【六】白猫
国境警備に回されていた騎士達が、王宮で魅了魔術にかかっていた騎士達と総入れ替えされたのは、心地の良い日差しの日の事だった。
それから二週間。
今の所、新しい被害者はゼロである。
騎士団長良くやってくれた!
僕はそんな事を考えながら、今は暫定で決めてある近衛騎士の本選定の打ち合わせをするべく、ジークの姿を探していた。ジークと呼べと言われたのでそう呼ぶことにしたのだが、顔を合わせるのは、好きだと言われた日以来のことであるため、内心緊張していた。
――確かに僕って、魅了魔術にも負けないほど格好良いよな!
内心高笑いをしては見る。
しかしいつもの自信がどこかへ吹き飛んでしまった気分だ。
だって、だ。考えてみて欲しい。確かに僕は格好良い。今日だって既に十二回格好良いと言われた。だがそれならば、他の多くの者が、勇者アスカの魅了魔術に参っているのもおかしい。魔術耐性のあるなしが関係するのかとも考えたが、騎士団長に限っては魔法耐性は、無い。
――まさかあいつ、本当に僕の事が好きなのか……?
そう考えながら、腕を組んだ。
――なんて見る目があるんだ!
僕は思わずにやけてしまった。
これまで勝手に好敵手認定していたわけであるが、そう言うことなら、もう少し優しくしてやろうではないか。フハハハハハ!
そんな事を考えながら待ち合わせ場所の裏手に向かった。
先ほどまで資料庫にいたため、この路を通るのが近道なのだ。
「ん?」
そして、しゃがみ込んでいる騎士団長を見つけた。
「何をしているんだ?」
反射的に声をかけると、ゆっくりとジークが僕の方を見た。
「ああ、野良猫がいてな。まだ小さい」
その声を聴きながら歩み寄ってみれば、ふわふわの小さな白猫がそこにはいた。
「可愛いな」
思わず呟いてから、今の発言は宰相としてどうだろうかと思案した。
「そうだな」
しかし穏やかに笑ったジークの表情を見て、僕は思わず固まった。
いつも険しい顔ばかりを見ているため、こんな風に笑うことを知らなかった。
「猫が好きなのか?」
これ程までに笑顔なのだからそうなのだろうと思いつつも首を傾げた。
「それもある」
「それも?」
と言う事は他にも何かあるのだろうと、考える。
「避けられなくて良かった。お前に会えた。ずっと会いたかった。その上、フェルから声をかけてくれた」
「……なッ」
笑顔のまま続けられた言葉に、僕は思わず赤面した。
――な、なんて恥ずかしい事をさらりと言うんだ!
慌てて距離を取り、俺は頭を振って頬の熱を冷ます事に必死になる。
「我輩は仕事に私情を持ち込んだりはしない」
「それは、俺の告白には応えられないと言うことか?」
「そう言う事じゃない、そう言う話自体仕事をしている時にはしないと言っているんだ、我輩は。ジークも職務中なんだから自制しろ」
「ジークと呼んでくれるんだな」
「貴様が呼べと言ったんだろう」
俺が引きつった笑みを浮かべると、ジークが微笑したまま、猫の頭を撫でた。
言っては悪いが、何とも騎士団長と白い猫は、不似合いに思える。
「俺は騎士団の宿舎に住んでいるから飼ってやれないんだが、誰か飼い主の候補を知らないか? こんなに小さくては、一人で置くのは厳しいだろう」
ジークが言ったので、俺は眉を顰めた。
「……我輩の家で良ければ」
猫一匹くらいならきっと多分、家計にもそれほど苦労をかけない、と願いたい。
第一ここには二人しかいないのだから、必然的に、候補者は僕じゃないか。
「良いのか?」
「ああ」
「じゃあ今夜、連れて行っても良いか?」
「今夜の帰宅予定時間は、午前二時だ。もう寝て居るんじゃないか?」
「平気だ。丁度準夜勤だから、俺も午前0時までは仕事で、その後には片付けもある」
「だとすれば、それまでの間、何処で猫を保護するかだな」
僕は思案する。
どこかに猫好きは居ない者だろうか――あ、一人いるではないか!
「心当たりがある。我輩が連れて行こう。会談の内容は分かっているだろう? 先に近衛騎士の本選定をしておいてくれ」
「ああ、分かった」
ジークが頷いたのを確認してから、僕は白い仔猫を抱き上げた。
それから、宮廷魔術師の鍛錬場へと向かった。
一段高い場所で、鍛錬風景をぼんやりと眺めている宮廷魔術師長の姿が目に入る。
やはり暇そうで羨ましい。
「ゼル」
「っ」
僕が声をかけると、ゼルが落ちそうになった。まさか目を開けたまま寝ていたんじゃないだろうな、仕事中だというのに。
「珍しいな、フェル。何かあったのか?」
「少し頼みがあってな」
「頼み?」
立ち上がったフェルが、俺の腕の中にいる白い仔猫を見据える。
「おぉ可愛いな。フェルと同じくらい可愛い」
「蹴り飛ばすぞ」
そう言えばこの前図書館では、ゼルにもおかしな事を言われたのだったなとハッとした。
ただしゼルの場合は、魅了魔術が聞いていなかっただろう事は明白だったし、僕の事をからかっていた可能性も高い。
昔からゼルは、好きだの何だのと、時折僕をからかうのだ。
――まぁ本気で恋人に、と言うのであれば、コイツにも少しは見る目があったのかも知れないけどな!
そんな事を考えながら、僕は白猫を、ゼルに渡した。
小さな啼き声が聞こえる。
「午前零時まで、その猫を預かって欲しいんだ」
「別に良いけどな。俺もその位までは、ここにいるし。此処なら猫の爪なんて、結界があるから問題ないし。だけどなんでまた、零時なんだ? 宰相府はもっと遅くまで人がいるんじゃないのか?」
「零時には、騎士団長が引き取りに来る。その後僕の仕事が終わり次第、団長が猫を俺の家に連れてくる事になっている」
言いながら、いかんいかんと思った。付き合いが長いせいで、ついついゼルの前だと一人称が、僕になってしまう時があるのだ。
「へぇ……騎士団長、お前の家に行くんだ」
「ああ。猫が好きらしい。飼い主を捜していたんだ」
「俺も行って良いか?」
「もてなしは出来ないぞ。猫を置いたらさっさと帰ってもらうだけだ」
「本当に?」
「本当だ。もてなしをするにはそれなりの準備が――」
「そっちじゃなくて、本当に帰るのか? 騎士団長」
「? 帰るだろう。明日も仕事はあるし、他に用もない」
「用、ね。やっぱり俺も行く」
「別に構わないが……?」
突然ゼルがそんな事を言い出した理由が僕にはいまいち分からなかった。
しかし一人増えようがどうと言うことはないので頷いた。
それから僕は、ゼルに猫を預けて、騎士団長との会談に臨んだのだった。