【十八】俺以外に、墓標を作る人間は思いつかない。
国王陛下崩御の報せは、王宮中に、王都中に、王国中に、その日のうちに広まったようだった。死因は病死と公表されているし、検分しても余程魔力に敏感でない限りは、疑う事はないだろう。
――生前にユーリスが、ライネルに偽装手配を命じていたそうだ。
だから俺がただ間抜けに床でユーリスの遺体を抱きしめている間に、ライネルが、父の顔をした始祖王の亡骸から聖剣を抜いていて、全てを処理してくれたのである。
俺が我に返ったのは、その聖剣を渡された時の事だった。
「こちらを。もう使う事はないと思いますが」
「……」
「今は我が主の思いも詰まっていると思います。身を守るためにも、その想いを守るためにも、フェル殿下がお持ちください」
まだユーリスの死の実感が無いままで、俺は聖剣を受け取った。
そして俺の腕からユーリスを抱き起こすライネルを見ていた。
「呪いの槍の力が発動しています。これを抜かなければ、ユーリス様を弔えない――ですが、抜けば人間は皆、始祖王の呪いにより、ユーリス様の存在を忘れてしまいます」
「俺は忘れる気はない。忘れたくない。何か方法はないのか?」
思わず強い口調で続けた俺は、後ろから肩に手を置かれて視線を向けた。
ユーリスの重みがなくなった体を、後ろからラクラスに抱きしめられていた。
後ろからギュッと抱き寄せて、ラクラスは俺の左手を両手で握った。
「安心しろ。お前の前世と今世を繋いだ『巻き戻しワード』を放ったのはユーリスだ。時空に干渉するような強い言葉を紡いだ人間を、俺は忘れない。そして俺の主人であるお前も、何より当事者であるお前も、この結び付きは始祖王の呪いよりも強いから、忘れない」
「ラクラス……」
「俺は長い間を生きてきて、忘れられる事もあれば、俺を覚えていた人間が死んだ事も何度もあった。今、俺は、大切な一人に覚えていてもらえれば十分だと感じてる。フェルが俺を覚えてるんならそれで良い。ユーリスも、そう思ってるかもな」
俺はラクラスのその言葉に納得したわけではなかった。
すぐに受け入れられるほどに、弱い衝撃ではなかったからだ。
その後俺は、ラクラスに自室へと連れて行かれた。
一段落したのか、夜になってライネルが戻ってきた。
「我が主は、自分が死しても、フェル殿下をお守りするようにと俺に言いました。前世でも今世においても――その望み、近衛として殿下のそばにいる事で、叶えさせて頂けませんか?」
俺はライネルの声に静かに頷いた。思い出した前世の抜け落ちていた記憶と、今世での、つい先程までのユーリスの記憶が混じり、気づくと俺は涙を浮かべていた。自分がこんなに涙脆いとは知らなかった。【始祖王の呪いの槍】を壁に立てかけたライネルに、そばにいていいと許可するのが精一杯だった。
こうしてその翌日には、崩御の報せが国中に走ったのだが――宰相が落命したという話は、大陸新聞の片隅にすら載っていなかった。落ち着いてから、一つ一つ確認したところ、宰相位は長らく空席であり、将来有望な若者を以前から求めている、そんな記憶を人々が持っていた。どの仕事書類を見ても、ユーリスの名前はおろか、達筆な彼の文字すらない。内容は同じであっても、誰か別の人間の仕事という事になっていた。ユーリスの死は、多くが悲しむ事柄ではなかった。そもそも、ユーリスという存在の軌跡が、呪いで消えてしまったからである。悲しみの後から、俺に押し寄せてきたのは、空虚感だった。
国葬が行われるから、王宮が慌ただしい。
その最中――さらなる混乱が王宮を襲った。
急変した事態で、俺もすっかり忘れていたのだが、兄の姿が何処にもなかったのである。いつからいなかった? 何処へ行った? 隔離されていると俺に伝えたのは誰だった? 捜索隊が組まれて、俺も探しに出た。無気力に絡め取られそうになる体を、必死に制した。ユーリスが繋いでくれた命だ、一時も無駄には出来ない。
その後発見された兄は――以前噂で聞いた、離れの塔にいたそうだ。
悲鳴が聞こえる塔の怪談を思い出しながら、まさかなと踏み込んだ人々が、そこで拘束されている兄を発見したのだという。これまで噂で囁かれていた悲鳴は、兄のものだったらしい。ただの怖い話ではなく、現実だったそうだ。
見つかった兄は憔悴しているそうで、まだ意識が戻らないという。
医療塔で集中的に治療を受けていて、一度顔を出してきたが、命に別状はないとのことだった。安心したものである。
――この国では国王崩御時は、一ヶ月喪に服し、死から二週間目に葬儀が行われる。
昔からの風習だ。
葬儀が明日に迫ったこの日、俺は王都郊外の、小高い丘の上にいた。
この位置からは、王宮とはまた違った角度で、王都の街並みを見下ろす事が出来る。
俺は、考えてみるとユーリスが好む景色など何一つ知らなかった。
ただ、前世で一度だけ、二人でここに来た事があると思い出して、ここに決めたのだ。
――ユーリスの墓を作る場所を。
俺以外に、墓標を作る人間は思いつかなかった。
墓参りに来る人間も思いつかないが。
それでも、あの日、墓を作ると言った俺に、ユーリスの遺体をどこかに運ぼうとしていたライネルは、息を呑んで、お礼を言っていた。
――主も報われる、と。
風が俺の髪を乱した。一人になりたくて、近衛のライネルには少し離れた位置にいてもらう事にした。ラクラスは俺の言葉に、何を言うでもなかったが、ふらりと姿を消した。だから現在、俺は一人で、墓標の前に立っている。
ユーリスに話したい事が沢山ある気がした。
だが、たとえば何かと考えても、放つ前に声が舌の上で消えてしまう。
少なくとも俺は、ユーリスに情けない姿を見せたくないと考えていたから、歪みそうになる表情を引き締めて、涙腺が緩まないように気をつけた。俺があの時、始祖王にとどめをさす事に躊躇しなければ――そんな自責の念が浮かんでは消えていく。
俺は、最近ではユーリスの形見のように感じている聖剣を両手で握り、先端を軽く地面についた。緑の丘の上で、そうしながらしばらく街並みを眺めた。ユーリスがより良くしたいと思っていたらしい、国の姿を。
その日の午後、葬儀のために、隣国からハロルドが客として訪れた。
帝国皇帝の来国に、王宮は一気に慌ただしくなった。
だが俺にとっては数少ない友人の一人だ。接待役をかって出て、俺はハロルドと二人で自室へと向かう事にした。ハロルドが俺の部屋を久しぶりに見たいと言ったからだ。客人として王宮に滞在していた頃は、何度か遊びに来た事があるのである。エクエスも来ていて、ライネルとラクラスは、俺達を部屋に送った後、少し召喚獣同士で話すと言ってどこかへ出かけて行った。
「この槍は?」
入ってすぐに、ハロルドが壁を見た。
そこには、ライネルが立てかけていった、始祖王の呪いの槍があった。
魔力が強すぎるため、王宮の他の保管場所を決めるまでは、暫定的にこの部屋に置いて置く事にしていたのである。忘れていたわけではないが、ライネルが一般人には見えない処理をしていたため、ハロルドにも見えないだろうと、勝手に思っていた。迂闊だったなと後悔した。
「新しく見つかった遺跡の関連で少しな」
「ああ、始祖王の墓が見つかったと聞いた」
疑う様子もなく頷いたハロルドは、それから俺が最近ずっと持っている聖剣を改めて見た。何故なのかユーリスの形見に思ってしまっているからなのか、俺はこれを手放せない。
「そちらも遺跡にあったのか?」
「まぁな」
「少し見せてくれないか?」
そう言って手を伸ばしたハロルドに、少し迷ったが、俺は聖剣を手渡した。
するとハロルドは、模様をじっと見据え、指でそれをなぞりはじめた。
「尋常じゃない力が入っているな」
「聖剣と呼ばれるほどだからな」
「生み出した人間の強い想いも、過去に手にした人間の強い想いも、この剣が築いて忘れられたいくつもの歴史も、全部詰まって、それがさらに聖なる力の根源になっているらしい。触れているだけで、強くそう感じる」
ハロルドの声に、俺は再びユーリスを思い出した。
その時の事だった。
乱暴に、俺の部屋の扉が開け放たれた。
駆け込んできたのは、近衛騎士団の連中である。ライネルの姿はない。
ハロルドも剣を手にしたまま、驚いたように扉を見ている。
「――第一王子殿下の、次期国王陛下の意識がお戻りになりました」
「兄上の? 大丈夫なのか?」
「白々しい事を――っ、ウィズ殿下を幽閉し、国王陛下を殺害した罪で、フェル殿下を拘束させて頂きます!」
「……え?」
首を傾げた瞬間、入ってきた近衛達に両側から挟まれた。
直後、首の後ろに鈍い痛みを感じた。
麻酔薬を塗った針を刺されたのだと分かったのは、視界がぐらりと歪んだ時だった。
ハロルドが何か叫んだのが聞こえたが、俺はそれを理解する力もなく、意識を闇に絡めとられた。