【九】宰相位と伯爵位







 レガシーが戻ってきてくれたおかげで、久しぶりに半休が取れたのは、三週間後のことだった。相変わらず二日丸々休むことは出来なかったが、それでも休み無しだったこれまでの事を考えれば、十分すぎた。

 ここの所は忙しすぎて、服を買いに行く暇もなかったのだ。やはり宰相たる者身なりには、気を配らなければならない。

 久しぶりに、視察以外の用事で、僕は街へと向かった。
 扉を開けた先は、スミス&ナイトレイ商会が経営する衣装の店だ。

 最初は宰相らしく自宅に来てもらっていたのだが、お金が無いので、自分の目で直接品を選びたいと言っていくようになった。それこそ質の良い物は勿論だが、そうでなくとも、自身の感性で選びたいと、さもそれっぽく告げたのである。

「宰相閣下、よくぞお越し下さいました」

 扉を開けると、すぐにナイトレイ子爵とスミス夫人が歩み寄ってきた。
 この二人は、まるで魔術で監視しているかのように、僕が店に入るとすぐに出てくる。
 しかしそういった魔術の気配はない。

「ささ、奥へ。特別な品をご用意してございます」

 さも当然といった感じで、特別室へと案内される僕。
 内心は優越感で、笑い出しそうだった。さすが僕!

 しかしながら、氷のように冷たいいつもの通りの表情を取り繕い、小さく頷くに止める。
 我ながら感じの悪い客である。だが、これが僕なのだ!

 奥へと入ると、青いビロード張りの宝石台には、様々なオイルライターや指輪、カフスなどが並んでいる。宰相たる者、小物にも気を配らなければならない。その隣には、香水や匂い玉が並んでいた。火をつけるタイプのお香やアロマもある。やはり、良い香りを漂わせておくことも、完璧主義の僕としては、大切だ。

 ……特に最近は、忙しくて忙しくて、クローゼットに新しい香水を補給して匂いをつけている暇がなかったから、毎日同じ香りだったはずだしな……。

 それから、靴と着衣を見せてもらった。

 貧乏伯爵家が現実ではあるが、僕は見栄っ張りなので、給料をはたいて、高い物を購入することに決めている。何せ忙しすぎて、使う暇もないから、大抵弟が勝手に引き出して、領地経営と毎日の生活費に充てているから、僕のお小遣いのみ貯まっていくのだ。

「このローブと、こちらのローブ、それからこのインナーと、こちらのボトムスをいただこう。後は、香水は、これを。後はカフスは、これを。時計はまだ良い」

 淡々と僕は告げた。
 正直疲れていたので、どれでも良かった。

 しかしナイトレイ子爵の進める流行の品と、スミス夫人の進める落ち着いた昔ながらの品、それぞれの中間品の中でもさりげなく目を惹くものを揃えた。勿論それなりにお財布とも相談したのだが、そんな素振りは一切見せなかった僕の演技力!

「また是非いらして下さい」
「ああ。有難う」

 ただ去り際にだけ、微笑して見せた。
 最後さえ感じが良ければ良いだろう。
 そんなことを考えていると、店内の視線が僕へと集まった。
 気持ち良い! さすが僕だ!

「まぁ、宰相閣下だわ……」
「本当に麗しいですわね」
「あのような文官に僕もなりたい!」
「格好良すぎて目眩が――」

 響いてくる歓声に気をよくしながら、僕は店を後にした。



 それから僕は、帰宅した。

「あれ、早かったね」

 するとカゴに山盛りのジャガイモを手にしながら、レイが玄関先で顔を上げた。

「人目につく所で、何をやっているんだ」
「何って夕食の準備だけど?」
「……実質的な当主自らジャガイモを運んでいる姿なんて、誰かに見られたら困るだろう」
「大丈夫大丈夫。フェルがいきなり誰かを連れてこない限り、こんな貧乏伯爵家に来客なんて無いからさ」

 明るく朗らかに笑った弟の姿が、なんだか僕は悲しかった。
 実際それはその通りだと思うのだ。

「あ、そう言えば、フェルに手紙がきてたよ」
「僕に? 家にか?」

 大抵僕宛の手紙は、宰相府に届く仕事の手紙だから、純粋に驚いた。

「うん」

 レイが視線で示した、下駄箱の上を僕は見た。
 大変無造作に置いてある。
 しかしその封筒の蝋を見て、僕は思わず眉を顰めた。

 僕の記憶が正しければ、その紋章は、四大侯爵家の一つ――ジーニアス侯爵家のものだったからだ。僕が宰相だから覚えているというのもあるが、あそこの現在の当主とは、暫く前まで一緒に働いていたため、良く覚えているのだ。

 確か今年で三十半ばから後半くらいになる、オルフェンス・ジーニアス侯爵は、僕と宰相争いをし、僕が蹴落とした相手である。要するに、僕の好敵手だったのだ!

 僕も彼が嫌いだが、向こうは僕以上に僕を嫌っていると思う。
 ――一体の用だろう?
 首を傾げながら、僕は封を破った。

 すると中には、簡潔な文章で、『晩餐に招待するので、本日夜、参られよ』と書いてあった。確かに今日は半休なので、夜はあいている。

 僕の日程は、一応僕は公人なので、少し調べれば分かるはずだから、手紙が来てもおかしくはない。

 だが、僕は忙しいのである。こんな風に急に言われても困るのだ! だがそこは、侯爵家と伯爵家の差がある。実力が物を言う王宮とは違って、貴族には貴族なりの付き合いがあるのだ。

「レイ、代わりに行ってきてくれないか?」
「え? 何処に?」
「ジーニアス侯爵家だ」

 僕の言葉に、レイがジャガイモを取り落とした。

「や、やだよ! 侯爵家なんて畏れ多い。宰相なんだし、招待されてるのはフェルでしょ?」
「僕は、行きたくない」
「そんな事を言わない!」

 こうして結局僕は、折角ゆっくりと過ごせると思った夜を、侯爵家の晩餐に行くという予定で埋められてしまった。本当、恨んでも恨みきれない。



 我が家には、所有している馬車など無いので、豪華なレンタル馬車を借りて、僕はジーニアス侯爵家へと向かった。流石に侯爵家だけあって、館だけでもものすごく広い。芝の中央にあるよく手入れされた道を歩きながら、僕は既につかれていた。

 通された部屋は、応接間らしかったが、食事をするにも十分なほど、豪奢な部屋だった。多分我が家のダイニングよりもずっと広い。案内された僕が着席してから二十分ほどして、ジーニアス侯爵はやってきた。

「悪い、待たせたな」

 全くだ!

「いえ。ご無沙汰いたしております、オルフェンス卿」

 半眼で僕が言うと、彼は顔を背けた。彼は小心者なのだと僕は知っている。だからこそ直接対峙する時は、強気でいった方が良い相手だ。しかしながら、小心者故に、知謀策略においては、右に出る者は僕くらいしか居ない。僕は簡単に足下を掬われたりはしないのだ!

「まずは、ワインを」

 彼はそう言うと、僕に酒を勧めてきた。
 小さく頷いてソレを受け取り、テーブルに並ぶ豪華な料理の数々を眺める。
 さすがは侯爵家。美味しそうだ。

「本題に入りましょう。我輩に、何か御用ですか?」

 しかし歓談する気分ではなかったし、そう言う中でもないので、一口飲んでからワイングラスを置き、僕は尋ねた。テーブルの上で、静かに指を組む。マナーとしてはどうかと思うが、威圧感の演出だ。

「うあ、そ、そのだな」
「……」
「アスカの事で……」

 続いた名前に、僕は脱力した。
 分かった、分かったぞ、話の内容が。

 勇者アスカを王宮から遠ざけたため、会えなくなった事を、ジーニアス侯爵は憂いているのだろう。

「国教会の神殿におられますよ」
「スイーニードットが会わせてくれないのだ」
「そう言われましても、神殿は、王宮から見ても不可侵の場ですので」
「宰相の力で何とかならないのか?」
「なりません。お話しはそれだけですか?」

 折角の豪華な料理なので、僕は味わうことにして、フォークとナイフを手に取った。
 完食してやる!

「……俺は、初めて恋をしたんだ」
「はぁ、そうですか」
「この胸の高鳴り……ッ! 毎日、辛くて、枕を涙で濡らしている。この気持ち、分かるか!?」

 一切分からない。ただ僕だって毎日毎日多忙で、枕を涙で濡らしそうにはなっている。勿論、完璧主義の僕はそんなことはしないし、大抵ベッドに入れば、爆睡だ。

 そもそも初めて恋をしただなんて嘘だ。
 僕は、何度も何度も、彼がフラれているのを見てきた。
 王宮の侍女や侍従に手を出しまくっていたのだから。

「アスカのあの春の日差しのような笑顔……!」
「我輩にはオルフェンス卿の頭が、春だなぁと思います」
「フェルは恋をしたことがないのか!?」

 その言葉に僕は腕を組んだ。
 ――恋?

 そう言えば僕の野望は、逆玉の輿に乗る事だが、恋をした事がコレまでにあっただろうか? いや、きっと白馬の王女様(?)……王女様はまだ子供だから、それに女性はあまり白馬に乗らないし……そうだ、白馬がひく馬車に乗ったお金持ちの貴族の女性が、僕を迎えに来てくれるはずだ! いや、ここは自分から行った方が良いのだろうか。

「我輩も多忙な身ですので、お話しがそれだけでしたらそろそろ失礼させていただきます」
考え事をしながらも、食事を食べた僕は、冷ややかな声で層告げた。
「頼む! 一目で良い! アスカに会わせてくれ!」
「……神官長のスイに言って下さい」
「何度言っても駄目なんだ。だからお前の口から、頼んでくれ! これは侯爵家の人間として、伯爵家の人間への直接の依頼だ!」

 面倒くさいなぁと僕は思った。

「……承知しました。少し時間がかかるかも知れませんが」
「なるべく早く!」
「努力いたします」

 どうしたものかと考えながら、僕は帰路についたのだった。