【十四】惚気はよそでやれ!






 久しぶりに僕は、早めに帰宅することができた。

 考える事は日に日に増えていくのだが、明日にならなければできない仕事にぶち当たった瞬間、眠気と疲労が限界になった。今日はぐっすり眠って、明日に備えようと、予定していた分を終わらせた段階で、家に帰ったのである。

 零時台に家に帰るだなんて久しぶりだった。


「――っ、ぁ……はッ、……スイ……」

 玄関の扉を開けた瞬間、響いてきた弟の声に僕は硬直した。

 どさりとその場に鞄を取り落として、呆然と暗い廊下へと漏れてくる、リビングからの光を見る。それから息を呑んで、僕は走った。

 勢いよく扉を押し開くと、抱き合っている弟と神官の姿があった。

「ぁ……」
「可愛いですよ、レイ」
「ん……あれ、フェル?」

 そこでまた僕は硬直した。とろんとした瞳で、弟が僕を見た。

「何をしているんだ貴様ら!」

 やっと我に返って叫ぶと、スイが声を上げて楽しそうに笑った。

「お帰り、宰相閣下」
「黙れ。何をしているのかと聞いているんだ!」
「愛を確かめ合っていたんだよ。ねぇ、レイ?」
「スイ……!」

 頬を赤らめている弟。何だろうこの攻撃力の高さは。僕の心は、大きなダメージをおった気がする。――上手くいったのならば、それはそれで、良いのかも知れない。だが、だがである。こんな、家の共同スペースで抱き合うって、普通じゃないだろう。

 僕は多分怒りで震えながら、弟を睨んだ。

「時と場合を考えろ!」
「――……フェルごめん、あのさ、玄関の扉が開いたから帰ってきたって分かったからね、ちょっとからかってみようって話をしてただけで」

 僕の剣幕に、レイが申し訳なさそうな顔で苦笑した。

「は?」
「いくら私がレイを愛しているからと言って、そして貴方には恩ができたとは言え、レイの可愛い姿を例え兄弟とはいえ貴方の前で見せるわけがないでしょう?」

 一方のスイは満面の笑みを浮かべている。
 二人は距離を取って、ソファに座り直した。

「……」

 今度は僕は、思いっきり眼を細めて、眉間に皺を寄せた。
 どうやらこの二人にからかわれたらしい。
 疲れて帰ってきてこの仕打ちは何だ!

「……風呂に入ってくる。食事を頼む」

 しかし既に怒鳴り疲れていたので、これ以上追求する気も起きなかった。



 それから、何が楽しくて、弟を奪い去りし憎き政敵と共に食事を取らなければならないのかは分からなかったが、僕は漸く夕食の場を迎えた。

「それで宰相閣下。アスカとは、上手くいっていますか?」
「我輩と勇者殿の間に上手くいかせる関係など存在しないが」
「恋とは良い物ですよ、お義兄さん」
「貴様を義弟にしたつもりはない。貴様に手ほどきされるほど奥手でもない」

 本当は恋などした事が無いのではあるが、一応弟の恋人(?)らしいとはいえ、敵の前で宰相の仮面を脱ぐわけにはいかない。何故僕は、家でまで、完璧を目指さなければならなくなってしまったのだろう。

「フェル、もしかして騎士団長とかゼルさんとかと上手くいってるの?」
「そちらとは仕事上の付き合いを上手くしている自信はある」

 白身魚をナイフで切り分けながら、僕は溜息をついた。

 溜息をつくと幸せが逃げていくのだとすれば、僕は今頃不幸の極みにいるかも知れないが、僕が幸せじゃないなんてちょっとどうかと思うので、僕は実力で幸せを逃がさない。

「それより、貴様らこそ一体何がどうなったんだ?」

 一応聞いてやるかと、僕は尋ねてから、フォークで白身を突き刺した。
 するとレイが笑顔のまま動きを止めた。

 次第にその頬に朱が刺していく様を見ていると、とりあえず上手く行っているのだろうと分かったが、あんまり良い気分はしない。

「目が醒めた私は、覚悟を決めて、クラフト伯爵家を訪れました」

 一方、楽しそうに笑いながら、穏やかにスイが話し始める。

「そして気持ちを告げました」
「ほぅ」

 無性に煙草を吸いたい気分になりながら、僕は思わずワインに手を伸ばした。

「私がいかにレイを――レイブンズ・クラフトを愛しているか。それはもう、服を切り裂き手足を縛って、きつく拘束し監禁して、私以外を目に入れることすら不可能な様にし――」
「ちょっと待て。貴様は性癖を告白しに来たのか?」
「いえ、愛を告げに」
「……重すぎるだろう。まさかそれをレイは受け入れたのか?」
「まさか。どん引きだよ!」

 朗らかに笑った弟の姿に、僕は全身全霊で安堵していた。

「昔からスイは気持ちが悪かったんだ。それがデフォルト」
「そうか。我輩の感性がおかしいのかと悩んでしまった」
「兄さんの感性は安定しておかしいとは思うよ」
「ふざけるな」

 僕はレイを睨め付けてから、白身魚を口へと運んだ。

「だけど、スイの事、やっぱり好きだから」
「……」
「まさかフェルが協力してくれるとは思ってなかったし、絶対反対されると思ってたけど、相談して良かった」
「絶賛大反対中だぞ」
「恋とは反対されればされるほど盛り上がるものですからね」

 スイがそう言って微笑みながら、ワインを傾けた。国教会の規律は相当緩いため、嗜好品の摂取も当然ながら許されているのである。

「貴様ら本気で付き合う気なのか?」
「うん」

 頷いたレイを見て、僕は指先をこめかみにあてがった。力を入れて、解してみるが、頭痛は消えてはくれない。

「あのな、レイ。伯爵家の人間たる者、恋人のことは幸せにしなければならないんだぞ。スイのことを幸せにできるのか?」
「私はレイの側にいられるだけで幸せです。勿論後ろにつっこみたいですが」
「スイ……気持ち悪い」

 笑顔の二人を見ていると、食欲が失せてくる。

「安心して、フェル。僕はスイのことを幸せにする」
「私も貴方のことを幸せにしますよ、レイ」
「分かってる。僕だって一緒にいてくれるだけで、幸せだから」

 砂を吐きそうって本当はこういう事を言うんじゃ無かろうかと僕は思った。
 何が哀しくて弟がいちゃついているところを見なければならないのだろう。

 だが――レイが、いつも頑張ってきてくれたことは知っている。領地の管理を除いてもだ。レイがいてくれたからこそ、僕は宰相職を頑張れたのだと思う。だから、弟が幸せになれるのならば、僕はそれを応援するべきなのかも知れない。とりあえず僕に言えることは。

「清く正しい付き合いにしろ。大神官が聞いて呆れる」
「肉体関係が清くないなどと言うのは、前時代的な考え方だ」
「そうだよフェル。自分に相手がいないからと言って」
「殴るぞレイ」
「暴力など、聖職者として見過ごせません」
「貴様には他に見過ごすべきでない事柄が腐るほど在るだろうが!」

 僕は大きく息を吐いてから、食事をあらかた片付けた。

「もう良い。我輩は寝る。さっさと帰れよ」

 立ち上がりながらそう告げると、不意にスイが真面目な顔をした。

「ここに住みたいのですが」
「断固拒否すると言いたいが……レイが許可すれば構わん。しかし、神殿を空けても構わないのか?」

 何せ家の管理は、レイの権限下だ。
 だが僕の言葉に、あからさまに弟は安堵した顔をした。

「全力で貴方と私の仲を応援されたので、大丈夫でしょう」

 するとスイがそんな事を言った。

「は?」

 僕とスイの仲?
 レイとスイならば分かるが一体どういう意味だろう。

 ま、勇者の魅力よりも、僕の方が魅力があるって気づいている人間が多いって事かも知れないけどな!

「王宮どころかこの街一帯で、私を勇者から取り戻すために、貴方が神殿に殴り込んだことになっていますから。それに異を唱える者は、貴方が勇者を取り戻すために殴り込んだ、と口にする勢力です。その場合には、恋敵である貴方の監視のために私はここにいるとでも言えばいい」
「ちょっと待て」

 そんな噂が広まっているのか。
 だから陛下は僕を呼び出したのか。
 本気で広範囲に広まっているのだとすれば由々しき自体だ。

「私と貴方の関係を匂わせておけば、アスカの目がレイに向くこともありませんし、その他大勢のレイ狙いの害虫共の目を逸らすことも出来ます」
「我輩を巻き込むな!」
「――コレは互いに有益な取引だと思いますが。貴方は、騎士団長や宮廷魔術師長からの求愛も回避したいのでしょう? ならば、私の存在を隠れ蓑にすれば良い。おやそれとも、彼等のいずれか、あるいは両方に誤解されたくないのでしょうか?」
「なッ」
「私はレイと静かに過ごしたいのです。そして貴方は、誰の恋心にも応えるつもりはない。違ったかなぁ?」
「……違わん」

 確かにそれはそうなのだ。

「要するに貴様と恋仲のフリをして、他者を回避するという事か?」
「ええ」
「悪いがそんな事は出来ない」
「何故ですか?」
「仮にも貴様はレイの恋人だろう。レイがその話を日夜耳にして、良い気分でいられるとでも思っているのか!? 実際はどうあれな。真実を知っていれば良いと言うものではない」
「っ」
「フェル……」
「どうせ貴様は、恋人の弟と食事に出かけているフリでもして、レイと街を歩くのだろうがな、そんなもの屈辱だ」

 僕の言葉に、スイが俯いた。

「第一貴様との不埒な噂などゴメン被る! そもそもだ、レイは我輩の弟なんだぞ。我輩の弟にそんな辛い思いはさせられん。先ほど幸せにすると言ったのだから、言葉を守れ」
「……分かりました。では、私はレイと付き合っていると公言します」
「ああ、そうしてく……れたら、困るから止めてくれ」
「何故です? たった今、お義兄様も私たちが恋人だと認めてくれたのに」
「いや、だからそれは、その、あのだ、あれだ、言葉のあやだ」

 満面の笑みを浮かべたスイを見て、僕は冷や汗が伝っていくのを自覚した。
 恐らく最初から僕に認めさせることが、コイツの目的だったのだろう。

「フェル。僕、兄さんがそんな風に僕の事を思っていてくれたのが凄く嬉しいよ」
「レイ、いやあのだな」
「だからフェルには、ちゃんとスイのことも僕の恋人として認めて欲しいんだ」

 今度は真摯な表情のレイに詰め寄られた。

「そ、それは……」
「お願いフェル」
「いや、だけどな……」
「愛してるんだ、スイのこと」
「……」

 僕は唾液を嚥下した。妙に、ごくりと音が耳に触った。

「の、惚気ならよそでやれ」

 僕は必死にそれだけ言って、自室へと戻ることにした。

 どうやら弟が幸せになったらしい事は嬉しいが、何とも疲れる二人である。

 なんだかレイは、もしかすると僕の中では凄く凄く優しい子だったのであるが、そんな事はないのかも知れない。

 寝台へと横になった後僕は、布団を被りながら眼を細めた。

 ――だが、なんだかんだと言っても、スイが僕を策略にはめようとするのは、やはりそれだけレイの事が好きだと言う事なのだろう。

 きっと僕だって心の奥底から誰かを手に入れたいと思ったら、宮中を泳ぐ時のように、計略を用いる。

「そうしてまで誰かを手に入れたいと思っていないんだから、やっぱり僕はまだ誰の事もきっと好きじゃないんだろうな」

 ポツリと気がつけばそう呟いていた。我ながらなんだか寂しい。
 折角いつもより早く帰宅したのだから、さっさと寝ようと僕は目を伏せた。