【四】好敵手あるいは親友だった。







「はぁ……」

 思わず溜息を漏らした僕は、毎週火曜日の日課としている図書館での書籍参照を行っていた。国教会の規定で、この国には日月火水木金土の七日間があるのである。僕の休日は、水木なので、火曜日は大抵図書館にいるのだ(ちなみに世間一般の休日は、土日だ)。

「なに溜息ついてるんだ?」
「!」

 僕は唐突に声をかけられて狼狽えた。
 見れば真正面の席に、宮廷魔術師長のゼルダ・ワインレッドが座っていた。

 気配も何も無かった。

 だが大抵火曜日は、図書館に日参しているらしい彼と顔を合わせるため、別に不審には思わなかった。ゼルという愛称の彼は、大変な読書家なのだ。酒と夜遊びが好きだと公言している彼だが、実は大変な読書家なのである。

 クラフト家と同じ魔術師の家柄であるワインレッド伯爵家長男だ。
 六歳で魔術学校に入学した当初から、面識がある。

 僕との違いは、僕が努力型であり、ゼルが天才肌だという事だ。僕は毎日予習復習を怠らなかったが、ゼルは授業を聞いただけで、それこそ一を聞き十を知るという感じで知識を深めていった。僕は、天才なんか大嫌いだ。だから当然ゼルのことも大嫌いである。

 しかも僕は入念な手入れを経て、辛うじてイケメンの称号を得ているが、ゼルは生まれつきの天然物の見目麗しい外見を持っている。身長が1cmほど、彼の方が高い点も嫌だ。

 更に言うなれば、ゼルの実力に裏打ちされた自信家な点も嫌いだ。ある意味、同族嫌悪だろうと思う。僕は自信を持って当然であるように努力しているのだが。そもそもゼルが、宮廷に勤めたこと自体僕にとっては意外だった。宮仕えなんて疲れるから興味ない、が、学生時代の彼の口癖だったからだ。

「勇者の所に行かなくて良いのか? 入り浸りだって聞いてるぞ」
「別に。そりゃあ折角来た異世界からの客人だから、仲良くしてやるし、興味もゼロじゃない。だけど火曜の午後は、図書館に顔を出すって決めてるんだよ」
「なんで火曜なんだ? 被るから止めてくれ」
「……お前の顔を見に来てるんだ」
「熱でもあるのか?」
「無い。お前が勇者に陥落したら困るから、アスカの側につきまとってただけだ」

 そう言ってぷいとゼルは顔を背けた。
 意味がよく分からなくて僕は首を傾げた。

「なんだそれは。俺があの魅了魔術に陥落すると思ったのか? 見下すな」
「……魅了だけなら、気にしない。フェルなら大丈夫だろ。あれで、人の心にずかずかと勇者が入ってくるから、お前がアイツの強引なところに惹かれたら困ると思っただけ」
「俺が惹かれようが惹かれまいが、別にゼルには関係ないだろう。魅了魔術に気づいているんなら、宮廷魔術師長として、解除してもらえないか? 忙しすぎて、図書館にも来られなくなりそうだ」

 最もそれは嘘だ。僕は、適度に息抜きしないと無理がたたって倒れるタイプなので、意識的に火曜日だけは、図書館に来るようにしているから、それが無くなることはどんなに多忙でもあり得ない。

「関係ならある。何で俺が火曜日にここに来てると思ってるんだよ?」
「暇だから毎日来てるんだろ?」
「……」
「羨ましいな、宮廷魔術師が」

 僕はそう言って、国教会編纂クロノス神話伝五十六巻に視線を戻した。

「――何で俺が宮廷魔術師になったと思ってるんだよ。それも宮廷魔術師長に」
「何だ急に」
「お前と対等でいたかったからだ。宰相になったお前と、対等で。――そもそも宮廷魔術師になったのは、お前が城で働くって聞いたからだ。まさか文官だとは思わなかったけどな。てっきり宮廷魔術師だろうと踏んで、試験を受けた自分が嘆かわしい」

 この国では、王宮に入る際には、三度試験がある。一度目は、武官文官問わず実技試験だ。そこで剣技を始めとした物理的な技能か、魔術あるいは快癒魔術の実技試験を受ける。そうして残った人間が、今度は数学や外国語の試験を受けるのだ。それらの成績により、配置を希望する部署が、最終面接を行う。

 そのため宮廷魔術師を希望していたゼルは、宮廷魔術師から面接を受け、その道に進み、僕の場合は文官志望だったから宰相府の人々から面接を受けた。しかし、それを聴いて安堵した。もしもゼルが、文官志望だったら、宰相争いをしただろう事は疑えない。

「学校で散々主席の座を争ったのに、仕事までライバルになっては叶わん」

 僕がそう言うと、ゼルが目を細めた。
 そんなにコイツは、僕を蹴落としたいのだろうか。

「俺は――……お前の側にいたいんだよ」
「いるだろう、今」
「違う、そう言う事じゃない――恋人として」
「は?」

 意味が分からず僕が顔を上げると、舌打ちしたゼルが、席を立った。
 そして歩み寄ってきて、後ろから僕を抱きしめた。

「おい、なんだ急に」
「――フェル」
「ん?」
「こっち向けよ」

 そう言って僕の両頬に手をそえ、強引にゼルが僕をのぞき込んだ。
 真剣なワインレッドの瞳が、僕を見ている。
 何か言おうと唇を動かした瞬間、深く貪られた。

「っ、!」

 目を見開いた瞬間、入り込んできた舌に、歯列をなぞられる。

「んッ」

 公衆の面前であることも手伝って、僕は思わず赤面した。

 慌てて両手でゼルの体を押し返そうとするも、似たような体格なのに彼の力が強すぎて、どうにもならない。

「はっ」

 唇を離したゼルが、今度は僕の首元に吸い付いた。
 ジンと、痛みとも快楽ともつかない感覚が広がる。

「おい、」
「……謝る気はない」

 口を離したゼルに言われ、僕は目を細めた。

「なぁお前さ、俺の恋人にならないか?」
「は?」
「……いや、いい。じゃあ、またな」

 それだけ言うと、ゼルが図書館の出口を目指して歩いていった。
 何を考えているのだろう。