【八】宰相補佐官






 猫を飼う事になってから、一週間ほどが経った。

 騎士団はほぼ平穏に戻り、陛下も理性を取り戻したものの――相変わらず僕の仕事は忙しい。何せ僕の部下である文官連中は、四十歳以下が圧倒的に多く、大抵の場合それ以降の年代になると、各地の自分の領土や、どこかの貴族の領土の宰相となって悠々自適な生活を送る者が多いため、城には残らないのだ。

 残っているのはそれこそ、大変偉い層だが、名誉職ばかりなので、あまり登城しないし、お世辞にも多忙な仕事を裁ける体力は無いらしい。無いらしいと言うか、本当はあるのだと思う。

 僕が彼等を蹴落として宰相職に就いたため、率直に言うと嫌われているので、あまり手伝ってもらえないし、コチラも頼む気が起きない。だが……そんな事を言っている場合ではないのかも知れないが……そうだ、言っている場合ではない。国のためを思うなら、ここは僕が折れて、頼みに行った方が良いのだろうか。

「はぁ……」

 僕は溜息をつきながら、羽ペンを動かした。
 その時ノックの音がしたので、この忙しい時に一体誰だと思いながら、顔を上げた。

「失礼します」
「レガシー……」
「お疲れみたいですね」

 以前と変わらない顔をしているレガシーを見て、僕は思わず目を細めた。

「我輩に何か用か?」
「何か用かって――俺は宰相補佐官ですよ。用が無くても、ここには来ますよ」
「今まで来なかったくせによく言うな」
「困ってる宰相閣下を見てるのが楽しく――じゃなくて、辛くて!」
「……なんだと?」
「召喚阻止が出来なかったので、せめてこの城から勇者を移動させるべく画策してました」

 その言葉に驚いて、僕は顔を上げた。

「どういう事だ?」
「どういう事って、いつも俺の耳にたこができるほど、言ってるじゃないですか。言われたこと以上のことを、考えてやれって。召喚が阻止できなかった以上、他の方策が見つかるまで、とりあえず遠ざけるしかないでしょう?」
「確かに勇者がいなくなってくれれば助かるが――……貴様は勇者アスカに魅了されていたんじゃ……?」
「ああ、なんか魔術使ってる見たいですね。でも俺は、ほらコレ」

 レガシーはそう言うと、魔法石のはまった首飾りを服の下から取り出した。

「俺の家、女系なんで、よく魅了魔術で取り入ろうとする男魔術師連中が来るんですよ。だから、全員、解除魔法が込められた魔法石を持ってるんですよね」

 さすがは侯爵家!
 と、僕は思った。
 ならば――……

「それは騎士団長の家を始めとした全ての侯爵家にあるのか?」
「いえ。俺の所だけですね」

 じゃあジークは本当に精神力で魅了魔術を防いだのかと、再び感動した。
 感動と言えば、レガシーもだ。コイツやっぱり使える!

「それで? 勇者をどうしたんだ?」
「国教会に送りました。あそこは、若い人は女性とスイ様しかいないので、被害はまぁ一名だけになりますよ」
「良くやった」
「いやぁもう勇者を言いくるめるのに苦労しました」

 レガシーがそう言いながら、珈琲を淹れてくれた。
 安堵しながら俺はそれを飲んだ。

 疲れきっていたのと、最近レガシーと会うことが無く彼の本来の目的を忘れていたため、何の注意をするでもなく、普通に飲んでしまった。

「っ」

 瞬間、視界がぐらりと揺れた。
 ――そうだった、レガシーは僕の事を暗殺しようとしていたのだった!
「え」

 椅子から倒れそうになった僕に、慌てた様子でレガシーが走り寄ってくる。

 尋常ではない眠気を感じ、元々の睡眠不足もたたって、すぐに僕は、意識を失いそうになる。多分これは、睡眠薬入りだ。

「ちょ、何飲んじゃってるんですか!」

 自分で薬を盛ったくせに何を言っているんだと思いながら、僕はレガシーに抱き留められるような体勢で、意識を失った。



「ん……」

 目を覚ました時、僕は寝台に横になっていた。
 鈍い頭痛がする額に手を当てながら起き上がり、周囲を見回す。

 宰相執務室脇の仮眠部屋のようだった。

 時計を見れば、既に午後四時を回っていた。嗚呼今日の分の仕事はほとんど出来ていない。まず考えたのはそれだった。ゆっくりと立ち上がり、執務室へと通じる扉を開ける。するとそこでは、レガシーが黙々と書類仕事をしていた。

「――宰相閣下! あ、起きたんですね」
「……ああ」
「今日中にやらないとまずそうな書類は、大体片付けておきましたけど」
「悪いな」
「いえ」
「……」
「なんです?」

 僕が無言でレガシーを見ていると、彼が首を傾げた。

「どうして、我輩を暗殺しなかったんだ?」
「はい?」
「絶好のチャンスだっただろう」
「――……閣下こそ、あんなにあっさり飲むなんて、どうしちゃったんですか?」

 するとレガシーが顔を背け、ボソリとそんな事を言った。

 何故なのか、その表情が、少しばかり悲しそうと言うか焦っているというか、何とも不思議なものに見えた。

「我輩とした事が、少し気が抜けていた。次はもう無いぞ。折角の機会を、貴様はむざむざと逃したわけだ!」

 よく分からなかったが、僕は笑った。
 ククク、ハッハハハ! 残念だったな! 

 勿論それは内心での事であり、表面上ではイヤミに笑ってやった。
 すると顔を引きつらせて笑みを作りながら、レガシーが溜息をつく。

「何のために俺がこんなに頑張ってると思ってるんですか、本当!」
「ああ、貴様が盛った薬のせいで出来なかった仕事を、貴様自身が代わりにやってくれた事、礼を言わないでもないが、感謝はしないぞ」
「そう言う事じゃなくて!」
「じゃあ、なにか? 感謝しろと言うのか?」
「違います。俺は、本気であんたを殺す気なんてもう無いって言いたいんだ」
「――え?」
「もう大分前から、そんな事は考えてません」
「何故だ? 宰相になりたいんだろう?」
「だから――っ、ああ、もう、言わせるなよ恥ずかしいな……チッ、あんたのことを、尊敬してるんですよ、俺は!」

 その言葉に僕は目を瞠った。
 ――僕を尊敬している?
 なんて見る目があるんだ!

 僕はレガシーの事を見直した。
 赤面しているレガシーを眺めながら、僕は腕を組む。

「明日からは、またコチラで仕事を手伝ってもらえるか?」
「ええ、そのつもりですよ」
「後は暗殺は無しの方向で考えて良いんだな?」
「たまに俺のことこき使いすぎで殺意わく時があるんで、保証は出来ませんけどね」
「十分だ。我輩は貴様の淹れる珈琲の味が、それなりに好きだからな。純粋に楽しめるというなら、満足だ」
「っ」

 僕の言葉に、更にレガシーが赤くなった。

 おかしい。もしやレガシーは久しぶりの書類仕事の結果、知恵熱でも出しているのだろうか? それならば今日はゆっくり休ませて、明日から、お望み通りこき使ってやろうではないか!

「今日はもう帰って良いぞ。ゆっくり休め」
「……閣下がそんなこと言うなんて珍しいですね」
「明日からまた頼む。今日我輩は、ゆっくり休ませてもらったわけだしな。残りはこちらでやる」

 半分イヤミを込めてそう言うと、レガシーが立ち上がった。

「じゃあまた明日」
「ああ。助かったぞ、レガシー」

 僕がそう言うと、何か言いたそうな顔をしたまま、レガシーは部屋から出て行った。

 それを見送ってから書類の確認をすると、八割方、緊急の仕事は終わっていたので、残る二割を片付けた後、緊急ではない仕事を明日レガシーに振る事にして、僕はいつもより早めに帰宅したのだった。