側を歩く。なお、少し後ろを下りてくるのは、いつも通り、近衛のライネルだ。
まず、半地下の何もない部屋に降りた。構造は聞いていた。
この部屋の壁には、神話が古代文字で刻まれていて、壁画があるのだ。
そちらの写と翻訳文は既に受け取っていたから、ざっと確認する。
内容はガイルに聞いたものとほぼ同じだったが、確かにラクラスの魔力の気配がした。
「これは、ラクラスが魔術で刻んだのか?」
「そうだ。これは俺の仕事だった」
珍しく素直に答えてもらったので、頷きながら他の壁を見た。
神話以外の事柄も教えてくれるかも知れないと思ったのだ。
「――!」
そこで俺は、思わず背中に手を当てた。壁に、俺の背中に刻まれているものと同じ、不可視魔法円が描かれていたからである。ハロルドに存在を指摘されて以来、俺は何度か自分の体を確認して、これを模写していた。
「ラクラス、この魔法円はなんだ?」
「もう『今』のお前には無関係の代物だ。気にするな、忘れろ」
「ラクラス、教えてくれ」
「話すつもりはない」
少しだけ不機嫌そうになり、ラクラスが顔を背けた。
俺が思わず眉間に皺を刻んだ時――俺の左から、一歩前にユーリスが出た。
そしてくだんの壁に刻まれた魔法円を見上げた。
「これは、【転換の刻印円】ですね」
ユーリスの言葉に、俺は視線を向けた。隣ではラクラスが興味がないといった顔で目を伏せている。
「それはなんだ?」
「始祖王の召喚獣三匹の主人の体には、召喚した場所に刻んであった魔法円が自動的に刻印されるんです。始祖王自らが作った魔法円を、用いた代償とでもいうのでしょうか。あるいは始祖王なりに、自分の召喚獣を守ろうという意志から作った仕掛けの可能性もありますが――この転換の刻印円が体にある者は、条件を満たさなくとも、【心臓の転換】が可能になるようです」
「どういう事だ? 人体に害はないと聞いたが。そもそも、条件とは何なんだ?」
「実子の中の直系の長子――これが、条件です。それ以外の子供には、心臓の転換は不可能だと言われています。例外が、三名ということです」
「自分の心臓を我が子の心臓に入れて、生きながらえているんだったか?」
「そうらしいですね。心臓が転換された瞬間から、新しい体に、完全に精神が引き継がれるそうですよ」
「ただの神話ではないのか?」
「俺の口からはなんとも――全てをご存知だろうラクラスに聞いた方が良いのでは?」
「……ここは、墓なんだろう?」
「そのようですね」
「既に死んでいるんじゃないのか?」
「埋まっているのは、古い体かもしれませんね。国内には始祖王の墓地が沢山ありますから」
そういって薄くユーリスが笑ったので、俺は目を細くした。あきらかに怖い話をして、俺を怖がらせようとしている風に見えたのだ。ラクラスを一瞥するが、退屈そうな顔をしているだけで、何も言わない。ではライネルはどうだろうかと思って振り返れば、こちらもいつも通りで、ユーリスの話に驚いたような素振りもなかった。なんだか俺だけが蚊帳の外に近いほど無知だと感じさせられた。
続いて、壁の横の扉から、さらに地下へと進む階段を下りた。
こちらには明かりがなかったから、ランプに火をつけて進んだ。
少しジメジメしていて、コケの匂いがした。
地下水脈に近いのかも知れない。
階段を下りきり、今度は横に長い通路を進んだ。
途中で、立ち入り禁止の札を見た。ガイル達が立てたと言っていたもので、理由は、その正面の壁に、王家の紋章である双頭の鷲が描かかれていたからである。あれがある場所には、王族が伴わなければ、絶対に立ち入ってはならないとされている。今回は俺がいるため、別段その札を気にとめる者はいないままで、先に進んだ。紋章が描かれた壁に突き当たった時、右に伸びる通路があった。今度はそちらに進む。その後、大きな部屋に辿り着いた。壁全体に黒曜石が散りばめられた、漆黒の部屋だった。だが内部には、巨大な木の根が入り込んでいて、それが部屋を支えているようにすら見えた。古い遺跡には、よくこういう事がある――そう思ったのは、最初だけだった。
その木の根が、ドクンドクンと脈打っているのを見てとり、俺は即座に、この木が召喚獣であると気づいた。どういうことだと悩みながら周囲を見渡して、そして目を疑った。木の根に拘束されている、人型の召喚獣の姿があったからだ。
「ユーピルテ!?」
兄が行方不明になったと語っていた、兄の召還獣である。
「っ、は」
苦しそうに呼吸しているのは、木の根本に絡まっているからだ。
俺はラクラスへと視線を向けた。すると面倒くさそうな顔をしながら、ラクラスは右手を持ち上げて、軽く手首をひねった。結果、轟音がして、各地で木の根が爆発して飛び散った。そのおかげで解放されたユーピルテは、床に落下し、ぐったりと倒れ込んだ。
俺は慌てて駆け寄った。ユーリスも同じである。
「大丈夫か?」
「は、い……ありがとうございます……僕、もうダメかと……」
「ここで何を? というか、どうして捕まっていたんだ? 今の木は?」
思わず矢継ぎ早に聞いた俺の隣で、ユーリスはユーピルテを抱き起こして、水を飲ませている。こういう気遣いを考えると、ユーリスは根が優しいようにも思えてくるから不思議だ。なぜその優しさを、コイツは俺には発揮出来ないのだろうか。
「僕、僕……【心臓の転換】で、ウィズ様が死んでしまうのが嫌で――不死の始祖王を唯一殺せるという【新月黒曜の聖剣】を手に入れようとしてここへ来たんです」
その言葉に、俺は思わずラクラスを見た。ラクラスもまた気だるげな瞳で俺を見返してきた。ラクラスの背にある、神聖な空気をまとっている剣を見る。
「だけど、剣はどこにもなくて、誰かが先に持っていったみたいで――そうしたら始祖王の召喚獣の一体に見つかって、拘束されていたんです。そして逆に、剣の在り処を言えと言われて。今、ラクラス様が倒してくださった木の根がそれです。助けてくれてありがとうございます」
俺は助かったのだから良かったなと思いながら、その声を聞いていた。
そして直後、耳を疑った。
「魔族の王であるラクラス様が、敵対する人間の国を統べる我が主の命を間接的にとはいえ、お助け下さるなんて。全召喚獣の代わりに御礼を」
――ラクラスが、魔族の王? どういう事だ?
俺は思わずラクラスを見た。しかしラクラスは何も言わない。
すると、俺の困惑を見越したように――近衛のライネルが口を開いた。
「召喚獣と魔族は、本質的には同一なんです」
「え?」
「理性の有無で分けられます。召喚獣は理性があり、魔族にはそれがない。そこで、力ある召喚獣が、王として理性なき魔族を統率しているんです」
「……それがラクラスなのか?」
「ええ。よって、ラクラス様が召喚円にて喚び出されて現世に顕在していれば、魔族は活性化します。同時に、召喚獣もまた、活性化します」
魔族が活性化しているという話を改めて思い出した。
考えてみると確かに、ラクラスがそばにいる時にその話は多く聞いた。
「ただしここ数年の大規模な襲来、あれらは、魔族を召喚獣として、戦力として、従えた人間の行いです。その者にとっては、真の王であり魔族を鎮められるラクラス様――魔族の王は邪魔であり、それを従えているフェル殿下は、非常に目障りなのでしょう。フェル殿下は、危険なお立場です」
「いったい誰が魔族を召喚して俺達を襲おうとしているんだ?」
「――その件はもうかたがついたと聞いています」
「なに?」
「帝国の前皇帝が主犯でした。魔族を呼び出しけしかけて、戦争の火種を作って国土を広げていたのです。その過程で、それを気づかれたり阻止されるとまずいため、フェル様のもとにも魔族をけしかけていたのでしょう。王都への最初の襲来時は、他の国同様、この国を手中に収めるつもりでけしかけてきたのでしょうが――既に前皇帝は没しています」
「……ハロルドのクーデターだったな」
「ええ。エクエスの話によると、フェル様が狙われた一件で、父であった皇帝の行いに確信を得て、ハロルド現皇帝陛下がクーデターを決意なさったと聞いております。今後フェル様が狙われる事など絶対に許容出来ないと、熱くご決意なさっていたと伺っています」
「そうだったのか……」
俺の知らないところで、そんな事があったのかと驚きつつ、ハロルドが俺を思って動いてくれた事に胸が熱くなった。こんな理由も、クーデターの裏側にはあったのか。そこまで考えて――俺は改めてライネルを見た。
「エクエスの話によると……? エクエスと話せるのか?」
「ええ」
「どうやってだ?」
「始祖王の召喚獣同士にはネットワークが存在します。それもまた、主人の不可視魔法円を経由するため、この魔法円には様々な用途が存在します。私もそれを利用して、エクエスやラクラスと緊急時には連絡を取ることが可能なんです」
「――私も? まるで、それじゃあ、ライネルは――……」
「私は、始祖王の二番目の召喚獣でした。現在は、人間のフリをしています。現在の主の命令により」
驚いて、俺は目を見開いた。短く息を呑む。
ライネルがその時、抑えていた気配を開放した。
辺りには強い力が溢れる。
「ライネル、お前の主人は誰だ?」
「今も、そして『昔』も、私が守るべきお方はフェル様のみです」
「……」
「そしてお守りすることを私に命じ、お守りしたいと私同様強く想っているのが主人です。これ以上は、お伝えできません。申し訳ありません」
頭を下げたライネルに、俺は小さく首を振った。
こんなに饒舌に語る彼を見たのは、初めてだった。
その時、見守っていたユーリスが、腕を組んで壁を見上げた。
俺もつられてみると、そこには巨大な時計が刻まれていた。
正確には魔法円なのだが、時計にしか見えない。
「ここが、心臓の転換を行う秘密の間みたいですね」
視線に気付いた様子で、ユーリスが一度俺を見てそう言ってから、再び壁に視線を戻した。俺も壁をまじまじと見る。
「横の古代文字には、『三番目の召喚獣による時空魔術において、新鮮な肉体の時を止め、心臓を止め、始祖王の心臓もまた止めて、その止まった状態で心臓を転換し、【生命の引き継ぎ】か完了となる』と書いてありますね」
「三番目の召喚獣――ラクラスか。ラクラス、お前は心臓の転換になにか関わっているのか?」
「答える気はない。そこのいけ好かない宰相にでも聞け」
「ではお言葉に甘えて。率直に言って、ラクラスの魔術がなければ、心臓の転換は行えないようですよ。ラクラスが双方の心臓の時を止めてその一瞬で新しい体に適応できるよう魔力を調整しなければ、不適合で心臓がうまく動かず、死に至るようです。また、心臓付近のみ細胞の成長老化にも、時空魔術で関与していると、この古代文字からは読み取れます。こんな事は言いたくありませんが、ラクラスがこれまでに、心臓の転換を手伝ってこられたとしか思えませんね、この記述からだと」
ユーリスの声に、俺は眉を顰めた。
だが、それが真実だとしても、俺にはラクラスを糾弾出来ない。
ラクラスにはラクラスなりの理由があっただろうし、命じていたのが最初の主人ならば、なにか特別な約束だってあるかもしれないのだ。
「とすると、ユーピルテが守りたいウィズ第一王子殿下の心臓ですが――……この記載通りに行くならば、ラクラス様が転換に関わるという事です。ユーピルテはお礼を言っている場合なのか、俺には分からないなぁ」
「っ、ユーリス様! 僕はそれは大丈夫だと思います!」
「根拠は?」
必死に声を上げたユーピルテを、腕を組んだままユーリスが一瞥した。
「僕がここに来る前に、聖剣を持っていった先客は、ラクラス様だからです。だって、僕が手に入れようと考えていた聖剣を、今背中に背負ってらっしゃいます。その剣の用途は、始祖王を殺す事だけです!」
「――これを始祖王自身が手に入れれば、もう他の誰もが、始祖王を殺められなくなるということで、回収を命じられた可能性もあるんじゃない?」
「ありえません! だって魔族の王は、一度不死の始祖王を殺して、呪いを受けたんですよ!? 僕はそれを見ていました。その時始祖王に、次にこの剣を手にする時は、お前を殺す時だと言っていました!」
「ユーピルテは人型を取れるだけあって、長生きの高位の召喚獣だと改めて思いましたよ――俺もそんな過去は知らなかった」
ユーリスがそう言って、ラクラスを見た。ラクラスは何も言わない。
俺はふと思い立って、ユーピルテに尋ねた。
「不死の始祖王を殺す、これは心臓の転換を阻止して二度と出来ないようにすればよいのだろうと思うし、聖剣を用いるという事でいいんだな?」
「はい!」
「では――呪いとはなんだ?」
「存在が蝕まれる事だと聞いています」
「存在が蝕まれる?」
「分かりやすく言うならば、人々の記憶から消えてしまうんです。人間だったら、最初からいなかった事になってしまうと思います。ラクラス様クラスの召喚獣であれば、その時点までの思い出や軌跡を自分以外がみんな忘れてしまうくらいで済みますし、新しくまた思い出を作れば、それは周囲の心に残ると思いますが、人間にはとても太刀打ち出来ないと思います。運命の抹消です」
俺は静かに頷いた。自分の存在を皆が忘れるというのはどういう気分なのだろう。
ラクラスを一瞥すると、グイと手を引かれて抱きしめられた。
「俺は、お前に覚えられていればそれでいいし、仮にお前が俺を忘れたら、その時には新しい思い出をお前と作る。俺は、お前のそばにいる」
耳元でそう囁かれ、俺は微苦笑した。
「そうか。仮にそんな日が来たら、忘れない努力をするし、忘れたとしても何度でも、俺はお前を喚び出す努力をするだろう」
そこへ咳払いが聞こえた。ユーリスだった。
「それで、くだんの【新月黒曜の聖剣】ですが、それは、今ラクラスが持っている品で良いんですね?」
ラクラスの代わりに、大きくユーピルテが頷き、ライネルもまた静かに同意した。
「ラクラスは、味方でいいんですよね? 愚問でしょうが」
「味方? フェルに限ってならば、そう呼ばれて悪い気はしない」
「――その聖剣で、始祖王を葬るおつもりですか?」
ユーリスの声に、ラクラスが目を細くした。
「フェルに害なすようならば、俺はどこの誰であっても排除をするつもりだ」
その言葉を聞いて、俺は父上の顔を思い出していた。
ユーピルテの言葉を聞く限り、兄上の心臓が狙われていて、ここまでの話からするに、始祖王は父上である。というか、父上の心臓は始祖王から代々受け継がれてきたものであり、今度は始祖王は、兄の体を乗っ取ろうとしているという事なのだと思う。
父上は非常に良い国王だ。だから、どうしても俺には、父上が始祖王だという実感はないし、俺の中での始祖王はやはり神話の存在だ。だが……仮に事実ならば、俺は、兄に死んで欲しくない。ならば父は死んでも良いのかといえば、それにも答えは出せない。
ラクラスの持つ聖剣を一瞥した。
始祖王の狙いは兄のはずだが、心臓の転換は、俺とハロルドと、聞けなかったがライネルの主人にも可能であるはずだ。だから、仮に始祖王が俺の心臓を狙った場合、それを排除するというのが、ラクラスの想定なのだろうと思う。そして俺は死にたくない。ならば防衛策として、俺はその剣を手に入れておきたい。ラクラスに預けておくのではなく、自分の手で持ちたい。
そんな事を考えていると、ラクラスと目が合った。
「フェル――もしもお前がこの剣を必要としているなら……」
「ああ」
「欲しいならやる」
響いた声に、俺は短く息を呑んだ。
こんな風に力がある剣を受け取れば、どう考えてもドロップアウトから遠のくように思ったのだ。だが、命には代えられない。
「貰っておく」
すると頷いて、ラクラスが俺に剣を渡した。そしてユーリスを見た。
「これならばお前も文句が無いだろう?」
「ええ。フェル様は魔族や始祖王側の人間ではあり得ないですからね」
二人の声を聞きつつ――俺は一つの重大な事柄を思い出していた。
来年、俺は二十歳になる。
前世で、父が病床に伏した年だ。これまでは薬を作って、崩御を止める事ばかり考えてきたのだが、もしも父が始祖王ならば、病気のまま見殺しにすれば、一つの騒動が収まるのではないのか? まず最初にそう考えた。続いて、逆に病気になったからこそ、父が新しい体を求めるのかもしれないと思った。その方がしっくりきた。ならばやはり、父に病を治す薬を渡したならば、心臓の転換なんていう恐ろしい儀式は起きないかもしれない。俺はその考えに、一人満足した。
とにかく、病の流行自体は、父の件を関係なしにしても、由々しき事態である。だから、国民のために薬を用意しておかなければならないし、それにはそろそろ時間がなくなってきているのだ。俺は、今すぐにでも薬作りを本格化しようと考えた。
――受け取った聖剣を背中にかけて、帰路に着きながら、俺はこれからくる未来が、少しでも明るいものである事を祈った。
その後俺は、大量生産しておいた薬草を収穫して、薬作りに入った。
時折、賢者からの手紙の返事を待っているが、それはこなかった。
賢者なら何かを知っているんじゃないかと思い、聖剣についての手紙を帝国宛てで書いたのである。だが最近聞いた話だと、もういないらしい。今の居場所も分からないので、半ば諦めている。
王宮内の離れの塔から悲鳴が聞こえるという怪談話が流れ始めたのは、次の春が訪れようとしている頃だった。まだ肌寒さが残る季節だ。なんでも、王宮の東にある、通称離れの塔という古びた建物から、夜な夜な悲鳴が聞こえるというのだ。あれは、二代目国王陛下が建造したとされる、立ち入り禁止の古い建造物である。
昔から、あの塔から悲鳴が聞こえると、王家に災いが起きるという伝承があった。
誰かが死んでしまったり、何か怖いものを見たかのように廃人になってしまったりするという、とにかく様々な怪談があった。事実無根だと俺は思う。
最近は忙しくて家族の誰とも会っていないが、もし不幸な出来事があったのならば報せが入るはずだ。特にそういったものはない。元気な証拠でなによりだ。
こうして、薬作りに奔走し、それが完成した頃、ちょうどその感冒が現れた。
流行の兆しを見逃さず、すぐに俺は、直接指示を出して、王都全域から国内の全ての領地に、たっぷり薬を配布していった。こんな風にてきぱきとした指示が、俺に出来たのかと周囲は驚いていたが、事態が事態なのであまり突っ込まれなかった。
俺は、刻一刻と迫って来る、父が倒れる日を待った。祈るような気持ちで。
来ないで欲しいという思いも勿論あった。
――だが、その日はやってきた。